静かな決意


「はい?」

「サクです」

 外からの返事にスマルが扉を開けると、サクが落ち着かない様子で部屋の中に入ってきた。

 その様子を見て、ジンとカロンが顔を見合わせて苦笑する。
 雨避けの布をスマルが受け取り、ジン達のものと同じように干すと、サクは小さく礼を言った。
 サクはそのまま部屋の奥へと進むと、少し機嫌が悪いのか荒っぽく椅子に腰掛け、組んだ腕を円卓の縁について早速口を開いた。

「いくつか…聞きたい事がある。でもその前に…一昨夜のような規模の火事が、この雨で鎮火すると思うか?」

 唐突に切り出したサクの言葉に、この部屋にいた面々が思わず互いに顔を見合わせる。
「いや…思わないよ」
「無理だろうな」
 黙ったまま、じっと答えを待つサクに、まずカロンが口を開き、ジンがそれに続いた。
 二人の答えを聞いたサクが、詰めていた息をはぁっと吐き出した。

「…だよね、ですよね。私もそう思っているんですが…城の馬鹿共が天罰だの何だのって、はぁ…馬鹿馬鹿しい。あぁ、腑に落ちない事だらけだ。どこから話せば…」

 サクは袂から煙草を取り出し、苛立った様子で手早く火を点けた。
 椅子の背もたれに身体をどんと預け、煙草を持った左手はだらりと力なく下ろし、もう一方の手で耳の後ろあたりの髪の毛をしきりに弄っている。
 考え事をしている時のサクの癖だった。
 全ての情報を突合せ、整理して、推理する。
 何度も何度も反芻して、導き出したいくつかの答えを比較し、あらゆる可能性を想像する。
 眉間に皺を寄せ、何を見るでもないサクの視線は冷たく、鋭かった。

 ジンとカロンは慣れた様子で、そんなサクの次の言葉を黙って待っていた。
 しばらくして、サクは脱力したように髪を触っていた方の手もだらりと下げて口を開いた。

「一昨夜の火事だけど…あれは何者かが消したんだと俺は思ってる。焼け跡を一通り見て廻ったけど、どう見ても内側から消したとしか思えない場所があったし…火消しが動いたという連絡は入ってないから……」
「入ってないから、なんだ?」
 サクの言葉が突然途切れ、ジンが先を促した。

「あぁ…はい。だから…」

 サクの言葉の歯切れは悪く、その指がまた髪の毛へと伸びる。
 まるで自分の頭の中をサク自身が確認しているかのように、ゆっくりと、ぽつりぽつりと少しずつ、サクは話を続けた。

「呪いとか…そういう類のものによるんじゃないかなと、思ってます。思っちゃいる…けど、痕跡が見当たらなかった。術者のいた位置なら…それくらい焼け跡を見ればだいたいは、割り出せる…けど、あれだけの火事を消す呪いと言ったら、それ相応の人数をそろえるか、でなけりゃ相当強大な力を持った術者が必要になる」

 サクの手にしていた煙草から灰が床にぽとりと落ちた。
 慌てたサクがもう一服して煙草を灰皿に押し付け、その始末をするため立ち上がろうとしたが、それよりも早く立ち上がったスマルがそれを制してそのまま片付け始めた。

 サクは軽く頭を下げて、またどかっと椅子に腰を落とした。
 浅く腰掛けだらりと座りながらも頭は絶えず何か考えを巡らせているらしく、髪を触る手が止まる事はない。
 床を拭く雑巾が見当たらず、ユウヒに使ったもので間に合わせようとスマルが寝室に向かおうとした時、大きく溜息を一つついたサクがまた口を開いた。

「で、これまでの経験で、あぁいった類のものに城が一枚かんでると知っている町の人間が手を貸すとは思えない。反逆罪に問われかねないからね。仮にいたとしても、あの炎の中に飛び込んで、短時間であの火事を消せるだけの膨大な水の量を操る呪いを…いや、これはないな。十人とかそこらの人数でどうこうなるような火事じゃなかった。それに…この雨なんだけど」

 寝室で雑巾代わりにする布を手にし、居間に戻ろうと扉に手をかけたスマルがビクッと震え、そのまま固まった。

 ――雨…?

 寝室から出るに出られず、サクの声に耳を傾ける。
 スマルのその視線の先には、やっと波紋のような痣が消え、静かに眠り続けるユウヒがいた。

 一つ咳払いが聞こえ、またサクが話し始めた。

「馬鹿げてると思うかもしれないけど、俺はこの雨ですら、その術者の仕業ではないかと思ってる」

「へぇ…」

 ジンの感心したような声が聞こえてきた。
 スマルは先の話がどう展開するか、待ってから寝室を出ることにした。

 居間の方は、奇妙な緊張感に包まれていた。
 自分の銜え煙草から上がる煙が目に入り、いつものように顔を歪めたジンが小さく舌打ちした。

 ――こいつ…当たってやがる…。

 ジンは煙草を手に取り煙を天井に向かってふぅっと吐き出すと、サクに言った。

「納得いかなそうな顔してんな。でも何か思うところがあるから俺らに話してんだろ? もったいぶってんじゃねぇよ」
 ジンに言われてサクは苦笑して言葉を継いだ。
「あれだけの水の量を操る事ができて、その天候をも変えてしまうほどの強大な術者なんて…そうはいない、ですよね?」
「まぁ…そうだろうな」
 ジンが答え、カロンと扉の向こう側のスマルが固唾を飲んでそのやり取りに耳を傾けている。
 サクが困ったような顔をして、また口を開いた。

「俺はこの国の全ての術者を把握してるわけではないけど、こんな…これだけの事を何の準備もなしにやってのけられる水の使い手と言ったら、俺が知る限りではただ一人」
「ほぅ? 誰だ?」

 ジンが興味深げに聞き返すと、サクはふぅっと一息ついて一気に自分の考えを口にした。

「…玄武です。この国の四神、玄武であれば…おそらくあれくらい造作ない事なんじゃないかと…ただ玄武が単独で動くとは考えにくい。今回の件…俺は、どこかにいる蒼月が動いたんじゃないかと踏んでいます」

 表情こそ変わらなかったが、ジンもカロンも絶句して、寝室のスマルは思わず扉からパッと手を離して立ち竦んだ。

 ――どんぴしゃかよ、サクヤ…全くやりづれぇな、おい……。

 ジンは何か言葉を継ごうとしたが、次の一言がなかなか見つからないでいた。

 サクはジンとカロンの反応を見るかのように二人を交互に見つめたが、特に変わった様子み見受けられず、少しがっかりしたように溜息をついた。
 寝室のスマルは、居間に戻るきっかけを失ってしまって、それ以上に動揺が顔に出てしまっているような気がして、戻るに戻れずにいた。
 サクがまた口を開く。

「まぁ、あくまでも仮定というか…あれなんですけどね。実際本当にすごい術者が存在するのかもしれないし、雨だって偶然だったのかもしれないし」

 サクは立ち上がって、窓の方へと歩み寄った。

「どっちにしても…随分と都合良く雨が降り始めたものです。これだけ降れば、炎の中から火を消した痕跡があったとしても、心に思うところを抱えた人間はいらぬ恐れを感じて全てを雨のせいにして片付けようとする。だが火事で気流が起こって雨雲を呼んだにしろ、こんな偶然…起こるものなのか?」

 誰に言うともなしにそうつぶやいたサクは、腕を組み、窓の外をただじっと見つめていた。