静かな決意


 ふりしきる雨の中でも、その楼閣の美しさは際立っていた。

 暗い空の下で見るその佇まいは、晴れ渡る空に映えるあの華やかさはないものの、逆に落ち着いた風情が趣深く、楼閣がこの町と共に過ごしてきた歳月の重みを垣間見ることができる。
 昼前だというのに薄暗いこの町に、一昨晩の出来事がさらに暗い影を落とす。
 いつもは煌びやかで別世界にいるような気分を味わえるこの蒼月楼も、この日ばかりはしんと静まりかえっていた。

 スマルとユウヒのいる部屋も、ユウヒの寝息が聞こえてくるほどの静寂に包まれていた。

 火事の中でユウヒと別れ、スマルはシオを仲間達のところへと連れて行った。
 次にスマルがユウヒを目にした時、ユウヒはすでにジンに背負われ眠っていた。
 まだやる事が残っているというジンとカロンの二人と別れ、スマルはユウヒを背負ってこの宿まで戻ってきたのだった。

 濡れた衣服を脱がせると、身体に浮かび上がった模様がまだ消えずに残っていた。
 その状態では宿の女中にユウヒの着替えを頼むわけにもいかず、お湯と上質の布を山ほど部屋に持ってこさせた後は、そのまま女中を帰すしかなかった。
 目を覚ましそうにないユウヒを起こす事を諦め、スマルは濡れた衣服をとり、良く絞ったあたたかい手ぬぐいでユウヒの身体を拭いてやると、寝間着に着替えさせてそのまま寝台に寝かせてやった。

 お湯を取りに来た女中の好奇の視線で、思い出したように我に返って照れくさくなったりもしたが、それ以上にただ眠っているだけとは思えないユウヒの様子が不安でスマルは恥ずかしがっているどころではなかった。
 うなされるでもなく静かに眠り続けるユウヒの傍らで、スマルはこのまま目を覚まさないのではないかという不安と闘いながらただ座っていた。

 ユウヒが突然目を覚まし飛び起きたのは、昼過ぎの事だった。

「…スマル? ……スマル! シオは?」

 縋る様にスマルの腕をつかみ、必死の形相で問い詰めるユウヒに、スマルは静かに笑みを浮かべて言った。

「大丈夫。火ももう消えたよ」
「ほ、本当に?」
「本当に」

 腕を掴んだ手の力が抜け、ずるずるとユウヒが崩れ落ちる。
 慌ててその身体を支えたスマルの腕の中で、ユウヒが大きく息を吐いた。

「そうか。良かった…」

 吐き出す息と一緒にそうぼそっとつぶやくと、ユウヒはまた眠ってしまった。


 ジンとカロンが部屋を訪ねてきたのは、それからすぐの事だった。

 扉を叩く音に気付いたスマルは、また元のようにユウヒを寝台に寝かせて、部屋の出入り口の方へと急いだ。

「はい?」

「俺だ。入れてくれ」

 耳慣れた声にスマルが開錠し扉を開けると、いつになく真剣な顔のジンが立っていた。
 その背後にはカロンも控えている。

「ユウヒは?」

 そう言いながら部屋に入ってきたジンは、居間の中に隈なく視線を走らせる。

「まだ寝てんのか?」

 ずっと身に纏っていた雨避けの大きな布をついたてに無造作に引っ掛けながら、ジンがスマルに問いかける。
 スマルはその布を乾きやすいように広げながら答えた。

「さっき一瞬起きて…今はまた寝てます」
「そうか…何か言ってたか?」

 長椅子に身体を預けるように投げ出し、早速煙草に火をつけたジンが、満足そうにその煙を吐き出しながらスマルに聞いた。

 スマルは一瞬答えを躊躇したが、ジンの視線に渋々口を開いた。
「シオは無事かと聞かれて…大丈夫だって答えました」
「…それで?」
 ジンに先を促され、スマルは少し考え込んだ。
 スマルの様子を見て、ジンは長椅子から円卓の方へ移動し、壁に寄りかかって話を聞いていたカロンもそれに倣う。
 そしてスマルも円卓の方へ進むと、寝室に一番近い椅子を選んでゆっくりと座った。

「俺が勝手に話すのもどうかとは思うけど…ユウヒはたぶんジンさんに話すと思うんで…」

 そう断わった上で、スマルは話を始めた。

「シオは無事っす。俺が安全な場所まで連れていきました」
「一人でか?」
 ジンが一言切り返す。
 簡単な言葉だがスマルはジンが何を言おうとしているのか理解できた。

「俺が連れて行ったのはシオ一人…って、あぁ、そっちじゃないか。えっと、俺一人じゃないっす。ユウヒの指示で、まだ助かる見込みのある者達を朱雀が助けてたんで…そこに合流させました」
「朱雀か…だろうな。で、その連中はどうした?」
「ユウヒは守護の森かどこかへ逃がせと言ってました。都を出るまでは一緒だったんで、町を出たのは間違いないっすけど…そこから先はユウヒが起きない事にはわからないっすね」
「そうか…わかった」
 スマルの言葉にジンが質問して、それにまたスマルが答える。
 カロンはそのやりとりを、ただ黙って聞いていた。

 ジンは落ちそうになった煙草の灰を指でとんとはじいて灰皿に落とすと、何かを考えているような難しい顔で黙りこくっていたが、不意に顔を上げるとまた口を開いた。