「イルが本当にいたなんて…伝説の中にだけ存在する一族だって思ってた」
ユウヒが遠慮がちに言うと、シオは寂しそうに首を振った。
「戦記なんかには必ず出てきますものね。でもイルは伝説の一族なんかじゃありません」
「シオ…」
ユウヒがかける言葉を失ってシオを見つめると、シオは力なく笑ってこう言った。
「私達イルにとって、神話は神話でなく、伝説は史実なんです。この国の歪みも私達にはわかる。皆は気付いてない、でも…このままではいずれこの国も…壊れるでしょう」
シオの言葉を聞いた途端、ユウヒの中で何かがはじけた。
それを感じ取ったスマルがユウヒの肩に手を置いたが、ユウヒはその手を跳ね除けた。
「ごめん、スマル。でも、こんなの聞いて黙ってらんないよ」
「ユウヒ…」
スマルはユウヒを制する事をやめた。
二人のやり取りをシオが不思議そうな顔で見守る。
ユウヒはそのシオの手を取って言った。
「伝説は…史実? なぜ、そう思うの?」
シオの言葉を繰り返したユウヒの方を、シオが首を傾げて見上げる。
ユウヒは力なく笑うと、シオの手を握り締めた。
「イルの人達はみんなそんな風に思ってるの? この国が壊れちゃうとか、思ってるの?」
シオはユウヒが何を言おうとしているのかわからないままに、ただその言葉に黙って頷いた。
ユウヒは握った手を見つめた。
心配そうに自分の手を見ているユウヒの姿に、シオは黙って目を閉じた。
その途端、ユウヒは弾かれたようにパッとその手を離し、シオが悲しそうにユウヒを見つめた。
「ご、ごめん…でも今、シオ…私の傷、治そうとしたんじゃない?」
頷くシオをユウヒは見つめた。
「ありがとう、シオ。でも…せっかく助けに来たのに、シオの命削って傷治してもらってちゃ…意味ないもん。ごめんね」
ユウヒの言葉にシオの顔色が変わった。
「助けに? だめです、そんなっ! そんな事したらユウヒさん達まで罰を受けます! これは…この火事は仕組まれた火事なんですよ! 私はきっと放火の犯人として捕まります。そういう事になってるんです! そのためにここで解放されたんです!」
必死に訴えるシオに向かって、ユウヒは首を振って言った。
「じゃあ逃げて。今、私の友達がまだ生き延びているあなたの仲間を探してる。助けてどこかに連れ出してる。その人達と合流してどこか…守護の森かどこかに…」
「だめです! これは…私達一族が負った宿命なんです。そういう運命だったんです。だから…」
ユウヒはシオの肩に手を置いて、その言葉を無理矢理遮った。
シオはあきらめずに食い下がってきたが、ユウヒは黙って見つめ返すだけで決して首を縦に振ろうとはしない。
「だめですよ、ユウヒさん…」
シオが吐き出した最後の言葉にも、ユウヒは首を横に振った。
「伝説は史実か…いったいどれくらいの人がそんな事考えているんだろうね…」
そうつぶやいたユウヒの言葉はまるで独り言のように、シオに向けてというよりもむしろユウヒ自身に問いかけているようだった。
その言葉に、シオとスマルは押し黙ってただユウヒを見つめた。
ユウヒはスマルの方を振り返り、自分の意志を伝えるかのように視線を投げる。
スマルはもうユウヒが何をしようとしているのか理解していた。
苦笑してスマルが頷いたのを確認すると、ユウヒは微かに笑みを浮かべ、シオに言った。
「そんな運命、受け入れちゃだめだよ…ねぇ、シオ?」
ユウヒはシオに呼びかけて、その場に立ち上がった。
「シオ。これから見ること、聞くことは、しばらく誰にも言わないで欲しいの」
「どうすんだ?」
スマルが背後から訊ねると、ユウヒは一息ついて力強く言った。
「火事を消す。スマル、あんたはどうにかしてシオを他の皆のところへ…居場所はわかる?」
スマルが目を閉じて神経を研ぎ澄まし、朱雀を呼び、その姿を追う。
覚醒したスマルには、朱雀と会話することも可能だった。
「あぁ、大丈夫そうだ」
土使いとしての力を得た今、四神達の自分との繋がりを認識したとはいえ、そう言った形で四神と会話をするのは初めてだというのに、それをこなしてしまうスマルにユウヒは感心した。
「あんたやっぱり器用ね、何やらしても」
そう漏らしたユウヒにスマルは馬鹿を言うなと照れたように笑った。
二人の会話をわけもわからずに聞いているシオは、戸惑った様子で座り込んだままだ。
ユウヒはシオに視線を戻して言った。
「シオ。こいつはスマル、私の幼馴染みなの。あなたはスマルと一緒に…」
「ユウヒさん?」
不安そうに声をかけるシオに、ユウヒは笑って返事をした。
「ユウヒでいいよ、シオ。ちょっと驚くかもしれないけど…大丈夫。絶対に助けるから」
「いったいどういう…」
そう訊いてきたシオにユウヒはただ黙って笑顔で応えた。
「出てきて、玄武」
「げ…玄武って?」
ユウヒが口にした名前にシオは自分の耳を疑い、突如姿を現した男に驚いて後ずさりする。
そんなシオの様子に気付いて、ユウヒは笑みを浮かべる。
「これ内緒、ね」
立てた人差し指を唇にあて、照れくさそうにユウヒは言った。