守護の森でスマルの土使いとしての力を解放したその夜。
ライジ・クジャの町で適当に腹ごしらえをして宿に戻った二人は、風呂に入った後、疲れ果てて倒れこむように寝台に寝転ぶと、二言三言言葉を交わしただけで睡魔に襲われ、そのまま深い眠りについた。
大きな山を一つ超えたような大変な一日が幕を降ろし、静寂が部屋の中を満たしていた。
夜中になぜかふと目を覚ましたユウヒは、一瞬そこがどこであったか記憶が曖昧になり、焦って辺りを見回した。
ユウヒは今スマルと共に、サクの用意した宿『蒼月楼』に宿泊している。
見慣れぬ部屋、洒落た調度品、揺れる灯りに、自分の居場所を確認して安堵した。
隣の寝台から聞こえてくる寝息が夜の深さを物語る。
ユウヒはもう一度寝なおそうと目を瞑るのだが、何とも言えないもやもやが消えなくて、寝ようにも眠れずにいた。
――あぁもう…目が冴えてきちゃったよ…。
そう思って、ユウヒは寝返りすら打てないほどに疲れて眠るスマルの方をにらみつけた。
――こうなってくると、あいつの気持ち良さそうな寝息すらイラッと来るな…。
大きな運命を背負ってしまった幼馴染みは、ユウヒが王であるとわかった後も、昔と変わらず、すぐ側でユウヒの事を支え続けてくれている。
幼い頃の面影が薄れても、お互いの立場が変わってしまっても、そこだけは変わらない。
スマルがそうした存在でい続けてくれている事に、ユウヒはあらためてありがたいと感じた。
――のん気な顔して寝てくれちゃってまぁ…まったく。
疲れ果てて眠るスマルが自分の気配で目を覚まさないように、ユウヒはそっと寝室を出て、しんと静まり返った居間の方に移った。
灯りの点いていない部屋は、窓から漏れ入ってくる灯りだけで薄暗い。
ユウヒは暗い部屋の中を窓辺へと進み、音を立てないようにゆっくりと窓を開けた。
冷たい風が堰を切ったように一気に流れ込み、部屋の空気を冷ましていく。
髪を揺らして通り抜ける風は、夜明け前の町の匂いを運んできた。
「…ん?」
ユウヒは思わず声を漏らした。
風が運んできたのは火薬の臭い。
花火大会があったわけでもなく、なぜそんな臭いが漂ってくるのかユウヒには不思議だった。
窓枠に腰掛けたユウヒは、身を乗り出すようにして夜明け前のまだ暗いライジ・クジャの町をじぃっと見渡した。
何かが見えてこないかと、ユウヒは目を凝らし、神経を研ぎ澄ませていく。
「…なんだろう。さっきのもやもやしたのが、すごくひどい…食べ過ぎて胸焼けしてる、とか? …じゃないよな、なんだろう。すごく…気持ち悪い」
ユウヒは服の胸元の布をぎゅっとつかんでそのむかつきに耐え、それでもなお外をじっと見つめていた。
目が慣れてきても、これと言って見えるものはない。
ただ風に乗って運ばれてくる火薬の匂いは、ユウヒの気のせいではなかった。
変な胸騒ぎを感じて、体が小刻みに震えだす。
――なんだ、これは?
苛立ちさえも感じながら、それでも町全体を眺めてひたすら「何か」を探し続ける。
不意に寝室の扉の音がして、ユウヒの緊張の糸を緩ませた。
「…どうした? こんな時間に…」
ぼんやりとしたスマルが話しかけてくる。
「あ…起こしちゃった?」
「いや、用足し。また寝る」
スマルはそう言って、寒そうに部屋を出て行った。
ユウヒはくすりと小さく笑って、また視線を窓の外に移す。
根拠のない嫌な予感を火薬の臭いが煽り立てる。
夜明け前の冷たい空気を吸い込み、完全に目の覚めたユウヒは、諦める事なくその「何か」を探し続けた。
後方でまた物音がして、何者かの気配がした。
戻ってきたスマルが、円卓に置いてあった煙草に火を点け、煙を燻らせながら近付いてくる。
「眠れないのか?」
四神達にユウヒが眠れない事を聞いていたスマルが、それとなく訊いてきたが、ユウヒは窓の外を見つめたまま首を横に振った。
「違う。目が覚めたの。なんか…気持ち悪くて…スマルは?」
力を解放したばかりのスマルには無理ではないかとも思いながら、ユウヒは一応訊ねてみた。
スマルはハッとしたようにユウヒの方を見た。
その視線を感じたユウヒが振り返ってスマルの方を見て繰り返す。
「…何? どうなのよ?」
「妙な…嫌な感じはあるけど、それの事言ってんのか? なんか二日酔いのむかつきみたいな胸焼けみたいな…」
その時まで残っていてもおかしくないと思うほどに、サクと大量の酒を飲んでいた一昨晩のスマルを思い出してユウヒが苦笑する。
「あぁ、たぶんそれ、かな? あんたのはちょっと怪しいけどね…ぁ……!」
ユウヒは暗闇の中をまっすぐに自分の方へ向かって飛んでくる一羽の鳥を見つけた。