店はいつも忙しかった。
町外れとはいえ港に近いせいか、海の向こうから来たらしい客もちらほら見え、また内陸の高地の方から来たと思わしき客も珍しくない。
様々な場所から集まってきた人達が、それぞれの持っている情報を交換し合ったりしているほか、時には珍しい品物を見せびらかしたりする客もいた。
それでもやはり客の大多数は港に関わる男達で、酒場が最も忙しくなる頃にはいつも、店の中は男達の熱気と汗と潮の匂いでむせ返るようだった。
たまに窓から入ってくる涼しい夜風が、その熱気を冷まそうとするかのように店内を吹き抜けていくのだが、熱気と煙草の煙などで澱んだ空気は、そんな風をもろともせずに店の中にでんと居座っていた。
「ジン、例のお客さんが顔を出したよ。また奥の部屋に通せばいいの?」
ふいにユウヒが調理場にいるジンに声をかけた。
なにごとかとジンが騒がしい店内に顔を出すと、今入ってきたばかりの客がジンを見つけて軽く頭を下げた。
他の常連客と違い、この客はいつもすっきりとした小奇麗な服を身に着けている。
その風体から街の商人か何かのようで、港で働くものではないらしいのだが、なぜかよくこの店に顔を出した。
「突然申し訳ありません。随分と貴重な鳥が手に入りそうだと連絡をいただいたもので…」
近づいてきたその男がそう言って丁寧にジンに挨拶をすると、ジンは何かくすぐったそうな顔をして頷き、親指をくいくいと立てて奥の部屋へ行くように促した。
この夜のこの客には女の連れがいた。
髪を二つに分けて緩く束ね、北方の高地、ガジットの民族衣装らしき服装をまとったその女は、ユウヒよりも幾分背が高かった。
ユウヒの視線に気付いたのか人懐っこい笑顔をにこっと見せると、そのまま商人風の男について奥の部屋へと入っていった。
「じゃ、悪いがユウヒ。店の方頼むわ」
「わかった」
ジンに言われてユウヒが頷く。
この商人風の男は奥の部屋に通される事が多く、その接客は決まってジン自らが行った。
この時のように客の方から声がかかることもあれば、たまたま店にこの客の姿を見つけたジンの方から声をかけて奥の部屋に案内することもあった。
いつも鳥がどうとかいう商談をしているようなのだが、この酒場でそれらしき鳥の姿をユウヒは一度も見かけたことがない。
どうやら何かわけありの特別な客らしいのだが、ユウヒは何も聞かされていなかった。
しかし、この客が何者だろうが、ジンが何を話していようが、ユウヒは全く興味がなかった。
それよりもむしろ、どうやって店を一人で回すかの方がユウヒにとっては大問題だった。
普段であれば調理場をジンが担当し、ユウヒは賑やかな店内で注文をとるなど接客を中心に動いているが、ジンが奥へ入ってしまうとこれを一人でこなさなくてはならない。
いつもジンに気を使ってか、食事時など一番忙しい時間帯は避けて来店するのだが、やはり調理場を空けられるのは一緒に店を動かしているユウヒにとって負担以外のなにものでもない。
ましてや今日は少しずつ落ち着きつつはあるが、珍しく客がまだ多い時間の来店だ。
店内を小走りに動きながら、ユウヒは一人で店をどうにかこうにか回していた。
時折、見るに見かねた客が皿や茶碗などを調理場近くの机まで運んできてくれたりするのが、ユウヒにはとてもありがたかった。
そのうち、酔いがほどよく回った客の一人から声が上がった。
「なぁ、ユウヒ。お前最近、あれはやらねぇのか? ほら、剣を持って…」
それを聞いた他の客が割って入る。
「バカだなぁ、おめぇ。ありゃ剣舞って言うんだよ。なぁ、ユウヒ」
「おぉおぉ、それだ! 剣舞だ!」
たいそうな事を思い出させてくれたとでも言いたげに、最初の客が手を叩いて返事をした。
ユウヒは何も答えずに、その様子を笑いながら見ていた。
「知ってるか? 港町だけじゃねぇ、都でもお前の舞は噂になってるんだぜ?」
「えぇっ! 本当に!?」
これにはさすがにユウヒも驚いて返事をした。
「あぁ、本当さぁ。俺もそれを聞いた時にはびっくりしたさぁ」
「俺も都で聞いたぞ? 誰か知ってる者はいるかって言うから、俺が詳し〜く説明して来てやったさぁ!」
「おぉ、いいぞいいぞ!」
まるで自分の娘か何かが褒められでもしたかのように得意げに語る客達が面白くて、ユウヒは思わず噴出し、そのまま客達の騒ぎに加わった。
「剣を持ってるのが珍しいのかねぇ。そんな噂になってるなんて、全然知らなかったよ」
ユウヒがそう言うと、客の誰もが驚いたように振り向いて、そしてユウヒに向かって口々に声をかけてきた。
「お前のあれはすごいよ。剣を持ってっていうのもそうだが…あれは、すごい」
「そうだよ、荘厳っていうんかねぇ。普通の舞とは違うんだよ、普通の舞とは!」
「何をわかったような事言ってんだ! お前に舞の何たるかがわかるんかい!」
「わかるわけねぇよ、俺ぁ海の男だぞ! ただあれはやっぱりすごいと思うんだよ。そうだろう?」
「あぁ、そうだそうだ」
大声を出さないと会話も出来なかった店内が嘘のようにおさまり、立ち上がっていた客達も皆それぞれ自分の席に座って会話を楽しみながら静かに飲んでいた。
客の何某かに言わせるとユウヒは聞き上手な性質のようで、酒の勢いも手伝っていろいろと気分良く話せるらしい。
店の中がこういった状態になった時、ユウヒは酒の追加などの注文を受けた時以外は自分も店内にいて、立って壁に寄りかかったままで会話の中に入った。
この日の話題はユウヒの剣舞だった。
皆がそれぞれ酔うにまかせて、口々に勝手な意見や思いを吐き出していた。