「そこにちょっと面白い店があってね…」
そう切り出したユウヒの顔には、何か思い出しているかのような穏やかな笑みが浮かんでいる。
「この国の人間だけじゃなくて、海を渡ってきた人や、その人達が持ち込んだ品物目当ての近隣の国の人だとかが集まる酒場みたいなところがあるんだ。良くも悪くも、いろんな情報と人、物が集まる場所でね、父さんが気に入っててカンタ・クジャにいる時には必ず通ってた店だ。そこにちょっと行ってみようと思う」
「行って、どうなさるんですか?」
今度は朱雀が聞き返したが、その声には幾分怪訝そうな雰囲気が漂っていた。
ユウヒもそれには気付いていたが、それには構わず悪びれもせずに答えた。
「今この国がどうなっているのか、内からも外からも聞けるんじゃないかな、なんて思ってね。できればそこにしばらく身を置きたいけれど…まぁそれは行ってみて…だね……」
ユウヒが王らしからぬ行動に出ようとしているその雰囲気を察して、白虎が思わず噴出した。
「どこの国に酒場で働こうなんて考える王様がいるんだよ!」
茶化し半分で言い返す白虎の声には、少しの安堵感が混ざっていた。
「お前すごいな。自分を見失わないで、できる事からやっていこうって、いつも前を見てる」
嬉しそうに言う白虎の言葉を、ユウヒは首を振って否定した。
「すごくなんかない。全部投げ出して逃げるだけの度胸がないだけだ…それにあれこれ先に知りたいとか言ってるのだって、ただ嫌になるほど心配性なだけだ。事がでかければでかいほど、不安様子を一つずつ潰していかないと…もう怖くて仕方がないんだ。思ってくれてるような、そんな立派なことじゃない…」
もう随分と眠たいのか、ユウヒの声はずいぶんと小さく聞き取りにくい。
それでも喋り続ける主の声を、四人は耳を傾けて聴いていた。
「どうにかなるさって、強気でいようとする自分と…何かに押しつぶされそうな自分と…両方がずっと闘ってるようなかんじだ…逃げ出すこともできずに、かといって腹をくくってどんと構えることも…どっちも難しくてさ。心は張り裂けそうなほどいっぱいいっぱいなのに、余裕がなさ過ぎて涙も出ないよ……」
鼓動が煩い、そうユウヒは思いながら疲れきった体で未だ考える事をやめうようとしない自分を持て余していた。
「わかってるんだ…母さんも言ってた…人間、腹をくくったら後は行動するだけだ、って。今の私に足りないもの…一番必要なもの……それ、は………」
何を言おうとしているのかと身を乗り出さんばかりに耳を傾けていた四人の耳に、その先の言葉が届くことはなかった。
ユウヒは意識を手放し、フワフワとした心地よい感覚の中で、眠りに落ちる瞬間を待っていた。
もう言葉を発することもできないが、無意識の中で頭だけは妙に冴えていた。
――偉そうなことばかり言って…私はまだ郷を出たあの時から何も変わっちゃいないんだな。
真っ白な空間で、自分の声がぐわんぐわんと木霊する。
――私に足りないもの、それは…覚悟だ。
胸の真ん中辺りがシクッと苦しくなった。
――王である事を受け入れる覚悟。王として立つ覚悟。他の人を巻き込む覚悟。
――もういいかげん腹をくくれよ、私!
苦しくなった部分がどろどろと澱んで重たくなった。
――もうあがくだけあがいたんじゃないのか? そのために森に来たんじゃないのか?
無意識の下で、自分の意思とは関係なく思考がどんどん滑るように生まれては、ぐるぐると回り、やがてじわじわと拡がっていく。
もう瞼を上げることすらも億劫な状態で、ユウヒはずっと自分自身に問いかけ続けていた。
そしてふっと、寝る前にしていた四神との会話が断片的に頭の中に蘇る。
――そうだ。土使いを探しに行かないと…スマルは、本当に土使いなんだろうか?
真っ白い世界の外側から、暗い闇がどんどん広がってきて周りをどんどん黒く染めていく。
――だったら? もしスマルが…本当にそうだとしたら……
――私はあいつに…スマルに全てを、話す事ができるんだろうか?
無意識の世界もほとんど眠りの深い闇に飲まれて、すべての思考が止まろうとしていた。
ただそこにあるのは、ユウヒが眠りに落ちる寸前に残した、吐き出すことのできない胸の一番奥にしまい込んだ澱。
――ごめん、スマル。私は自分の運命に、スマルまで巻き込んでしまったかもしれない。
ユウヒの呼吸が、穏やかな寝息に変わっていった。
主が眠りについたのを見届けると、結界だけを残し四神達の姿は洞穴の中の闇に溶け込んで消え、守護の森で過ごす最後の夜は、重く静かに更けていくのだった。
< 第2章 守護の森 〜完〜 >