月夜


「え……?」

 思ってもいなかった朱雀の言葉に、返す言葉が見つからないユウヒがいた。
 しかし、言葉を失っているのはユウヒよりもむしろ四神の他の三人の方だった。

 朱雀は構わずに続けた。

「最後の最後でもいいんです。でも、もしも聞いていただけるのであれば、ぜひ! 私がお願いしたいのはそれだけです」

「…わかった、覚えておく」

 そう言って頷き、ユウヒが向きを変えて座りなおそうとすると、その腕を白虎がつかんで止めた。

「何にも聞かないの?」
 白虎に問われて、ユウヒは自分の腕を掴む白虎の手に自分の手を添えて言った。
「私からは聞かないよ。だいたい皆がそんな苦しそうな顔をしてちゃ、聞けるわけないだろう?」
 ユウヒはそう言って白虎の手を握りしめると、自分の腕から離した。

「無理に聞かれたくない事は誰にだってあるし、それでも知っておいて欲しくて口にしてしまう事だってある。それはあなた達だって同じでしょ? 今の朱雀の言葉はちゃんと私に届いたよ、絶対に忘れないでおくから。だからその時が来たら、一緒に謝りに行こう」

 座りなおそうとしていた体勢から、ユウヒはおもむろに立ち上がった。
「さて、そろそろお開きにしようか。いろいろあって頭の中まで疲れたよう…」

「あのっ!」

「えっ!?」

 ユウヒの言葉を遮ったのは青龍だった。

「何? どうしたの、アオ」

 少し驚いた様子のユウヒを見るまで、青龍は立ち去ろうとする主を引きとめようと、自分がその腕を掴んでいることに気付いていなかった。
 ハッとしたように慌ててその手を離し、主であるユウヒに軽く頭を下げると、青龍は何か意を決したように話し始めた。

「ユウヒは、この国の王旗をご覧になった事がありますか?」

 突然切り出した様子を見て、ユウヒはすぐに青龍が何を言おうとしているのかを理解した。
 まだ少し迷っている観はあるが、青龍は朱雀がさっき口にした『謝りたい人』についての話をしようとしているのだ。

 話そうとしている青龍が苦しそうなのは変わっていないが、それでも自分に話をしようとしてくれる事がユウヒはとても嬉しかった。
「大丈夫なの?」
 滑り出た声は、ユウヒの嬉しい気持ちがあふれ出たものだった。
 その気持ちがどうという事のない言葉に何とも言えない優しい響きを与えている。
 それを感じ取ったのか、青龍の表情が少しだけ穏やかに見えた。
「はい。あなたには聞いておいて欲しい気がするんです」
 青龍が言うと、他の三人もユウヒを見て頷いていた。
「そうか。ありがとう」
 ユウヒは少し安心したように笑みを浮かべ、ゆっくりとその場に座りなおすと話の先を促した。

「オウキって、王の旗の事?」
「はい。ご覧になった事はありますか?」
 再度青龍が問うと、ユウヒは記憶の糸を辿るように空を見上げ、ハッとしたように声をあげた。
「あぁ、あれか! 四隅に陰陽の印があって、中央には大きな円と龍…違う?」
 その通りです、と青龍が頷くと、昔、郷塾で使っていた教本にその図が載っていたのだという事をユウヒは付け加えた。

 続いて口を開いたのは、しばらく黙ったままでいた朱雀だった。
「ホムラの郷塾では、王旗の意味まで教えてもらいましたか?」
 ユウヒはすぐには答えずに、サッと視線を四人から逸らした。
「えぇ〜っと…ど、どうだったかなぁ? ちゃんと講座は聞いてたはずなんだけどぉ…」
 困り果てているユウヒの様子に、四神達を取り巻いていた空気がすぅっと軽くなり場が和んだ。
「あまり良い生徒じゃなかったんだな、ユウヒは」
 白虎がそう言って茶化すと、ユウヒはさらにばつが悪そうに下を向いた。

 いつの間にか朱雀にも気負った様子がなくなり、自然にそのまま話を進めた。
「あの王旗に描かれた絵には意味があるんです。まずさっきユウヒも言っていた四つの角にある陰陽の印ですが、あれは私達四神を表わしています」
「そうだったんだ。陰陽の印になっているのは?」
「ホムラ信仰の教えに基づいているんです。善と悪、表と裏、全てのものにある二面性、それは我々四神も同じですから」

 そう言った玄武は、さきほどユウヒを茶化した白虎の事を押さえつけて叱っていた。
 ジタバタともがく白虎に構わず、玄武は言葉を続けた。
「我々四神は、確かにこの国を守護する者とされています。それだけの力を持っているからです。それはでも、一つ間違えばこの力は脅威にもなると言えるわけです」
 なるほどとユウヒが頷くと、その続きを今度は青龍が繋いだ。

「我々四神に囲まれているその中央に描かれた円と龍ですが、王旗の構図はそのまま、このクジャ王国を表わしていました。東西南北の四方にそれぞれ私、朱雀、白虎、玄武を配した、この国のかたちだったのです」
「この国の? どういうこと?」
 ユウヒが訊ねると、青龍は他の三人を確認するように見渡してから口を開いた。
「中央に描かれた絵はまさにこの国の中心となるもの。大きな円は満月、つまりは蒼月、この国の王を表わしています。そしてその上に描かれた龍なのですが…」

 青龍はここでいったん言葉を切って、一呼吸置いた。
 そして周りで自分を見つめる三人にまるで念を押すかのように再度視線を送り、最後にユウヒに視線を戻して話を続けた。
「黄龍…と、言います。蒼月が王として立つ以前、我々の中央にはいつも黄龍がいたのです。現在も龍が描かれているのは当時の名残りですが、ずっと以前の王旗には満月はなく、中央に描かれているのは黄龍の姿だけでした」

「それは、蒼月が王ではなかったということ?」

「…はい。この国の王は本来黄龍、正確には黄龍の生まれ変わりと言われる者、黄龍の力を宿した黄帝が王として国を治めていたのです」
「へぇ〜! そんな事習ったかな? どうだったかな?」
 ユウヒが感心したような声を上げて、溜息をつく。
 そして思い出したように言葉を継いだ。

「あれ? 昔って? 250年前は確か蒼月がいたって言ってたよね? もっと昔なの?」
「はい。それはもう我々ですらいつの事だったか記憶が曖昧になるほどに、気が遠くなるくらい昔の話です」

 青龍が力なく言うと、今度はまた朱雀が口を開いた。

「もう黄龍についての文献が残っているかどうかもわからない程に昔の話です。でも以前は黄帝がこの国の王でした。黄は、黄帝はその圧倒的な力で我々の中央に存在し、この国を動かしていました」
「そうだったんだ。私、全然知らなかったよ。でも、どうして? それだけの人がどうして王ではなくなってしまったの?」
 ユウヒが口にしたのは当然の疑問だったが、その言葉は四人の表情を瞬く間に曇らせた。

「あ、えぇ〜っと…ごめん、まずい事を聞いたかな?」
 ユウヒがすまなそうに謝ると、朱雀は首を横に振った。

「王でなくなってしまったのは、我々四人が黄を封印してしまったからです」

「え……っ」

 息を呑み、体を強張らせたユウヒが朱雀を見つめると、朱雀は力なく笑った。