月夜


「大丈夫。逃げたりはしない。今の自分がひどく不安定だっていうのは自覚してるけど…でも自分が随分無理してる事がわかっただけ、今朝までの自分よりはマシなんだと思ってる」

 ユウヒのその言葉に込められた意味を掴みかねて、白虎は頭を抱えて顔を歪めた。
 他の三人もそれぞれ困惑した表情を浮かべて互いに顔を見合わせていたが、そのうちの一人、青龍がたまらず口を開いた。

「ユウヒ、それはいったどういう…その……」
 言いにくそうに口ごもる青龍をまた手で制したユウヒが、今度は先ほどとは違う穏やかな笑みを浮かべて言った。

「どう頑張ったって、自分以上にはなれないって気付いたんだよ。いきなり王だって言われて、あなた達四神と過ごすようになって、自分でも気付かないうちにずいぶん背伸びをしていたみたい。もっと言ってしまえば、私は会った事もない見ず知らずの人達のために自分の人生捧げられるような、そんなできた人間じゃないって事さ」

 それを聞いた青龍が言葉を選びながらも、おそるおそる問い返した。
「それは…王、として…立たれる事を、放棄…する、と…いう意味……ですか?」
 その声はひどく震えていて、ユウヒはそんな青龍の様子に驚いたのか一瞬体をこわばらせたが、すぐに緊張を解いて首を横に振った。

「違うよ、アオ。いくら私がめちゃくちゃでも、さすがにもう王だっていう事実をなかった事になんてできないよ。ただ身の丈以上のものを抱えようとしても無理だって言いたかったの。私の手が届く範囲なんてたかが知れてるし、両手に剣を持ったところでそれにほとんど変わりはない。でもね、自分の剣の届く範囲にあるもの、できれば想いが届く範囲にあるものは絶対に護ってみせようって、それならできるかなって思ったの」

 青龍が首を傾げて先を促すと、ユウヒは頷いてまた言葉を継いだ。

「神様達にこんな話をしてもわからないかもしれないんだけど…私もリンも、どこかにお参りする時はいつも同じ願い事をしてたんだよ。『私と、私の周りの人達と、そこから繋がって広がっていくそのすべての人達が幸せでありますように』って。他人に話すと笑われるような途方もない願い事だけど、私とリンは大いなる力の前で手を合わせる度にいつもそう願ってた」

 ユウヒは話しながら、郷を出ると決めた日のリンとの会話を頭の中に思い浮かべていた。

「郷を出る前にね、そのリンが私に言ったんだよ。自分がホムラ様になる事で少しでもそれがかなえられるんだとしたら頑張ってみるって、大変な運命でも背負うだけの意味があるんじゃないかってね。何の迷いもなしにそういうあの子を私はすごいなって思った。でもそれ聞いたその時は、まだどこか他人事でね、鳥肌が立つくらいゾクゾクしたけどそれだけの事だったんだ。今日…この森でスマル達に出会って、顔は見られなかったけどリンの気配を近くで感じて、そしたらリンのこの言葉を思い出したよ。王に選ばれたからってこの国にあるすべてを丸抱えしなくちゃって気負ってた自分が、本当に馬鹿みたいに思えたよ」

「それで…不安というのは? 何がそんなにユウヒを押しつぶそうとしているんですか?」
 自嘲するように苦笑しているユウヒに、今度は朱雀が問いかけた。

「私は…私の周りにいる人達の笑顔が、その周りの人達の幸せの上に成り立っているというなら、そっちの人達の幸せごと護ってやりたいと思うんだよ」
「はい」
 こともなげに返事をする朱雀に、ユウヒが怪訝そうな顔をして言葉を投げる。

「まったく…そんな簡単に返事をしてくれちゃって。まるでわかってないね、アカ」
「え!?」
 少し怒気を含んだようなユウヒの声に、朱雀が驚いて顔を上げた。
「あの…わかっていない、というのは…どういうことでしょう?」
 困ったようにあれこれと考えを巡らせている朱雀にユウヒが答える。

「私の言った周りにいる人達に、みんなも入ってるって事だよ。ちゃんとわかってる?」

「えぇっ!?」

 そう言ったまま朱雀は固まり、他の三人も思いもしなかったユウヒの言葉に驚いて目を見開いたままだった。

「ほら…わかってない」
 ユウヒはそう言って笑うと眼下の暗い森と、そこから広がっている視界の全てを見渡した。

「あなた達四神と出会った事だって、もうなかった事にはできない。国の民を幸せにする事が王の務めなのだとしたら、私はあなた達にも同じように幸せであって欲しいと思う。この国をずっと見つめてきたあなた達四人は、きっと誰よりもこの国を愛してるこの国の民だと思うから。そんな大切な国を任せられるんだもん、あなた達の顔が曇ってるようじゃ、王様失格でしょ?」

 四人はただ黙って、ユウヒの背中を見つめたままその言葉に耳を傾けている。

「とか、偉そうに言ったところで、ただの人間がこの国の守護神四人にしてあげられる事なんて、たかが知れてるけどね。実際、自分にそれができるのかってのも疑問だし、その疑問はそのまま不安でもある。自分の小ささを再確認できちゃったから、漠然としてるけどのしかかってくる不安は正直すごく大きいよ。それでも今日スマル達と会えたのは、自分の身の程を思い知ることができたし、あれはあれで良かったんだと思う」

「じゃあさ、ユウヒも笑ってろよ?」
 言い終えてほぅっと息を吐いたユウヒに向かって、唐突にそう言ったのは白虎だった。
「ユウヒが言いたい事は何となくわかった。不安なのは無理ないと思うし…でもさ、俺達に幸せでいろって言うなら、ユウヒはずっとこのままで、でもって笑ってるのがいいよ」

 振り返ったユウヒは、笑っていた。

「うん、そうするつもりだよ」
「無理に笑顔を作ってはダメです。あと、私もあなたにはそのままでいて欲しいような気がします」
「アカ…」
「同感ですね。蒼月である以前に、ユウヒであるご自分を大切になさってください」
「アオ、お前までそんな…」
「当然ですよ、主の幸せを願わないはずないでしょう。皆の笑顔の裏側にあなたの苦悩があるようでは困ります」
「クロ…まったく、四人が揃いも揃って私のことばかりだよ。でも、ありがとう。志がせこくて申し訳ないけれど…」

 その言葉には四神の全員が一様に首を振った。

「せこいだなんて…大切なことだと思いますよ。それに、今おっしゃった事は、簡単なようでとても難しいことだと思います」
「うん…私もそう思う」
 玄武の言葉にユウヒが頷き、そのまま続ける。

「私の事以外には? 他には何もないの?」
 四人は顔を見合わせ首を傾げていたが、ユウヒは構わずに言った。
「私にできるかどうかはわからないけれど、何かあるなら聞いておきたいんだよ。何でもいいから聞かせてくれないか? 虐げられてる種族の事とかじゃないよ。そういうのは聞かなくてもわかる。そうじゃなくて、あなた達の事が聞きたいんだ」
 そこまで言い切ると、ユウヒは向きを変え、四人の顔が見えるように座りなおした。

「具体的に話されても、神様の願いを私がかなえてあげられるとは到底思えない。でも、何か希望があるなら聞いておきたいんだよ」

 四人は再度顔を見合わせたが、ふいに朱雀がユウヒの方を向いて口を開いた。
「何でも…いいんですか?」
「いいよ。聞かせて」
 ユウヒが答えると、朱雀は少しだけ迷ったように視線を宙に泳がせたが、他の三人に確認しながら一気に言った。

「全て終わってからでもかまいません。もしも会えるのなら、謝りたい人がいるのです」