「ユウヒ! お前、本当にユウヒなのか?」
キトが驚きの声を上げた。
その声にユウヒはゆっくりと頷き、その視線をまた目の前の妖獣の群れに戻した。
「いろいろ話したいとこだけど、今はそれどころじゃないね…いい? 二人とも聞いて」
スマルとキトは黙ったままでユウヒの言葉を聞いていた。
「ここは私がどうにかする。二人は早くリンを追って」
「お前はどうなる?」
スマルが聞き返した。
「私なら大丈夫、問題ない。二人が無事に森から出て逃げきれるまで、こいつらは私がここで足止めしとく。だから…」
「大丈夫なわけないだろう!?」
ユウヒの淡々とした言葉に、苛立ちを抑えきれずにスマルが言った。
「お前一人で大丈夫なわけないだろう! 何考えてんだ、ユウヒ!」
スマルがそう言うと、ユウヒはなぜか突然何かを思いついたかのように二人を制していた剣を退き、その剣を二本とも鞘に納めた。
「なんで剣を納めてるんだよ、ユ…」
「手紙…読んだんだよ、スマル」
ユウヒの肩越しに聞こえてきた言葉の意味がわからず、キトがスマルの方を見ると、スマルは驚いたような蒼褪めた顔で、ユウヒの背中を見つめていた。
「こいつらに私は襲えない。私だけなら大丈夫なんだよ。言ってる意味、わかるよね、スマル」
目の前の二人が何の話をしているのか、キトにはまるでわからなかった。
戸惑っているその耳に、またユウヒの声が聞こえてきた。
「わかったんなら行け! 早く逃げろ!」
「そんな事言ったって…ユウヒ、本当に大丈夫なのか?」
キトがたまらず言うと、ユウヒはまた少し振り返ると笑みを浮かべて言った。
「大丈夫。だいたい二人を逃がそうってのに私がやられてちゃ駄目でしょ? あんた達が私を助けに戻ってきちゃうようじゃ意味がない。だから大丈夫」
「何なんだよ、その理屈はっ…」
「……わかった」
ユウヒに言い返したキトの言葉を遮り、スマルが返事をした。
「言われた通り、思いっきり逃げてやるよ。逃げ足だけは速ぇんだわ、俺らは」
「お、おい…スマル……」
キトが戸惑ってスマルを止めようとするが、スマルは笑いさえ浮かべて言葉を続けた。
「お前こそ、ぼんやりしてるうちに食われてんじゃねーぞ」
スマルが自分の剣を二本とも鞘に納めるのを見て、キトは困惑の表情を浮かべながらもスマルのそれに従った。
「いいのかよ、ユウヒ」
キトがユウヒに声をかけると、明快な声で返事が返ってきた。
「いいよ。そっちこそ、もたもたしてたら私が追いかけてって切りかかるからね」
「えっ!? ちょっとユウヒ、そりゃ勘弁だって…」
キトに戸惑いながらもいつもの調子が戻ってきた。
「なんかよくわかんねーけど、大丈夫ってんなら俺も逃げさせてもらうわ。悪いな、ユウヒ」
それを聞いて、ユウヒは満足そうな笑みを浮かべて頷いた。
「さ、行って! リンに何かあったら、ただじゃおかないからね!!」
ユウヒが声をかけると同時に、スマルとキトは宮の遣いやホムラを乗せた輿が消えた方に向かって走り出した。
後方でユウヒの声がして、振り返ると少し前に見かけたあの深紅の鳥がまた姿を現し、二人の頭上を追い抜いていった。
「その鳥についていけば、じきリンに追いつくからっ!」
その声にキトが手を上げて応え、二人はそのまま森の中を走り続けた。
見た事もないその赤い鳥は、時々二人を気遣うように振り返っては、飛ぶ速さを加減しているような様子を見せた。
再会を喜ぶ間もなく別れたユウヒを思い、二人の顔から徐々に笑みが薄れていった。
「なぁ、スマル…」
「あぁ?」
「ユウヒ、大丈夫だよな…いや、それよりなんで白髪だったんだ?」
「俺が知るかよ」
キトの問いに、スマルが吐き捨てるように答えた。
「お前、良かったのか?」
スマルの様子がおかしいのを感じたキトが話を続ける。
「ユウヒ探せって言われてたんじゃなかったのかよ?」
「……まぁな」
「戻らなくてもいいのか?」
「……」
何かを考え込んでいるスマルは、下を向いたまま走り続けていた。
「スマル?」
「…生きてりゃ、また会えんだろ」
それだけ言うと、スマルはまた黙ってしまった。
スマルの頭の中には、手紙を読んだというユウヒの言葉が重くのしかかっていた。
――あいつ、自分が王だっての、わかってんだな…
ユウヒが妖獣を前にして大丈夫だと言って笑ったのを思い出し、さらに重苦しい気分になったスマルは、無意識に自分の胸元で揺れる勾玉を握り締めていた。
――今のユウヒに俺の助けなんかいるのかよ、チコ婆様……
苦しげな顔をするスマルの横にキトが並び、その腕がスマルの腹に向かって伸びてきた。
鈍い音を立て、キトの握り締めた拳がスマルの腹に入る。
「うわっ!」
いきなりの事に驚いて顔を上げたスマルにキトが言った。
「事情はよくわかんねぇけど…これ以上ウジウジやってやがったら、ユウヒじゃねぇけど、俺がお前切るぞ、おい」
「あ……」
キトに言われて初めて、スマルは独り考え込んで内にこもり始めていた自分に気が付いた。
「悪い…キト……」
「別にいいけどさ。この先、護衛に支障が出るほど考え込むのはやめてくれよ?」
「あ、あぁ。大丈夫だよ、悪かったなキト」
「素直なのが逆に気持ち悪いんだよ、お前!」
キトがにやりと笑ってスマルを見ると、スマルも笑ってキトの方を見た。
「俺に微笑みかけるなよ、ニイナに悪いだろう!?」
「ここで嫁の名を出すのかよ、お前は!」
またいつもの調子に戻ってきた二人は、ふざけ合ったり、宮に着いてからの段取りを確認したりしながら、前方の低空を飛ぶ赤い鳥の後について走り続けた。
気が付くと、二人は無事に森を抜け、再び街道を都に向かって走っていた。
赤い鳥はいつの間にか姿を消し、その代わりに前方にはホムラ様を乗せた輿とその一行が小さく見えてきた。
「急ごう、スマル」
そう言って勢いをつけて走り出したキトに並んで、スマルは走りながらポツリと行った。
「キト。悪ぃんだけど、ユウヒに会ったことは他言しないでもらえるか?」
申し訳無さそうにいうスマルに、キトは黙って頷いた。
久しぶりに友との再会を果たした森が、背後にどんどん遠ざかっていく。
複雑にうごめく思いを胸に秘めたまま、二人はただ黙々とひたすら走り続けた。
後方では、さきほどの深紅の鳥の甲高い啼き声が、まるで二人の事を見守るかのようにいつまでも空高く響き渡っていた。