シムザは青い顔をして、その剣を抜いた。
「ほ、ほら…こうしてしまえば……」
「なんてことをしたんだ、シムザッ!」
キトがシムザに怒鳴りつけた。
「まずいな…すぐに仲間が嗅ぎつけてくるぞ…」
スマルが静かにつぶやくと、シムザがさらに青い顔をしてスマルを見上げた。
「え…?」
怯えた視線をぶつけてくるシムザに、スマルは苦笑して声をかけた。
「おい、シムザ。お前、その血が着いた上着を脱げ。あと…剣もだ。二つともここに置いて、リンを連れて一刻も早くこの森を抜けろ」
「えぇ…?」
シムザの声は、興奮で上ずっている。
スマルはシムザを冷たい目で見下ろして言葉を続けた。
「いいか。こいつはな、縄張りから出てけば何もしてこねぇんだよ。ただ、こうなってくると話は別だ。もうじき群れの仲間が襲ってくる…」
「そ、そんな…」
シムザの目に恐怖の色が浮かんだ。
「自分のした事がわかったんなら、早いとこリンを連れて森を抜けろ。いいな?」
「……は、はい」
シムザはスマルからもキトからも目を逸らして小さく返事をすると、その視線から逃げるように輿のところまで戻った。
状況を察した宮からの遣いがスマル達の方に視線を投げてきた。
その視線に応えてスマルとキトが頷くと、宮の遣いの主導で担ぎ手達が動いた。
宮の遣いはスマル達に一礼すると、そのままホムラの輿と共に足早に立ち去っていった。
ふと気が付くと、上空に大きな鳥のような妖獣達がいつの間にか集まってきていた。
獲物を狙うかのように、頭上でくるくると円を描いて飛び回っている。
「まずいな…上見てみろよ、スマル。どうするよ?」
「う〜ん、どうしたもんか…ただ返り血を浴びてるシムザを追っていかれては…」
「だよなぁ。あいつ置き去りにするわけにもいかねぇし」
キトはそう言って苦笑した。
周りの空気が張り詰めている。
群れはもうすぐそこまで来ているようだった。
「おいおい、俺達二人でどうにかなる数じゃなさそうだぜ?」
キトがわざと情けない声で言うと、スマルが苦笑しながら答えた。
「そんなもん最初からわかってるよ。さて、どうすっかな」
自分達の命が危ないという現実が迫ってくる。
だがそれよりも、確実に追手を足止めできる手立てがない事の方が今の二人には問題だった。
どうすれば皆を無事に森から外に出せるのか、もう手詰まりに近かった。
二人はお互いの困惑しきった顔を見やって、力なく苦笑した。
その時――
二人の頭上で、聞きなれない鳥の啼き声のようなものが聞こえた。
「なんだ?」
そう言って空を見上げた二人の目に、見た事もない深紅の鳥の姿が飛び込んできた。
その鳥が空に響き渡る甲高い声でもう一啼きすると、上空に円を描いていた鳥達はパッと弾き飛ばされたかのようにその場から退き、そのままどこかへ飛んでいってしまった。
「な…なんだ、あれは?」
不思議そうにつぶやいたキトの耳に、今度は別の低い声が響いてきた。
「きたか…」
「あぁ…団体さんの到着だ……」
スマルは持っていた剣を左手に持ち替え、肩越しに背負っていたもう一本の剣を右手で引き抜いた。
キトも腰に下げたもう一本の剣を抜いて、スマルの隣でそれを構える。
「さて、どう出てくるかね?」
「俺に聞くなよ、スマル…」
二人の額に汗がにじみ、緊張した空気があたりを支配し始めていた。
興奮した妖獣達の息遣いが聞こえてくる。
頬を伝う汗が、やけに冷たく感じられた。
相手の出方を伺い動くことすらできない。
スマルもキトも汗ばむ手の平で柄を強く握り直した。
その時だった。
頭上高く、誰かが叫ぶのが聞こえ、直後、両手に剣を持った何者かが目の前に降り立った。
「剣をひけ!」
すっくと立ち上がったその人物は、見事な白髪を風に揺らし、その剣でスマルとキトを制した。
――女か?
訝しげな表情で白髪の人物の後姿に目をやり、スマルはキトと顔を見合わせた。
その声は確かに女のものだったが、剣を押さえている力は到底女のものとは思えなかった。
「剣をひけ、二人とも。こんなところで寄り道している場合じゃないだろう!」
再び聞こえてきたその声に、スマルもキトも聞き覚えがあった。
白髪の人物は、背を向けたままで言葉を続ける。
「ここは私にまかせて。二人は早くホムラ様のところへ…」
「お、お前…ユウヒか?」
口をついて出たスマルの言葉に、キトが驚いて身構える。
「スマル…お前、何言ってんの?」
キトが顔を歪めてそう言ったが、スマルはまっすぐに白髪の人物の背中を見つめていた。
「ユウヒだろ?」
目の前に立つその人物からの返事はない。
ただほんの少し、その影が揺れた。
「ユウヒなんだろ? お前、なんでこんなところに…だいたいお前、今どっから来た?」
スマルの言葉は止まらなかった。
「あぁぁぁ、もうっ! 質問の多い男だな、お前は!」
剣を押さえていた力がふっと緩み、発せられる声に笑いが混じった。
緊張の糸が切れたかのように、その白髪の人物を取り巻いていたピリピリとした空気が穏やかなものに変わった。
「まったく…あいかわらずだな」
そう言って振り返り、肩越しに笑って見せたその顔は、紛れもなく友のものだった。
「久しぶりだね、キト。スマル」
髪の色こそ違ってはいたが、間違いない。
そこにはユウヒが立っていた。