スマルがもう一度、気配のする方に目をやると、一瞬だけではあったがはっきりとその姿を見ることができた。
熊ではないが、それと同じような姿形をしている。
やはり思った通り、縄張りに入ってこられて警戒しているだけで、そこから出てしまえば襲ってくることはないと聞かされている妖獣だった。
これならばどうにかできそうだと、スマルはホッと一息ついた。
――相手が少しはかしこいヤツらで良かったよ…
そう思って向き直ったスマルの前に、シムザが真剣な顔をして立ちはだかっていた。
「おぅ、なんだ? どうしたシムザ?」
少しおどけた調子でスマルが訊ねると、シムザは険しい顔つきで、怒ったようにスマルにつっかかってきた。
「さっきから、何二人でコソコソやってんですか?」
「コソコソって、何が?」
――まったくこいつは…いらんとこばかり見てやがる…
スマルは苦笑してシムザを見返した。
「何でもねぇよ。そろそろ休憩も終わるぞ? ちゃんと休めたか、シムザ」
「…はい。で、どうしたんすか? 何かあったんでしょ?」
シムザはスマルから何か聞きだせるまで引かないとでも言いたげな勢いだった。
そんな二人の様子に他の担ぎ手もさすがに気付いて、何事かと皆スマル達の様子をうかがっている。
――はぁ…まいったな、こりゃ。
困り果てた様子のスマルを見かねて、前方からキトが駆け寄ってきた。
「おいおい、どうしたんだよシムザ。皆が心配そうにこっち見てるじゃないか」
キトがそう声をかけたが、シムザはスマルを見上げるようににらみつけたまま、視線すらも動かそうとはしなかった。
スマルとキトは視線を合わせて、やれやれと言ったふうに首を振った。
そしてスマルはハァッとため息をつくと、シムザの肩にポンと手を置いた。
「心配すんな。ほら、持ち場に戻れ、出発するぞ! 皆もだ、そろそろ出るぞ! もう少しで宮の遣いとの合流地点のはずだ」
スマルが声をかけると、男達は重たそうに腰を上げて出発の準備をし始めた。
シムザはまだ納得がいかないと言いたげな顔をしていたが、出発の準備をするために自分の持ち場に戻っていった。
台座が片付けられ、男達が掛け声と共に輿をまた持ち上げる。
「大丈夫か? いくぞ!」
キトが声をかけると、一行はまたゆるりと歩き始めた。
担ぎ手であるシムザが目に見えて周りを警戒している。
その気配が後方の追手を煽っているようで、スマルの背中に感じる気配が休憩の前とは明らかに変わっていた。
シムザに声をかけようにも、それすら危険と思えるほどに後方の警戒が強くなっている。
これはどうしたものかとスマルが考えを巡らせていると、前方のキトからの合図の口笛が聞こえてきた。
どうやら宮の人間を見つけたらしい。
あいかわらず警戒の色が強い後方を気にしながらも、スマルは宮から遣わされた人間の方に意識を動かした。
その時だった。
輿を持つ手を離し、シムザがスマルに駆け寄ってきた。
「今の口笛、何なんすか?」
担ぎ手達の間に動揺が走り、歩みが止まった。
「何の話をしてるんですか、シムザさん!」
担ぎ手の一人から声がかかったが、それには答えずにシムザはスマルにくってかかった。
「さっきからずっと、二人でわけのわからない口笛で合図して…後ろに何があるんです?」
担ぎ手達の動揺がさらに大きくなり、それに煽られるようにシムザの声も大きくなった。
「休憩の時も、後ろ、気にしてましたよねぇ?」
シムザはそう言うと剣を抜き、後方に向かって歩き始めた。
「おい、よせっ! シムザ!!」
キトが呼び止めたが、シムザは聞かずに剣を構えて気配のする方へ進んでいく。
「やめろ、シムザ。戻れ」
より警戒色の強くなった妖獣からの気配にスマルが静かに諭したが、シムザは一向に聞く気配を見せない。
緊張感の高まる中、前方から宮の人間が姿を現した。
「ホムラ殿のご一行とお見受けする…な、なにごとだ?」
ただならぬ雰囲気に宮の遣いが声をかけてくると、担ぎ手達の緊張の糸が一瞬プツリと切れた。
すると、その時を狙っていたかのように、ついに追手がその姿をスマル達の前に現した。
「下がれ、シムザ! キト、いくぞっ!!」
「おぉっ!」
シムザと妖獣の間にスマルが割って入り、その背後から駆け寄ったキトが、シムザの襟首を掴んで後方へ投げ飛ばした。
「うぁ……」
手から剣が離れ、シムザは他の担ぎ手達の前に転がった。
宮の遣いと、担ぎ手達を背後に背負った形で、スマルとキトが妖獣の前に立ちはだかった。
「宮の方! こちらの油断でこのような事態になってしまった! いきなりで大変申し訳ないが、そちらの輿にホムラ様が乗っておられる! ここからはそちらにホムラ様をお願いしたい!!」
スマルはまず後方の宮の遣いに向かって声をかけ、続けて担ぎ手の者達に指示を出した。
「ここは俺達がどうにかする! お前達はそこの宮の方と一緒にホムラ様を連れて先に行け!」
スマルの声を聞き、担ぎ手達はそれぞれに再度輿を持ち直してその場を去ろうと歩き出した。
「こいつは縄張りに入ってこられて気が立ってるだけだ! 大丈夫だから先に行ってくれ!」
キトもスマルに続いて声をかけた。
だがシムザだけは二人の指示には従わなかった。
地面に落ちた剣を拾って握り締めると、シムザは妖獣に向かって走り出した。
制止するスマルとキトを振り払い、そのまま前方の妖獣に突っ込んていった。
「びびってないで、倒してしまえばいい終わりでしょうがぁっっ!!」
「馬鹿っ!」
「よせっ、シムザッッ!!」
二人は慌ててシムザを止めようとしたが、シムザの剣は妖獣の心臓付近に突き刺さっていた。