再会


 その日、ホムラ郷はいつにも増して慌しかった。
 神宿りの儀においてホムラ様に選ばれたリンが、都に上がる日を迎えたからだった。

 ホムラ様となった娘が都に上がるその儀式は「ホムラ渡り」と呼ばれる。
 本来であればこの「渡り」は古くから伝わる伝統的な行事であったはずなのだが、どういう理由かすっかり廃れてしまい、現在では全く執り行われていない。
 そればかりか「渡り」についての記述は、伝統行事であるにも関わらず極限られた書物にしか記載がされておらず、郷の年寄り衆でもそれについて知る者はほとんどいなかった。
 渡りが行われるのも二百年以上ぶりのことで、郷の長老ユンはこの儀式に関わるそのすべてについて、年寄り衆の一人チコ婆の裁量に委ねていた。
 チコ婆は、年寄り衆の中でもホムラ郷に古から伝わる書物を管理する立場にある。

 ホムラ郷に伝わる書物は、その郷の規模の割には所蔵量が多く、郷の一番奥まったところにある社の蔵と地下の倉庫にその全てが収められている。
 その中には門外不出とされ、さらにはその閲覧が管理する者以外には許されていない物まであり、そういった類の書物や石板には必ず呪が施され、その内容については厳重に守られていた。

 事の起こりは、宮から遣わされた早馬だった。

 前回、王の崩御を伝える早馬が宮からホムラ郷に遣わされたのは、かれこれ二百年以上も前のことだったので、その真意を知る者は書物を管理するチコ婆以外には誰一人いなかった。
 郷が騒然とする中、年寄り衆が臨時に召集され、チコ婆はその早馬が遣わされたことの意味をその場の皆に伝えた。
 王の崩御の後、一番最初に執り行われる「神宿りの儀」というホムラ郷の祭では、「ホムラ様」として信仰されている神が舞を舞う娘達の誰かに宿り、その娘がさらに王を選び出す。
 誰も知らなかった祭に隠された本当の意味に、年寄り衆達は愕然とした。

 そして祭の夜。
 神が宿ったのはリンという娘で、王に選ばれたのはその姉、ユウヒだった。

 ユウヒとリンは、チコ婆の孫である。
 チコ婆は独自の判断で、王としての運命を受け入れるかどうかを孫であるユウヒ自身の判断に託し、そのユウヒはそれから程なく、郷を出て守護の森に向けて旅立った。
 彼女には詳細は知らされておらず、ただ何者かに選ばれたということのみが伝えられていた。
 チコ婆はそんな孫の行動について、他の年寄り衆にはすべてを知った上で修行に出るといったような説明でごまかしたが、長老のユンにだけは自分の真意を伝えていた。
 長老はただ黙って頷きそれを受け入れ、現在ではチコ婆と共に事の成り行きを見守っている。

 そんな折、宮からの通達がホムラ郷の長老宛てに届いた。
 王の崩御の時とは違い、それは正式な手続きを踏んだ上の通達で、装飾の施された鞍をつけた馬に騎乗した、いかにも宮の者といった風貌の男によって届けられた。
 長老から相談を受けたチコ婆もその通達に目を通したが、それを送ってよこした人物は最初の早馬の時とは違っていた。

 妙に形式ばった文章からは、宮側の意図を簡単には見て取れない。
 ただ二百年以上も前に廃れてしまった行事をよく知りもしないで無理矢理復活させた事は明らかで、それまで関わりを持とうともしなかったホムラ郷とそこから選ばれたホムラ様のことを妙に立てようとする様が逆に不自然でならなかった。
 突然「ホムラ渡り」などという古い儀式を復活させ、ホムラ様を宮に迎えることには何か政治的な意図があるに違いない。
 それが長老とチコ婆の間で出した結論だった。

 また、その通達にユウヒの気配はまるで感じられなかった。
 郷を出たユウヒが王に即位したとは考え難かったが、かといって宮からの要請を蔑ろにするわけにはいかない。

 年寄り衆が緊急に召集され、チコ婆から「ホムラ渡り」についての説明がされた。
 それからは輿の用意やホムラ様の装束の準備、護衛の者、輿を運ぶ者の選出などが相次いで行われ、一気に郷は慌しくなった。

 それが今から二月ほど前の事だった。
 そしてついに「ホムラ渡り」の日を迎えた郷は、慌しい中にも重苦しい緊張感に包まれていた。

 輿を持つ者は男ばかり八人が選ばれ、その中にはシムザも含まれていた。
 ホムラ様であるリンとシムザの仲については、郷の中では知らない者の方が少なかった。
 宮側の真意がわからない状況下でホムラ様を引き渡すにあたり、少しでもリンに不安のないようにとの配慮でシムザが選ばれたのだった。

 当初、シムザは輿の担ぎ手ではなく護衛の方にまわりたいと申し出ていたが、時として感情に流されやすく冷静な判断を欠くことがあるシムザは護衛には不向きであるとされ、その申し出が受け入れられることはなかった。

 代わりに護衛の任を言い渡されたのは、郷の若者達をとりまとめる事の多かった刀鍛冶の見習いスマルとその親友のキトだった。
 キトは郷の娘ニイナと夫婦となったばかりで周りにはそれを気遣う者も多かったのだが、何より護衛に付く事を強く希望したのはキトとニイナ自身だった。
 スマルとキトは、渡りの出発を前に年寄り衆に呼び出され、守護の森を越えるにあたっての注意事項の再確認がされていた。

 守護の森は妖魔、妖獣の類の棲み処となっている。
 とは言え、渡りが行われる昼間に襲ってくる恐れのある妖の種族は極少数に限られている。
 また、縄張りを避けて通れば襲ってはこないもの、こちらから手出しをしなければ何もしてこないものなど、危険の度合いが下げられるものも多かった。

 危険な妖の特徴とその対処方法を繰り返し確認すると、最後に宮からの遣いにホムラ様を引き渡す段取りについて話がされた。
 こちらの説明についてはとても簡単なもので、ホムラ郷を出た一行は守護の森の中ほどで宮からの遣いと合流し、そこから先は宮主導の下で都までいくことになっているとの事だった。

 一通り話が終わり、立ち上がった二人に、長老が再度声をかけた。
「ホムラ様を、リンの事をくれぐれも頼んだぞ」
 力強い声の中にも、リンの事を心配する優しさが見え隠れする。

「わかりました」

「必ず無事、宮まで送り届けます」

 返事をしたスマルとキトは顔を見合わせて頷くと、年寄り衆の方に向き直り深々と頭を下げる。
 長老が頷いたのを確認して、二人は年寄り衆達のいる部屋を出た。