守るべきもの


「俺は……ここで全てを見届けなくてはならない。違うか?」
「陛下……」

 ここ最近では聞かれることのなかった力強い王の声に、兵士達から安堵の声が漏れる。
 シムザはリンを抱く手に力をこめ、そして言った。

「何か違うと内心思いながらも、つまらん見栄でここまで突き進んだのは俺だ。利用されているとわかってはいたのに……退く勇気がどうしても持てなかった。皆にはすまないと思っている」

 王の言葉に兵士達が極自然に頭を下げる。
 顔を上げたリンが安心したようにシムザに笑いかけ、シムザがそれに応える。
 そしてシムザのその視線は、ゆっくりとユウヒに向けられた。

 そうなると面白くないのは今まで政を思うがままにしてきた重鎮達である。
 その中心人物でもあるロダが、シムザをどうにかすることを諦めてユウヒの方に近付いた。
 数歩ほどの距離をおいて立ち止まったロダを警戒して、ユウヒとの間にサクが割って入る。
 シュウはロダに背を向けたままでユウヒを抱きかかえ、その傍らにはナナと、ナナに押さえつけられたままのシオがいた。

「なんだ、お前は……」

 怪訝そうな顔でロダが言うと、サクは目下であるにも関わらず頭を小さく下げたのみで、そのまま口を開いた。

「サクと申します、ロダ殿。彼女に何か?」

 その言い方と態度が気に入らなかったのか、ほぼロダの思う通りに事が運んでいるというのに、ロダはいかにも不満そうに低く言った。

「サク? あぁ、ショウエイのところの……まぁいい。お前にはあとでいろいろと聞きたい事がある。それでだ……将軍。シュウ禁軍将軍!」

 相手にする価値もないといいたげにおもむろに目を逸らし、ロダがシュウに話しかける。
 サクは不愉快そうに顔を歪め、シュウはユウヒを抱きかかえたまま、涼しげな顔で振り向いた。

「……何か?」

 シュウの態度に驚いたのか、ロダは一瞬ひるんだようにも見えたが、すぐにまた口を開いた。

「どうだ? 死んだか?」

 そう口にしたロダのその顔は醜悪に歪み、何がおかしいのか、口許には笑いすら浮べているようにさえ見える。
 そんなロダをまるで睨みつけるかのように見据えるシュウの視線は、部下である禁軍の兵士達ですらもハッとして息を呑むほどに冷たく凍り付いていた。
 武人の長たる人物の殺気すらも感じさせるその表情に、ロダも思わず言葉を呑む。
 シュウはそっとユウヒの頬に触れ、その温度を確かめる。
 心なしか血の気の戻ってきたその顔に、シュウはついに腹を括った。

「死ぬ? こいつが、ですか?」

 その声は明らかにロダに対しての敵意が込められている。
 シュウは顔にかかったユウヒの髪をそっとはらってやると、サクに向かって言った。

「サク、こいつを頼む。お前の仕事はこっちだろう。その爺さんの相手は……俺の仕事だ」

 驚いたように振り返ったサクは、シュウを見つめた。
 シュウは妙にすっきりした表情で、ユウヒを支えるようにとサクを促す。
 サクがユウヒを支えると、シュウはゆっくりとした動作で立ち上がり、そのまま月華の柄をぎゅっと握り締めた。

 悲愴感溢れる蒼褪めた顔で見つめるシオに、シュウは笑みを浮かべて大丈夫だと声をかける。
 そして皆が見つめるその中心で、シュウはユウヒの胸に突き立てられていた月華を一気に抜き去った。
 ナナが目を背け、その隙にシオがユウヒに駆け寄る。
 慌ててその胸に両手を当てるがそこから血が噴出すことはなく、その代わりにシオの両手に添えられる手があった。

「え……」

 呆然とするシオが声を漏らし、続いて涙が止め処なく溢れ出す。
 サクが安堵の溜息を吐き、その気配を感じ取ったシュウがロダに向かって言った。

「月華でいくら貫いたところでこいつは……いや、この方の命を奪うことはできませんよ。まぁ、首を落とせばさすがに死にますが」

 苦笑するシュウに向かって、ロダが怒ったようにまくし立てる。

「ならばそうすればいいだろう! そこにいる女の首を落とせ、将軍。何をやっている!? その剣は王をお護りするがために下賜されたものであろう? 何を躊躇う!!」
「躊躇っちゃいませんよ。あなたもご覧になったはずだ。私は……月華であの方の心臓を貫いた。そうでしょう?」

 嘲るような笑みを口許に浮かべ、シュウがロダを見下ろしている。
 ロダは圧倒されつつも、それでもシュウを睨みつけている。
 シュウは手にした月華をロダに向けると、驚いて切っ先を見つめるロダに対して言った。

「この月華には……我々歴代の禁軍将軍しか知らない、ある能力があるんですよ、ロダ殿。私は今まで半信半疑だったが、先ほどそれを試してみました。なるほど、あなた達のような馬鹿を黙らせるには、確かに有効かもしれない」
「な、何を貴様っ!」
「いいですか、ロダ殿。あなたは先ほど月華は王を護る剣だと仰った。だが……違ったんですよ」

 いったい何を言い出すのかと、そこにいる者達の意識がシュウの言葉に集中する。
 ロダもまた、その先の言葉を待っているようだった。
 シュウは背後のユウヒの意識が戻ったのを確認すると、ロダだけでなく、辺りに居合わせた全ての者達に向かって言い放った。

「王だけ護ってどうします? 民を見殺しにして、その上に立つ王など……いいですか、ロダ殿。月華が守るべきは、王であって王ではない。真に守るべきもの、それは王がその背に背負うと決めた……この国の民なんです」