守るべきもの


「よく頑張ったな、ユウヒ」

 心なしか少し蒼褪めているように見えるヒリュウの顔にユウヒが手を伸ばす。
 ヒリュウはユウヒに触れていた手を戻し、今度は自分の頬に触れるユウヒの手を掴んだ。

「大丈夫? 私より、ヒリュウの方が大変そうに見えるよ?」
「……かもしれないな。ここは……この場所は、あまり好きじゃないんだ」
「どういう事?」

 その言葉を聞いたヒリュウは、ユウヒの手を強く握り、そして静かに下ろして手を離した。

「ここに来る人間はお前で三人目なんだよ、ユウヒ。俺もそう。そしてもう一人が……カヤだ」
「カヤ、さん?」
「あぁ、そうだ。月華で命を落とした、最初で最後の蒼月だよ」

 ヒリュウは何か思い出したように瞬きというには少し長めに目を閉じて、また目を開いて言った。

「俺がこの場所を嫌いなのも、お前が怖いと感じるのも同じ理由なんだ。お前が魂を共有していながら理由がわからないのは、俺がそれについて触れたくなくて全部閉じていたからだ。今から、その理由を教えてやろう」
「え?」

 聞き返す暇を与えずヒリュウがユウヒの額にその手を翳す。
 ユウヒの眉間が強く光って、その光がすぅっとユウヒに吸い込まれると、ユウヒの目から大粒の涙が溢れた。

「泣いてくれるのか……」
「……ヒリュウが、泣けなかったから」
「……そう、か…………」

 そう言って、ヒリュウはユウヒの頭をくしゃくしゃと撫ぜた。
 そこは昔、月華によって心臓を貫かれた時の蒼月、カヤと、同じように心臓を貫かれたヒリュウも来た場所だった。
 特に名前のある場所ではないが、別に滄海の中というわけでもない。
 月華によって心臓を貫かれた王だけが辿り着く『場所』だった。

 王――。

 つまりは『蒼月』のみが来るはずであったその場所に、昔ヒリュウは来たことがあった。

 ヒリュウを手にかけたのは他ならぬ蒼月、カヤであった。
 同じ時に月華によって試されたヒリュウとカヤは、ここで会い、そしてその後カヤだけが蒼の世界から深く暗い闇の底へと沈んで行ったのだ。
 助けようとするヒリュウの体は強い力によって押し上げられて上へ上へと上っていく。
 その伸ばした手の先に見えていたカヤの体は、どんどん小さい点に変わり、ついには闇へと飲まれて消えた。

 やがてヒリュウは現実世界で息を吹き返す。
 痛みだけを残して無傷で目を覚ましたヒリュウの目の前には、血の海の中、自分を刺した後で自らの心臓を貫いて息絶えた蒼月、カヤの亡骸が転がっていた。
 自らもその装束を血の色に染めてヒリュウを抱き起こしたその手は、親友でありまたその時の朔、ザインのものである。
 呆然とするヒリュウを抱えて、ザインは静かに涙を流していた。

 全てはこの時から始まっていたのだ。
 ヒリュウの記憶がユウヒの心を揺さぶり掻き毟る。
 声にもならないユウヒの叫びは、ヒリュウの心の叫びでもあった。

「そうか。だからこの場所が嫌なのね、私。大切な人を失った場所だから」

 ぼそっとそうつぶやいたユウヒを、ヒリュウは憂いをおびた瞳で見つめていた。
 その時だった。
 温かな風のような何かが二人の間を通り抜けた。
 そのぬくもりに包まれ、心も落ち着きを取り戻していく。
 やがてその温かな何かは光となってヒリュウの周りをぐるぐると回り始めた。
 そしてそれはもう一つ小さな光を生み出してユウヒの方へと伸びてきた。
 ユウヒに寄り添うように、ヒリュウを支えるように優しい光が二人を包み込んでいく。
 先に気付いたのはユウヒの方だった。

「リン! あんたまで……何、どうした? あんたは無事なの?」

 その言葉に応えるかのように小さな光はくるくると回り、やがてはじけて光の粒となって消えた。
 ユウヒは驚きに目を瞠ったが、すぐに笑みを浮かべて光を纏ったヒリュウを見つめた。
 そんなユウヒをヒリュウは不思議そうに見つめ返す。

「わからない?」

 意味ありげなユウヒの言葉にも、ヒリュウは首を傾げるばかりだ。
 ユウヒは小さく息を吐いて、ヒリュウに向かって言った。

「うちの妹が連れてきてくれたよ。ヒリュウに会いたがってたってさ」
「……誰が?」

 その言葉に答えたのは、もう一つ、ぽうっと灯った淡い光だった。

「お前に会いたいなんていう物好きなんて、あとにも先にもあの方達しかいらっしゃらないよ」

 そんな声が聞こえた途端、その淡い光は小さな渦ができるほどの勢いで回転し、ヒリュウの時と同じようにやがてゆっくりと人の形となっていった。