守るべきもの


 月華の真の力――。

『その刀身で心臓を貫いても、その者が真に王として立つに足る人物であれば、その者は死なずに蘇る』

 心臓を貫いても生きていられるなど、歴代の禁軍将軍の誰もがただの神話か伝説の一部として作り話だろうとどこかで自分に言い聞かせ、心の底から信用することができなかった。
 だがこの局面において、もしもユウヒを助けられる方法があるのだとしたらもう月華の力を、そして何よりユウヒの事を信じるより他はない。
 シュウはユウヒの腹に突き刺さる月華の柄にそっと触れた。
 その瞬間、自分の手が震えている事に気付く。

 ――くそっ、びびってんのか。だがこれを抜いたら間違いなくひどく出血する……。

 シュウの心にまた躊躇いが生まれる。
 その背後でロダが何事かとそわそわしているのが感じられる。

 ――俺達があくまで王を護る禁軍として振舞えるようにこいつがしてくれたのも、全てはこの月華の能力と……俺もか。俺と月華を信じての事なんだろうな、ユウヒ。

 ふっと息を吐いてシュウが月華の柄を握った時、ロダのさらに背後から、人を掻き分けて近付いて来る女の声が聞こえてきた。
 その声に思わず柄を握っていた手をシュウが放す。
 振り返ると、シムザを抱き寄せて静かにシュウの事を見つめるホムラの姿がそこにあった。

「ホムラ様……」

 困ったような顔でつぶやいたシュウに、ホムラは大きな声で言った。

「何をしているのです、シュウ将軍! 王はまだ脅えておいでなのですよ。すぐに……今すぐにその者にとどめを刺すのです!」

 その言葉にはさすがにシュウも驚いて目を瞠った。
 ホムラがとどめを刺せと言っているのは、ホムラの実の姉なのだ。
 だがシュウもさすがにそれで吹っ切れた。
 ユウヒを見下ろし、シュウは目を細めた。

 ――絶対に還って来いよ、ユウヒ!

 祈るようにシュウは思った。

「脅える必要はございません、陛下。今、すぐに片が付きますから……」

 そう言うと、シュウは柄を握る手に力を込め、そこから月華を一気に抜き去った。
 ユウヒの腹から血が拭きだして、装束が一気に赤く血で染まる。
 返り血を浴びたシュウから、ロダを始め、多くの者が目を背ける中、禁軍、黒州軍両軍の兵士達とホムラだけは目を逸らすことなくシュウのなす全てを見守っていた。

「…………っ」

 シュウは両手で逆手に持った月華を振り上げると、声にならない声を上げ、そのまま一気にそれをユウヒの心臓に突きたてた。
 その独特の感覚が手に伝わり、シュウは思わず顔を歪める。
 何か考えがあるのだろうと思っている禁軍の副将軍達ですら、あまりの出来事に言葉を失い蒼褪めている。

 シュウは大きく息を吐き、改めてユウヒを見つめた。
 見れば見るほど、自分の行いが間違いだったのではないかという念に駆られる。
 そんなシュウの心を逆撫でするかのように、背後でロダの声がした。

「さすがは王をお護りする禁軍の将軍と言ったところか。ご苦労だった」

 笑いすら含んでいるように聞こえるその声に、シュウは黙ったままで拳を握り締めた。

 気が付くとすぐ横にはサクが立っていた。
 城の人間とはいえ、ユウヒ達と行動を共にしたことで微妙な立場に立たされているはずのサクが、事も無げに佇んでいることにシュウは驚いたが、それにも増して驚いたのはサクが声もなく静かに涙を流していた事だった。

「……お前」

 シュウの小さなつぶやきなど、今のサクには届きそうにない。
 どうしたものかと見つめるシュウの耳に、サクの悲痛な声が聞こえてきた。

「なんで……どうして何も覚えてないのに……」

 苦しげな声で吐き出されるその言葉の意味が、シュウにわかるはずもない。
 だが、それは言っている本人もまた同じようで、内心の混乱がありありと見て取れた。

「何も覚えてないのに、なんでわかるんだ? こんな事になってるのに」
「おい、大丈夫か?」

 思わずシュウが声をかけたが、サクからの返事はない。
 目の前のユウヒから目を逸らすことなく、何かをじっと噛み締めているようにも見える。
 不意に力が抜けたかのように、一瞬だけサクがふらついた。
 それを支えようとシュウが体勢を変えたが、サクはそのまま踏みとどまり、シュウの手を借りることはなかった。
 だがどこかぼんやりとしていて、いつもと少し雰囲気が違うようにシュウは感じていた。

 サクは小さく溜息をついて、ぼそりと悔しそうにつぶやいた。

「また……またお前のこんな姿を見る事になろうとはな。もう二度とごめんだと、思っていたのに……馬鹿野郎が」

 言葉の意味がわからずシュウは改めてサクを見たが、サクはただただ呆然とユウヒを見つめて涙を流すばかりだった。
 おそらく自分でも何を言っているのかわかってはいないのだろう。
 そろりそろりとユウヒに近付き、サクがその傍らに屈みこむ。
 心臓を貫いた月華にそっと触れると、サクは俯いたままシュウに声をかけた。

「これは……将軍が?」

 その声と空気はいつものサクに戻っていた。

「……あぁ、そうだ」

 戸惑いながらもシュウが答えると、サクは静かに頷いて言った。

「そうですか……ありがとうございます」

 聞き取るのがやっとだった。
 それくらい小さく、儚い声だった。
 まさか礼を言われるとは思わなかったシュウが、心配そうにサクの顔をのぞき込む。
 サクはユウヒを見つめていたが、シュウにはユウヒではなく、ユウヒを通して他の何かをサクは見つめているように思えた。

 あまりに自然に現れたサクに、それまで気付かなかった重鎮達が気付き始め、その場がざわざわとざわめき始める。
 だが血というものを見慣れていないせいなのかどうか、脅えた様子でユウヒにもサクにも近付いてくることなく、遠巻きにその様子を窺っている。
 シュウは手を上げて部下を数人近くに呼びつけると、ホムラとシムザについていてやるようにと指示を出した。

 辺りを静けさが包み始める。
 サクはユウヒの頬に静かに触れると、誰にも聞こえない小さな声で、まるでユウヒに語りかけでもしているように優しく囁いた。

「ヒリュウも還って来れたんだ。お前なら大丈夫なはず……大丈夫だよな。戻ってこい、ユウヒ」

 サクが無意識に起こしたのかどうか、小さなつむじ風が砂を巻き込んで通り過ぎて行った。