耳に独特の閉塞感、そして周りの音が消えた。
聞こえるのは……――。
聞こえるのはただ、はじけた泡が上っていくごぼごぼという音……――。
何かに飛ばされ、いきなりどこかに放り込まれたような感覚。
自分がどこにいるのか、それさえもはっきりとしない空間。
振り返ると、ゆらゆらと揺れる光は輝きながらもどんどん遠ざかっていた。
――ダメだ。これじゃダメだよ、シュウ。お願い、気付いて……シュウ!
声にならない声で、力の限りユウヒは叫んだ。
届かない、もう既に誰に届くこともなくなったその言葉を。
心の底から搾り出すように強く、もっと……もっと強く……――。
ふわふわと漂うように浮かび、そしてユウヒはゆっくりと沈み始める。
光はさらに遠ざかり、暗い闇の中へと降下していく。
そしてユウヒは目を閉じて、その体を蒼い世界に投げ出した……―――。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
――少しの間、この場を頼む。
シュウはユウヒの言った言葉を、頭の中で何度も何度も繰り返した。
言葉通り考えるなら、少しの間どうにかすれば、その後は他の誰かがどうにかしてくれるという事だ。
問題は他の誰かが『誰であるか』という事である。
ユウヒは刺された直後、シュウに『ちょっと予定が変わった』と言っていた。
予定通りであればどうであったのか、シュウにはわかっている。
シュウ自らが手にした月華で、ユウヒを貫いていたはずだった。
それがつまりはユウヒと、そしてシュウも考えていた『予定通り』だった場合の結果だ。
だが傀儡の呪によって何者かに操られた王、シムザに月華は奪われ、ユウヒはシュウにではなくシムザに刺された。
その事実が、禁軍の将軍達に伝えられてきた月華の持つ本当の能力に何か影響してくるのかどうか、シュウはそれをずっと考えていた。
腕の中のユウヒは顔色も蒼褪め、既に意識はほとんどないように見えた。
その身を完全にシュウの腕に預けている。
シュウはぐったりとしたユウヒを見つめながら、行動を起こすならば急がなくてはならないという焦燥に駆られ、またそれと同時に前将軍から聞いた話がもしも本当でなかったらどうするかという迷いも拭いきれずにいた。
自分の判断の遅れがこれまでの全てを台無しにしてしまう事だけは確かであるのに、自分だけが知っているその月華の真の力というものはあまりに突拍子もないもので、それがまたシュウに二の足を踏ませているのだ。
ユウヒの肩を抱く手に思わず力が籠もる。
その時、背後の城門の方から騒がしい物音がして、シュウが今一番顔を合わせたくない面々が揃って自分達の方へと近付いてきた。
顔を上げたシュウの瞳の中に、興奮を押し殺したような笑みを浮かべる顔がいくつも映る。
「……出てきたか、ジジイ共が」
思わず顔を歪め、腹立たしげにシュウがつぶやいた。
いつもは塔の上の方から、訳知り顔で下覗いているだけの城の重鎮達――王のとりまき連中――が、揃いも揃って出てきたのだ。
そのうちの一人、ロダが口を開いた。
「これはこれは……王自ら不当な輩に手を下しましたか。さすがは我が君」
その言葉にハッと我に返ったシムザが、恐怖に歪んだその蒼白い顔をおそるおそるユウヒの方に向けた。
その双眸が、シュウの腕の中にいるユウヒを見つけて揺れる。
視線がゆっくりと動き、その腹を貫いている剣を捉えた時、シムザはさらに白い顔をしてがくがくと震え始めた。
「そ、そんな……」
「どうなさいました、陛下」
ロダを始め、そこにいる重鎮達の誰もがその口許に浮かびそうになる笑みを噛み殺している。
戸惑う王に手を差し伸べようとするものは誰一人としていなかった。
それでいて、さも王の身を案じていたかのような言葉を並び連ね、震える王を見下ろすように拝礼をするのだ。
わざとらしくその一団に背を向け、自分の肩越しに見たその様子に、シュウは吐き気を催しそうな程の不快感を覚えた。
そんなシュウに向かって、ロダは言った。
「お前も、ごくろうだったな……将軍。よくぞ、王を護ってくれた」
その空々しい言葉に思わず歯噛みをしたが、ユウヒをその場にそっと横たえ、シュウはロダの方に向き直って地面に膝をついたまま、無言で頭を下げた。
「で、その女は? もう、死んだのか?」
仮にもホムラの姉である存在に対し、ロダは見下したような笑みを浮かべている。
シュウはそれが我慢ならず、思わずその視線からユウヒを護ろうとでもしているように、その視線の先に割って入った。
「どうしたのだ、将軍。何か問題でも?」
そう言って覗き込んでくるロダの態度に、シュウはある決心をした。
ここにいる自分以外の人間が、誰一人として知らない月華の真の力……それを試すならば今ではないか、そう思ったのだ。
シュウは視線をユウヒに戻した。
ユウヒの意識は既にない。
だが、今のままでは月華の力が発動するのかどうか怪しいとシュウは感じていた。