ライジ・クジャ


 祠に戻ると、ショウエイは持ってきた木箱をおもむろにサクに渡した。
 そして小さく笑みを浮かべると、何事も無かったかのように少し離れて壁にもたれかかった。

 先にそのような態度に出られては、サクとしても動きようがなくなる。
 諦めたように溜息を吐いて、サクは黄龍のすぐ側まで進んで立ち止まった。
 そのサクの顔を見た黄龍は、驚いたようにその腕を掴んで言った。

「なんだこの傷は。何があった?」

 訝しげに覗きこんでくる黄龍に、サクは自分でも驚くほど冷静に嘘を吐いた。

「青龍省のさ、あの部屋のものは、けっこう難しい物が多いからね」
「……お前らしくもない」

 そう言った黄龍の言葉にスマルの存在を確信しつつ、サクは力なく笑って言った。

「ちょっと考えごとをしていたからな。それより……ほら、持ってきたぞ。どうすればいい?」

 サクは木箱を片手で持って、黄龍の方に差し出す。
 黄龍が困ったようにホムラを見ると、ホムラは全てを察したようで笑みを浮かべて頷くとサクに言った。

「その箱の封を解いて下さいませ、サク様。この祠の中であれば、解き放たれた結び目はライジ・クジャに吸い寄せられます。あとは私にお任せ下さいませ」
「あぁ、わかった。じゃ、封印を解くよ」

 サクはそう言って箱を床に置き、そのすぐ側に腰を下ろした。

「わかるのか?」

 そう心配そうに尋ねる黄龍に、サクはつい苦笑を漏らした。

「あぁ。俺、記憶はないんだけどさ、何だろうな。体が覚えてたっていうか……もうコレ、一回封印解いたあるし。だから大丈夫だよ」

 そう言い終わって、サクが大きく一つ深呼吸をした。
 閉じた目を開こうともせず、サクはただ無心に印を結んだ。
 サクの解放を宣言する言葉が二度響き、祠の中の空気が渦を巻くように動き出す。

 その時だった。
 不意に黄龍の目から涙が零れた。

「黄……黄龍?」

 驚いて声をかけたサクの目の前で、誰が見てもそれとわかるほどに黄龍が震え出した。
 その瞬間、その男からスマルの気配が消え、完全に黄龍の気配だけになった。

「大丈夫か?」

 そう言って差し伸べられた手に気付き、涙を無造作に拭った黄龍が腕ごと掴んで言った。

「急ぐぞ。こいつが……うるさい」
「こいつってスマル? うるさい? どういう事?」

 サクが聞き返すと、その答えは別の方向から返ってきた。

「姉さんが刺されました」
「刺さ……っ、どういう事だ? 何故わかる!?」

 睨みつけるように視線を送ったその先にいるホムラの目からも涙が溢れている。

「本当なのか? おい、ユウヒは大丈夫なのか?」

 ふと、サク自身、情けない程震えている事に気付いた。
 その震える手をもう片方の手で必死に押さえ、サクは黄龍とホムラを交互に見た。
 ホムラは何も語らなかったが、黄龍は自分を、正確には自分の中にいるもう一人の男を落ち着かせようとするかのように、大きく息を吐いてから静かに言った

「あんたの蒼月を信じてやれ。体を貫いてるのは月華。なら大丈夫なはずだろう?」
「だから俺は何も覚えてないって言ってるだろう! あぁ、くそっ。もういい、急ぐんだろ? だったら続けてくれよ! ここで泣いてたってどうにもならない!!」

 ホムラの動揺のせいか祠は鎮まりかえっていたが、サクの言葉に涙を拭い、もう一度あらためてホムラがライジ・クジャの上に手をかざすと、さわさわと空気は再びざわめき、それはまた渦となって祠の中で逆巻き始めた。

 木の箱の中の小さな壷がカタカタと音を立てて揺れ始める。
 ホムラの詠唱する古の言葉が徐々に大きくなり、その独特な旋律は空気の中に染み渡る。
 やがてそれは逆巻く風に乗って、祠の中をぐるぐると回り始めた。
 ライジ・クジャは一層強く輝き、溢れ出した光が黄龍の方へと伸びてくる。
 さらには同じような光がその小さな壷からも飛び出して、風と、古の言葉とを束ねるかのようにゆらゆらと揺れながら、渦の中に溶けるように消えていった。

 サクは焦る気持ちはあったものの、自分にできる事は何もなく、ただその光景をぼんやりと見つめることしかできないでいた。