その頃、サクとショウエイは既に青龍殿に着いていた。
第三者の邪魔が入らぬようにと入り口には施錠をして、大臣執務室の奥へと進む。
ショウエイに促されてサクの方が先に奥の間に入る。
即位式の際に見たのと変わらないその場所で、サクは急いで例の小さな木箱を探した。
その様子をじっと見つめながら、ショウエイは何をするでもなく、かといってサクを手伝うでもなく、ただ入り口のところで壁に寄りかかっている。
それに気付いたサクが何か言いたげに顔を上げると、それを待っていたかのように、ショウエイが口を開いた。
「ねぇ、サク。君はやっぱり……あの娘が王に、蒼月になったら…………」
顔を少し上げてサクがショウエイに聞き返す。
「はい?」
ショウエイは静かに笑って、同じ言葉を繰り返した。
「彼女が蒼月になったら、君がやっぱり朔として彼女を支えていこうと考えているんですか?」
いきなり切り出された言葉に、サクが驚いたようにショウエイを見つめる。
その真意を測ろうとでもしているようなサクを前に、扇を手にしたショウエイは氷のような微笑を浮べている。
「……正直に?」
軽く答えていいものかどうか、判断しかねてサクがショウエイに問い返す。
その問いにショウエイが頷くと、肩にかかっていた長い髪がはらりと落ちて揺れた。
その顔に浮かぶ笑みが、少しいつもと違って見える。
ゆっくりと近付いて来るショウエイに向かってサクは言った。
「正直に言ってしまえば……朔なんて誰でもできる奴がやればいいって、そう思ってますよ。別に俺じゃなくったって、この城にはそんな人間いくらでも……」
その言葉をショウエイは小さく鼻で笑う。
「それはどうかな」
穏やかなショウエイの声が聞こえた途端、サクの頬にちくりと痛みが走り、赤い血が一筋滲む。
反射的に手をやったサクの指先が、うっすらと赤く染まった。
――詠唱破棄の……かまいたち、か?
その傷の正体を何となく理解したサクが、ハッとしてすぐ横まで来ていたショウエイを見た。
ショウエイは笑っていた。
ついさっき目にした氷のような微笑の意味を、サクは何となく理解する。
そしてショウエイから目を逸らし、サクは吐き捨てるような口調で言った。
「あなたがやりゃいいじゃないですか」
その言葉に何か思ったのか、ショウエイの吐息が小さく聞こえた。
それと同時にサクの髪が数本はらはらと落ち、顔や手にまたいくつか痛みをサクは感じた。
「君は……国をその手で動かしてみたいと、考えた事はないんですか?」
視界の隅で、ショウエイが首を傾げて自分を見ているのがわかる。
サクはめんどくさそうに首の後ろに手をやると、すぐ横にいるショウエイを一瞥してから口を開いた。
「別にないですね……あぁ、そうか。俺が邪魔だって、そう言いたいわけだ」
そう言って、サクがもう一度ショウエイの方を見る。
ショウエイはまた微笑みを湛えた顔で頷いて、さらににっこりと笑って言った。
「そう、邪魔なんです。あの男は私に話を持ちかけてきた時に言ったんですよ。朔になりたければなればいいと。蒼月さえ護りきれば、あとの手駒はどうでもいいって」
笑ってはいるが、また何かの術を発動して風を操っているらしく、風の刃が空気を斬る音がサクの耳にうるさかった。
少し動くと装束が裂け、小さな糸屑が光って落ちる。
いくつもの風の刃に取り囲まれ身動きが取れなくなったサクは、それ以上攻撃を受けないように気を配りながらショウエイに向かって話し続けた。
「それってジンですよね? 確かにジンなら言いそうな事だ。別に命乞いをするつもりはないけど……黄龍を元に戻すのは俺が行かないとどうにもならない。木箱の封印を解くだけならあなたでも可能だけど、どうやら俺には250年前の約束とやらがあるらしいからね」
ショウエイの反応を見るかのように、サクが一旦言葉を切った。
「ショウエイ殿、術を解いてくれませんか。あいつを解放するのはこの俺だ」
その一言で耳障りな風の刃の音が消える。
ショウエイが小さく舌打ちしたのが聞こえたような気がした。
「まぁ……いいでしょう。戻りますよ、サク」
扇をまた懐中に収め、木箱を手にしたショウエイが小気味いい音を立てて指を鳴らす。
辺りの結界やあらゆる術が一気に解かれる。
自分の周りに知らず張られていた結界に、サクは初めて気付き身震いをした。
「どうかしましたか?」
あいかわらず笑みを浮かべたままで話しかけるショウエイに、サクは視線を逸らしたままで返事をした。
「いや、別に何も……」
「そう。じゃ、ついて来て下さいね。面倒な輩はまた私が追い払いますから」
「……そりゃどうも」
気分を害したことを隠そうともせずに答えるサクを見て、ショウエイはごめんねと小さく言ってから青龍殿を出た。
少し薄暗い室内から外に出た、その瞬間のことだった。
――ん? あれ?
サクは目を凝らしてもう一度前を行くショウエイを見た。
特におかしなところは何もなく、いつもの見慣れたショウエイの背中だった。
だが青龍殿を出たその瞬間、目の錯覚かと思えるほど一瞬の事だったがショウエイの周りに黒い影が見えた気がしたのだ。
――鳥、だったような……気のせいか?
袖の中に手を差し入れて腕組みをして歩くサクをショウエイが振り返る。
「……何か?」
そう聞いたのはサクの方だった。
ショウエイは少し意外そうな顔をして、そのまま何も言わずにまた歩き出した。
サクもまた、それ以上は何も言わずにショウエイの後をついて行った。