加速する運命


「あら、誰かと思ったら。お二人揃って……」

 あまりに普通に声を掛けられて、サクは一瞬言葉を失った。
 その人物はすぐ側までやってくると、サクと黄龍の顔を交互に見つめて微笑んだ。

「お元気そうで安心しましたわ、サク様。それに……スマル様、でしたわね」

 困ったように笑う黄龍の事を、首を傾げ、不思議そうに見つめるのは蒼月楼の女将だった。
 顔を覗き込んでくるその仕草には何とも言えぬ艶があり、それでいて纏う空気に品がある。

「どうなさいました?」

 呆然と立ち尽くすサクに向かって女将が問いかける。
 サクは先ほどまでとはまた違った険しい表情でその女の顔を見つめていた。

「いや……あぁ、いや、申し訳ない。ちょっと考え事をしていたもので」
「さようでございましたか。お邪魔をしてしまいましたね」
「いいえ、お会いできて良かった……しかし、出歩いている方がいるとは思いませんでしたよ」

 社交辞令を言うような性格ではないサクが、女将にそう声をかけた。
 女将はにっこりと笑みを浮かべて言った。

「お恥ずかしいことですわ。まさかこんなに人気がなくなっているなんて……私も外に出て驚きましたもの。スマル様のお連れ様、確か……ユウヒ様と、仰いましたよね? あの方には本当に申し訳ない限りですわ」
「……と言うと?」

 サクが聞き返すと、女将はその表情を少し困ったように歪めて言った。

「この町にはユウヒ様の事を存じ上げている人間が思っている以上に多いんですよ。あの方がどんな方なのか、皆わかっているはずなのに」
「どういうことです?」
「町の人間に危害を与えるような事をするはずがないという事ですよ。こんな隠れるような真似などせずとも、私達を巻き込むような事は絶対にしない。それなのにまさかこんな風にみんな隠れてしまっているとは思いも寄りませんでしたわ」
「それは……そうでしょう。誰だって面倒事には巻き込まれたくはない」

 サクの言葉に女将は苦しそうに眉間に皺を寄せて首を横に振った。

「サク様までなんです、そんな風に。巻き込まれたのはユウヒ様の方でございましょう? この国がどこかおかしいのは心のどこかで皆も感じていたはず。私だって何もしなかった人間の一人ですもの、偉そうな事は言えた義理じゃないのは承知しておりますわ。それでも、全部引き受けて立ち上がって下さったユウヒ様の事を、そんな風にはとても……」
「……そんな風に考えている方もいるんですね」

 サクがそう言うと、女将はまた笑みを浮かべて言った。

「あの方を知っている方なら、おそらく皆そうじゃないかしら。城下町だから大っぴらには言えないにしても、きっとそう思ってますよ」
「そうですか……それはちょっと、嬉しいかな」
「その仰り方。まるでそんな風に考えている人間などいないとでもお考えになっていたみたいじゃありませんか。ユウヒ様がなさろうとしている事、人間達の中にだって応援している者はたくさんおりますのに……もうちょっとこの国の民を信用して下さってもよろしいんじゃありませんこと?」

 ぽんぽんと言い返され、サクは返す言葉が見つからずにまるでやり込められたかのようにばつが悪そうに苦笑している。
 その様子を黄龍は愉快そうに眺めていたが、不意に何かに思い当たったらしく、おもむろにサクの肩に手を置いて言った。

「おい」
「あ? どうしたんだ、いきなり」

 サクが驚いたように問い返す。
 黄龍は一瞬しまったというような表情を見せたが、サクと、そして蒼月楼の女将とを順に見つめ、そして改めてまた口を開いた。

「ユウヒと……お前達三人が関わったような場所なんだが、この街にはいくつもない。違うか」
「なんだよいきなり。んー、まぁそうだな。城を除けば、イルの隠れ家のあった火事の現場、裏通りの見世物小屋、それに……」

 そう言ってサクの視線が女将の方へと移り、その瞳が衝撃に見開かれる。
 黄龍はそれを満足そうに見て、そのまま言葉を継いだ。

「それに蒼月楼、だな。ザインが何をどこまで考えて準備を進めていたかはもうわからない。だがこんな偶然、そう起こるものではない、違うか」

 その言葉にサクが黄龍を見つめ返す。
 そして改めて女将を見つめて、サクの動きが止まった。
 まるで怒ったような顔をしているサクを、女将は心配そうに見つめているが、その口許にはうっすらと笑みが浮かんでいた。

「どうだ? まだ記憶がないからわからんと言い張るか?」

 黄龍が小さくそう言うと、ふっと俯いたサクの口角がひくっと上がった。

「そうだよ……前からずっと俺は不思議だったんだ。王宮御用達でもないのに、なぜこの楼閣はこの名を掲げているのかって……それがもし、もしも記憶の残らない未来の誰かに託した鍵だとしたら……いや、でも……」

 ぶつぶつと自問自答を繰り返すサクに、黄龍が呆れたように声をかけた。

「おい。何を一人でぶつぶつとやってる。それで何かわかるのか?」
「お、女将!」
「はい?」

 いきなり呼ばれた蒼月楼の女将がにっこりと笑顔で返事をする。
 サクは思い詰めたような顔で言った。

「蒼月楼は……いつからその名で商売をしているか、わかりますか?」
「そりゃもう創業当初から、ずっと……」
「そう、ですか……」

 サクの顔に落胆の色が浮かぶ。
 店の名前に『蒼月』と入った蒼月楼であれば、あるいは何か手がかりがあるかもしれないと思ったのだが、創業当初からその名であるならば、250年前の何かがそこにあると考えるのはあまりに安易過ぎた。
 だが女将はすっと一歩下がり丁寧に拝礼すると、何とも言えない微笑を浮べてサクに告げた。

「サク様、主人の命でお迎えにあがりました。どうぞ、蒼月楼まで一緒に来て下さいまし」
「……えっ?」

 戸惑いの表情でサクが女将を見つめていると、女将はすすっとサクと黄龍に近寄って小さく囁いた。

「やっとお会いできました。もうずっと探し回って……毎日毎日、街の様子を見回っているという事にして。えぇ、そりゃもう毎日毎日、毎日ですわ」
「え? えぇ……っと、それはどういう?」
「……詳しくは店の方でお話しますわ。おそらく、サク様の期待に応えられるのではないかと」

 それだけ言うと、女将は先に店に戻って主人に話を通しておくからと、拝礼もそこそこにあっという間に姿を消してしまった。
 あとに残された二人は、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。

「……何なんだよ、これ」

 ぼそりとサクがつぶやくと、黄龍が楽しげに言った。

「何か不服でもあるのか?」
「だって、何だよこれ。捻りも何もないじゃないか! いったいどんな謎解きが待っているのかと、とにかく知っている限りの情報を一つ一つ検証していくしかないかと思っていたのに」
「呆気なさ過ぎて納得がいかないか? だが考えても見ろ、記憶がなかろうが何だろうがお前だったら……抜け道の存在さえ完全に極秘にできれば、その時が来た時にそこへ辿り着く入り口の鍵は、わかりやすいところに置いておいた方がいいって、そう考えるんじゃないのか?」

 まるでサクがどんな人間なのかわかりきったような物言いに、黄龍の方を睨みつけるようにしてサクは言った。

「お前……やっぱりスマルだろう? そのわかったような言い様、妙に腹が立つんだけど!」
「どうだかな。ほら、あの女の店に行くんだろう? 急げよ、サクヤ」
「まったく……」

 そう言って苦笑するサクは、ずっとあれこれ考えを巡らせているのだろう。
 黄龍の言葉を気にする様子すら見せず、サクは蒼月楼の方へと足を向けてすたすたと歩き始めた。
 すぐについて来ない黄龍を不思議に思い、先を行くサクが足を止めて振り返る。

「どうした? お前も来てくれないと何も始まらない」
「……あぁ。今行く」

 追いついた黄龍と並んで、サクは足早に蒼月楼を目指し進んだ。