加速する運命


「なぜ我々のところに来た?」

 答えを探しているのか、選んでいるのか、老婆は何も言わず身動きすらしない。
 二つほどの呼吸の間の後、老婆は顔を上げないままに喋りだした。

「その少女は言葉を持ちませぬ。意思を表す事もありませぬ。ですが半月程前、共に過ごすようになってから初めて、何かを訴えようとしているような眼差しを我々に向けてきました。残念ながらその思いを我々がわかってやる事はできませんでした。そしてその後、その少女は声にならぬ声を上げ、顔を天に向けて泣き始めたのでございます」

 サクは老婆の言っている事の意味がわからず、もう少し詳しく聞き出そうと身を乗り出したが、それも黄龍に止められた。
 不審そうに黄龍の方を振り返ると、黄龍は視線だけで空を見上げ、そしてまた老婆の方を向いた。

「おい、お前」
「……はい」
「そいつは今泣いてないんだな」
「はい。どうしても泣きやまず、何とも苦しそうな様子でしたが……今はそれが嘘のように。膝を抱えて、小さく蹲っております」
「そうか。で、何故ここへ来た」

 黄龍は何かを確信しているかのように話を進める。
 サクは無理に割り込むことをやめて事の成り行きを見守ることにした。

「その娘に行けと、言われたような気がしたからでございます」
「……そうか」

 おかしな話だ、とサクは思わず顔を歪める。
 だが黄龍はそうは思っていないようで、そのまま話を続けている。

「その白髪の少女に告げよ。もう必要ないと、我はここにあると」
「……それだけ、でございますか?」

 驚いて顔を上げて問い返す老婆に、黄龍はゆっくりと頷いて答えた。

「それだけで充分だ。お前は即刻その少女の許に戻り、ジン……だったか、その男が直々に迎えに行くまで、その身柄を命に代えても護り抜け」

 その言葉にはどうやら得心がいったらしい。
 老婆はまた額を地面に擦り付けるようにして黄龍に平伏し、礼が終わると急いで立ち上がり、腰の曲がったその体勢には似合わぬ機敏さでまた街の中に姿を消してしまった。

「待たせたな」

 黄龍がそうサクに声をかけた。
 サクは老婆の消えた方向を目で追っていたが、その視線を黄龍に戻して言った。

「で、どういう事なんだ、黄龍」

 困ったような表情で言うサクに、黄龍は辺りの気配を窺うような素振りをした後、小さな声で答えた。

「哭龍だ、ヒヅの」
「は? なぜそのような……いや、少女と言っていたじゃないか。つまりはどういう事だ?」

 黄龍は何故知らないのだと言う様な表情をチラつかせながらまたぼそりと答えた。

「哭龍と言っても俺達とは少し違う。それは能力みたいなもんで、それを持っているヒヅの人間といえばそれが何者であるか、もうほとんど限られてくる」

 その言葉に何か思い当たる事があったのだろう。
 サクの表情が蒼褪める。

「……まさか」
「いや、間違いないだろう。皇族、しかも正式な皇位継承権を持ってる皇族ってことになるな」
「馬鹿な……そうか、思い出したぞ。哭龍、ヒヅの皇族で次代の帝になる者にだけ現れるとされる異能……だが、あれは皇族直系男子にのみ現れる異能だったはずだ。老婆は少女と言っていたじゃないか」
「あぁ、そうだな」

 事も無げに黄龍が答える。
 サクは自分の記憶と知識の中の必要な情報を手繰り寄せながら言葉を続けた。

「それに俺が城を抜けてからいくらもない。城にはそんな重大な報告は入ってなかった。なぜそのような人物がクジャにいるんだ?」
「そんなもん俺は知らんよ。それより、いいのかお前。自分で振っておいて悪いが、今は哭龍どころじゃないだろう」

 髪に手が伸び、いつものように考え事に耽りそうになっていたサクがハッとしたように我に返り顔を上げる。

「そ、そうだった……すまない。そうだよな、話を戻そう」

 サクはそう言って辺りを見回したが、その顔は曇っていて、哭龍の事が気になっているのは疑う余地もない。
 黄龍はサクの肩に手をぽんと置いて諭すように言った。

「今はこっちだ。哭龍の方はあのジンという男が動いているようじゃないか。信用できる人物なんだろう? だったらあっちはもう任せてしまえ。今お前がやろうとしている事はお前にしかできない事だ。違うか」

 その言葉にサクは驚いたように黄龍を見つめた。
 その視線を不思議そうに見返す黄龍にサクは言った。

「お前……スマルだな。少し前から気になってはいたんだよ。スマル、そうなんだろう?」

 そう言って黄龍の反応を見る。
 黄龍は小さく笑みを浮かべたが、それに関しては何も答えずにただ次はどうするのだ、とだけ言った。
 サクはその黄龍の反応に少しの落胆を覚えはしたものの、すぐに顔を上げて黄龍に言った。

「お前は何か覚えていないのか?」

 黄龍は首を横に振って答える。

「いや。お前が考えろ。記憶がないのはわかった。だからお前だったらどうするか、考えるんだ」
「俺だったら、どうする……か?」
「そうだ」

 少しの沈黙。
 そしてまた黄龍が口を開く。

「ヒリュウ、ザイン達は次に現れるかどうかもわからないお前らに全てを託したんだ。考えろ。城に直接戻れん事などわかりきっていたはずだ。あいつが……ザインがどう考えて、この日のためにどんな準備をしておいたか、想像してみろ。お前ならどうする?」
「俺なら……抜け道か抜け穴を用意しておく。その時が来るまで誰にも知られることのないように、信用のおける者にそこを護らせておくだろうな」
「……そういう事だ。で、どこにある?」
「そこだよな……」

 そう言って大きく溜息を吐いて、サクが城に聳えている三つの塔に目をやる。
 そのまま視線をおろして、街の中をぐるりと見回した時、まるで何事も起こっていないかのように、二人の方に向かって歩いてくる人物が目に入った。

「え?」

 思わず声を漏らしたサクに、その人物も気付いたようで笑みを浮かべて近付いてきた。