囚われた王


「気配がしなくなった? それで?」
「はい。私はもう扉の向こうには誰もいないと判断しました」
「それでも万が一を考慮してホムラ様には部屋で待っていただき、私が扉の外に出ました」

 ホムラの言葉を継いでカナンが口を開く。
 シュウとショウエイの視線が自ずとカナンの方に移動する。

「思った通り、扉の外には誰もおりませんでした。争ったような気配もございませんでしたし……それでも何かがおかしいとは感じました」
「それはなぜ?」

 ショウエイが問い返すと、カナンはゆっくりと頷いて言った。

「ホムラ様がいらっしゃるのに軽率だと思われるかもしれませんが、扉を開けたのは外の気配がしなくなってすぐです。そこに誰かがいたのであれば、移動したとしてもどこかにその立ち去る後姿があってもおかしくはございませんでしょう? それがどこにも、まるでその場から消えてしまったかのように、陛下も、陛下と一緒にいるであろうその何者かも、誰一人、姿を確認できませんでした」

 言い終えたカナンがホムラの方を見つめると、今度はホムラが口を開いて言葉を継いだ。

「シムザに……陛下にそのような特別な能力はありません。何か術者がいたのか、詳しい事は私にもわかりませんが……連れ去られたのは間違いありません。今のこの状況で、王を連れ去る理由と言ったらもうただ一つ。違いますか?」

 そう言ってシュウとショウエイをまっすぐに見据える。
 シュウは小さく息を吐いて言った。

「否定できたら良かったのですが……おそらくは仰る通りでしょう」

 その言葉と気遣うような視線の先、ホムラの表情が若干曇る。
 だが、その瞳が秘めた力は少しも衰えることはなく、ホムラが多くの者達が思い描いているような儚く危うい女ではない事は、それを間近で目にしているシュウとショウエイには嫌というほどに理解できた。

 二人ともそんなホムラに少なからず興味を抱いたようで、次にいったいどんな言葉を吐き出すのか、静かに様子を窺っている。
 ホムラはシュウとショウエイを交互に見て、まずはシュウに向かって話しかけた。

「シュウ将軍。今朝あなた方の軍は黒州への行軍を言い渡されていましたね」
「はい。ですがショウエイ殿に呼ばれ、もしやと思い、自分が戻るまでは待機させてあります」
「そうですか……今の状況は王に近しい場所にいた私よりもお二人の方がよく存じているのでしょうね。そういう前提でお聞きします。この後、王の側近達はどう動くと思われますか?」
「それはやはり、正直にお答えした方がよろしいのでしょうね」
「はい。気を使う必要などはありません」

 シュウの言葉にホムラがそう言うと、シュウは少し考えて、またすぐ話し始めた。

「頭の挿げ替えでしょう。王を騙った者は死罪。何事もなかったようにユウヒを王として迎え入れて、全ての責任を陛下に。まぁ、最終手段でしょうがね」
「あなた方にはもうこうなる事は見当がついていたのですね?」
「えぇ。我々と……ホムラ様、あなたもでしょう? それとあなたの姉君ユウヒもまた、それを懸念しておられました」
「姉さんが?」
「そうです。私はユウヒに王を頼むと、王を護ってくれと言われました」

 シュウの言葉に続いて、ショウエイが口を開く。

「ただ正直なところ時期を見誤りました。側近達が動くのは最後の最後、そう踏んでおりましたから。ですが黒州があっさりとユウヒ達につきましたしね、焦ったのでしょう。黒州を治める黒主オウカ様は、聡明で真を見極めることのできる方とか。動いたのがたった一人でも、その意味するところは思っている以上に大きな影響力を持つ……と言ったところでしょうか」

 ショウエイが言い終わると、シュウがその言葉を肯定するかのようにゆっくりと頷いた。
 ホムラとカナンが顔を見合わせ、二人して小さな溜息を一つ吐いた。
 続けてホムラがまた口を開く。

「では、この段階で王が囚われたというのは、今後にどう影響してくるとお考えですか?」

 その問いにはシュウが答えた。

「おそらく我々、禁軍の黒州行きはなくなるでしょう。王を捕らえた理由がそれなら、その王をどこかへ移動させるとは思えない。それに今回は隣国が攻めてきたわけではないですからね、ユウヒ達は……ユウヒのことだからおそらく種族を問わず、なるべく民を傷付けないようにするだろうから、そういう意味での派兵は必要ない。国内へのそういった被害は出ないと踏んでいるわけです。となると、わざわざ出向いて行って周辺を巻き込むよりは……」
「ここで待っていて迎え撃つ方が得策、ということですね?」

 ホムラが言うと、シュウは神妙な面持ちで頷いた。
 そしてそのまま話を続ける。

「ユウヒ達が民を傷付けまいとしているのに、こちらがそんなことお構いなしで動いてしまってはね。ただでさえ揺れている民意すらも完全にあちらに傾いてしまう……王の側近達がそれを恐れているのですよ。だから黒州に封じ込めることよりも、王都で迎え撃つ方を選んだ。そこだけ見れば、いらぬ混乱から王都の民を護るという大義名分で軍が動いているように見えますからね」
「確かに、その通りですね。将軍、陛下は今の時点で無事だと思いますか?」
「……えぇ、おそらく。我々がユウヒを討つかもしれないし、今後の動向次第ということかな。それにあなたとの事もありますしね、どう転んでも今の場所に留まれるようにと。まったく、こういう知恵だけは持ち合わせておられるようだ」

 シュウはそう吐き捨てるように言うと、感情を全て内側に押し込めたような表情でホムラと向き合った。

「事態がどちらに転ぶにしろ、あなたには辛い結果となる。ホムラ様、申し訳ないがそれだけは……」

 シュウのその言葉にホムラは、緊張でもうすっかり温度を失った両手をぎゅっと握り締めて目を瞑った。
 その様子にはさすがのシュウも苦しげに顔を歪めたが、次の瞬間、目を開いたホムラはシュウをまっすぐに見つめ、しっかりとした口調で言った。

「あなたは王を護って下さい、シュウ将軍。それがあなたの務めです。姉さん達が王都にまで来るのだとしたら、側近達はいつ陛下に手をかけるかわかりません。もうすでに出遅れて、彼らの手に王を渡してしまっているのですから」
「申し訳ありません。ですが……よろしいのですか? 追放者となったとはいえ、ユウヒはあなたの……」
「責務を果たして下さいませ」

 ホムラの言葉がシュウの言葉を遮った。

「責務を果たして下さいませ、将軍。姉からも言われているのでしょう? 長たるあなたがそれでは禁軍がいくら優れた武人の集団でも迷いが生じます、違いますか」

 シュウを捕らえたホムラの視線が、まるでシュウの心の奥まで見透かしているようだった。
 口でどう言おうと、どう自分に言い聞かせようと、シュウは自分の意志ではどうにもならない部分でずっと迷いを拭いきれずにいたのだ。

「お恥ずかしい……仰る通りだ。申し訳ありません、即刻、陛下を探し出す手配を致します」
「そのように。それと将軍にはお願いがあります」
「はい、何なりと」

 シュウに促された後、ホムラはカナンの方を窺うように小さく振り返った。
 そしてカナンと何かを確認し合うように頷くと、シュウの方に向き直って言った。

「王より賜った月華をここに持ってきていただけますか?」
「月華を? まぁ禁軍を動かすとなると、私も常に月華を帯剣するようにはなりますが……」
「王が囚われてしまった今、それを命じる者がおりません。禁軍を動かした事、もしも咎められる様な事となったら、その時は私がその咎を負います。月華を携帯して下さい。ここで呪を施し、月華本来の力を解放します」
「解放?」
「そうです。幾重にもかけられた呪によって、もう長い間封じられていた月華を解放するのです。将軍はご存知ありませんでしたか?」

 首を傾げて答えを促すホムラに、シュウは首を横に振って答えた。

「存じませんでした。いや、引継ぎなどで話としてなら耳にしてはいるのですが……そういうことでしたらすぐに月華を取りに詰所に戻り、ついでに部下に指示を出して陛下を探そうと思うのですが。少しはずしてもかまいませんか?」

 ホムラが頷くのを確認してシュウが膝をついて丁寧に拝礼する。
 するとホムラの背後のカナンが祠の鍵を手にすっと動き、さきほど入ってきたのとはまた別の場所へと移動した。

 シュウはカナンが開けてくれたその扉から外に出て行った。
 カナンはまた二重に施錠をし直すと、足早に移動してまたホムラの背後に控える。
 また消音石が光を取り戻し始めた頃、ホムラは緊張で震える自分自身を抱き締めるように自分の腕をしっかりと掴み、ショウエイと向き合った。