不登校 幼児教室 5.囚われた王

囚われた王


 晴れ渡る空の下、左右対称に造られた飛翔殿は重苦しい空気に包まれていた。
 その日の朝議でついに禁軍出兵の決定がなされたのだ。

「まったく!」

 まるで吐き捨てるようにそう言ったのはこの国の禁軍の将軍を務める男、シュウである。
 そのすぐ後ろをついて歩いているのは、副将軍のトウセイとサジだ。

「まだ言っているのですかか、将軍」
「蝕だか何だかの混乱もまだ落ち着かねぇのに、ほんと、人遣いの荒いじじい達だぜ、全く」
「あの日はよく晴れていましたから。ずっと重たい雲が動きもせずに雨が降り続いていたというのにいきなり晴れて、そしたらあれですから……民草でなくても驚いて動揺しますよ。まだまだ混乱は続くでしょうね」

 そう言ってトウセイが溜息を吐くと、それに続いてサジが口を開いた。

「そりゃ驚いたが自然現象なんだろう? まぁ、王側近の方々はそう思っちゃいないようで……」
「あぁ、どうやらな。っつっても、俺だって半信半疑だ、正直なところ」

 相槌を打ったシュウが、ばつが悪そうに首の後ろに手をやる。
 トウセイとサジもつられて苦笑した。

「ま、何にせよ晴れてくれたのは有難い。雨の出兵でも構わないが……うちの連中だって、やはり晴れている時に比べると士気が落ちるからな」
「根が単純ですから」

 シュウの言葉トウセイが受け、そしてサジも続く。

「士気が落ちても仕事はきっちりやるんだから問題ないだろう?」
「雨で行くのかよ、うんざりだ……ってのがにじみ出てんのがたまらんのだ。ただでさえむさ苦しい男所帯なのに、それが全員湿気た面で後ろに控えてるのを想像してみろ? 誰も将軍なんざ、やりてぇと思わねぇよ」

 本当に嫌そうなシュウの言い様に、トウセイとサジは思わず顔を見合わせて笑った。
 飛翔殿の入り口から入ったところの広い吹き抜け部分には、多くの官吏や女官がいつも以上に慌しく動き回っている。

 そんな人々の間を縫うように、淡い色の衣をまとった妖艶な男が三人の方へ近付いてきた。
 慌てて拝礼する者達の方を見向きもせず、まっすぐ自分の方に向かってくる人物を見てシュウは驚いた。

「お前達、先に戻っててもらえるか? あとから行く」
「はい。出兵の話はどうします? 先に話しておきましょうか?」

 トウセイに問われて、シュウは近付いて来る男の方をちらりと見た。

「……いや。あちらの話によっては少し予定が変わるかもしれん。俺が戻ってから話そう」
「そうか。じゃ、適当につないでおくよ。どれくらいかかりそうなんだい?」
「わからんな。だがあの様子じゃあまり楽しげな話は聞けそうにもないな」

 そう言って、近付いてくる男、青龍省、通称春省の大臣ショウエイに向かって手を上げる。
 ショウエイはにこりともせずに手を上げて、シュウのそれに応えた。

「ほらな……なるべく早く戻る。そっちは頼んだぞ」
「承知!」
「わかりました」

 トウセイとサジがスッと姿勢を正し、腕を肩の高さまで上げて拝礼する
 シュウがそれに応えて頷くと、2人はそのまま背を向けて階段の方へと歩いて行った。
 2人の背中を見送り、シュウが近付いてきたショウエイの方を向くと、ショウエイはすぐ目の前まで来て立ち止まった。

「これはこれはショウエイ殿。こんなところまでお出でになるとは珍しい」
「……ここは人が多いですね。いきなりで申し訳ないんですが……シュウ将軍、私と来てもらえますか」

 心なしか顔色も良くないようで、シュウは眉を顰めてショウエイに言った。

「それは構わないが……顔色も悪いようだ。いったい何があった? どうしてそんな……」
「人を待たせているんです。それに言ったでしょう、ここは人が多すぎる。場所を変えますよ」

 シュウの袖口を掴んだショウエイが、それをぐいと引く。
 そして手を離して先に歩き始めたショウエイに、シュウは呆れたような溜息を一つ吐いてからその横に並んだ。

「何があったんだ、ショウエイ殿。そんなに急いで歩いて。体に障りは……」
「そんな事を言っている場合ではないんですよ、シュウ将軍。とにかく急いで私について来て下さい」

 そう言ってすたすたと前を行くショウエイに、シュウは苦笑しながらもついて行った。

「うちも出兵の準備があるんですがね。黒州までの行軍だが、それなりに……」
「ありませんよ、おそらく」
「は?」

 自分の方に視線すら向けずにそう言ったショウエイに、シュウはその言葉の意味を問うた。

「どういうことだ?」

 何の説明もしていない状況でシュウの質問も無理からぬ事なのだが、それでもショウエイは怪訝そうに眉を顰めてその歩みを止めようともしない。
 もう一度シュウは同じ問いと繰り返した。

「いったいどういうことなのかと聞いているんだ、ショウエイ殿」

 やや怒気を含んだシュウの声に、ショウエイがやっと足を止める。

「なんです? 急いでいると言っているでしょう」
「だったらその理由を言えばいい。今日決まったはずの行軍がない? いったい何の話をしようとしている? 急いでいる理由は何なんだ」

 シュウの言葉に、ショウエイは眉間に深い皺を寄せて溜息を吐いた。
 そしてシュウの方に歩み寄り、やっと聞こえるくらいの微かな声でショウエイは告げた。

「王の所在がわからない、と言ったら納得していただけますか?」

 下から睨みつけるように見上げるショウエイをシュウが呆然と見つめる。

「王が? いつから?」

 零れ落ちるように出たシュウの言葉にショウエイからは何の返事も返って来ない。
 ただ黙って踵を返してまた歩き始めた。
 今度はシュウも黙ってそれに続く。
 ショウエイは小さく後ろを振り返り、シュウがついて来ているのを確認して言った。

「やっと理解してもらえたようですね。急ぎますよ、ホムラ様がお待ちです」
「ホムラ様が?」

 ショウエイは頷いて、これ以上はこの場で話す気はないと言わんばかりに足を速めた。
 シュウもさすがに諦めて、そのままショウエイについていく事にした。

 普段は労いの声をかけるなどしながら歩くような人物達のただならぬ緊迫した様子に、擦れ違う人々がハッとしたように慌てて二人に道をあけている。
 その行為に対してすらも無反応に、二人は足早に通り過ぎて行った。