カウンター 4.黒主とユウヒ

黒主とユウヒ


 オウカからは何の言葉もない。
 じっとユウヒのことを見つめているだけだ。
 ユウヒは膝の上にある両手をぎゅっと握り締めてまた口を開いた。

「それが数年後、私も実際に舞台の上で舞う側にまわって……初めてそれまでの自分の考え方が幼稚で自分勝手なものだと悟りました。一緒に稽古をするようになって、実際に目の前で舞うみんなの姿を見て、圧倒されたんです。みんな同じ舞を舞っているはずなのに、違うんです。それぞれの個性がそこかしこに滲み出ていて、何よりも自分の舞いに誇りを持っていて、本当に綺麗でした」

 その時の事を思い出しているのか、ユウヒがばつが悪そうに顔を歪めて笑う。
 オウカはやはり何も言わず、ただそれを見守っていた。

「そして祭の本番がすぐそこまで近付いてきて、たくさんの人がその準備に関わって、大きな舞台が組み上げられ、篝火が焚かれ……その時を迎えるんです。初めて舞台に上がった時は震えが止まりませんでした。神聖な場所で、何ていうんでしょう……厳かな空気、っていうのかな。ホムラの祭には独特の雰囲気があるんです。その熱気が最高潮に達したところに剣舞が郷の娘達によって奉納されるんです」
「そうですね。私も立場上何度か足を運んでいますが……あれはそう、本当にいつも素晴しいですね」
「えぇ……それを肌で感じて、こんなところでみんなは舞っていたのかと、驚いたんです。そして怖くなりました。その前の年までの私みたいな思いを抱いている誰かに見られていたらって、そう思い始めたら止まらなくなってしまって……真っ白になっちゃいました」
「真っ白? まさか……」

 ユウヒは顔を少し朱に染めて小さくこぼした。

「止まっちゃったんです、私だけ。みんながどうにか助け舟出してくれたりもしたんですが、しばらくの間、舞台の一番端っこで棒立ちしてました」
「それはそれは……貴重な体験をなさいましたね」
「えぇ、本当に」

 そう言ってオウカが控えめに笑う。
 ユウヒは照れ隠しに自分の髪をくしゃくしゃやりながら頭を掻いた。

「で、剣舞に戻れたのですか?」
「……はい」
「ほほぅ、それはすごい。たいしたものです」
「そういうんじゃないんですが……開き直り、とでも言うのかな」

 ユウヒの言葉をオウカは全て聞き漏らさないように聞いてくれている。
 そうしてくれているのがユウヒに伝わってくる。
 だからこそユウヒは、肩の力を抜いて自分自身の話をしていられるのだろう。
 小さく息を吐いて、ユウヒはまた口を開いた。

「もちろん祭の舞台で剣舞を奉納するには、ある程度の年齢にならなくてはならず、一概にそうは言えないのかもしれないんですが……舞台に上がりもしないで好き勝手言ってる人間の事を、動けなくなるほど気にする必要があるのかな、なんて思っちゃったんです」

 ユウヒは力なく笑って続けた。

「実際にその舞台に上がりもしないでわかったような口利いてる人間、つまりそれ以前の私です。いや、恥ずかしかったなぁ……そこにいる人は本当に全てを尽くして頑張っているんだなってわかりました。何かあるならば、まず自分もその場所に立ってみなくちゃねって。外側にいる時は何でも言えちゃうんです。自分がそうだったからわかる。だから『下手くそとか思ってる奴は、ここまできてお前もやってみろ!』と開き直ったら、何とか剣舞に戻れました。まぁ、半分やけですね、もう」

 ユウヒがそう言って笑うと、オウカも静かに笑みを浮かべた。
 それを見て、ユウヒはふっと真顔になって、なにごとかと覗き込んだオウカに向かって言った。

「それと、全く違う話になっちゃうんですが……」

 ユウヒの態度が少し変わったのを見て、オウカが少し姿勢を正す。
 羽扇をふわりと動かして、話の先を促した。
 ゆっくりと頷いたユウヒが一つ深呼吸をして、また口を開いた。

「私、結構最近知ったんですが、私と妹はどこかにお参りするような時ってどうやら同じ事を必ずお願いしているみたいなんです」
「妹さんというと……今上のホムラ様をなさっている方ですかな?」
「はい、そうです。リンと言います。私達姉妹は申し合わせたわけでもないのに、偶然にもいつも同じ事をお願いしてたんです。『私と私の家族、その周りにいる人々から繋がっていくその全ての者達に平和で幸せに暮らせる日々を』ずいぶん欲張りなお願いなんですが……」

 オウカは少し驚いたふうな顔を見せてから、また笑みを浮かべて言った。

「それは、考えようによってはこの世に存在する全ての者達ということになりませんかな」
「はい。今回の祭の後からは特にそう思うようになりました。たくさんの出会いがあって、私の世界がどんどん広がっていく度に、あぁなんて欲張りなお願いしてたんだろうって。で、すごく今さらのようにある日気付いたんですよ。『あれ? 私はひょっとして、それを限りなく実現に近づけていける力を手にしちゃったんじゃないのかな』って」

 それを聞いてオウカが愉快そうに声を上げて笑った。
 ユウヒもつられて笑いながら、さらに話を続けた。

「逃げ出そうって思った時がなかったとは言いません。最初は真相すら教えてもらえませんでしたしね。いきなりわけのわからないものに選ばれて、そう簡単に受け入れられるわけない、ってわがままですけど。でもこの世の中でそんな欲張りな願いを実現できる、その舞台に上がれるのが私一人だって言うんだったら……舞台の横っちょでぶつぶつ誰かに頼み込んでないで、上がっちゃったほうがいいじゃないですか」
「まったく、その通りですな!」

 オウカはさらに声を高くして笑った。

「誰かのために私が動いてやろうって、たぶんそんなんじゃないんです。でもいろんな人に助けられてるうちに、自分だけの話じゃなくなってきちゃって、だけど根っこのところはたぶんそういうことです。結局自分……この国の人達が聞いたら、呆れちゃいますね」
「いやいや、国を手中に収めてどうこういうのじゃないんですから、理由やそういうものはどうだっていいでしょう、この際。あなたが今ここにこうしていてくれること、それに大きな意味がある。まぁ、それで充分。そういうことで、いいじゃないですか」

 ユウヒの言葉を否定も肯定もせずに、そのまま受け入れ、それをきちんと口にして伝えてくれたオウカのその言葉がユウヒは少し嬉しかった。

「どれ、場所を変えてまたお茶でも淹れましょうか。そうだ、執務室に私のとっておきのお菓子が隠してあるんですよ。頑張っているあなたに、特別にご馳走しましょう」

 オウカはそう言って立ち上がり、羽扇を左手に持って右手をユウヒの方に差し出した。

「どうです、我が君。おじさんの誘い、受けていただけますかな?」

 噴出しそうになるのをどうにか堪えて、ユウヒはオウカの手を取った。

「もちろん、喜んで」

 そうして二人並んで、談笑しながら歩いていく。
 ユウヒは心なしか、自分の気持ちが軽くなっているのを感じていた。