黒主とユウヒ


 黒州城の裏は庭園になっていて、水路や池が設けられていた。
 山野の風景を小さく凝縮したようなその庭を眺めながら、オウカは備え付けの椅子に腰を下ろし、ユウヒにも座るようにと椅子を勧めた。
 二人が腰を下ろしたのを見計らって女官達は茶器にお茶を注ぎ、それが終わると丁寧に拝礼し、淡い花の香りを微かに残してその場から姿を消した。

 オウカとユウヒ、二人だけになった。
 辺りは静まり返り、水路を流れる水の音などが聞こえてくる。

「あの……いいんでしょうか。まだみんな話をしているのに」

 ユウヒが戸惑いながら言うと、オウカは涼しげな顔でお茶を口に運んでから言った。

「あの場に残っていてもできる事はないでしょう。それよりも私達はとにかく落ち着くことです。ゆっくり深く呼吸をして、小さく縮こまることのないように」
「はぁ。でも……」
「何もしていないように思えるかもしれませんが、これが結構大切なのですよ。心を強い意志で熱く保っている時でも、頭の中までそうあってはならない。常に冷静な判断力を維持しておらねばならないのです」

 そう言うだけ言って、オウカは小さく切り分けられている茶菓子を一欠片、口に運んだ。
 ユウヒはそんなオウカの様子を呆気に取られたように眺めていたが、ちらりと自分の方を見た視線を捕まえた時、ユウヒは思わず破顔して言った。

「そういう事ならわかります。そうですね、私はでんと構えてなくちゃ」

 そして言われた通りに大きく息を吸って、細く長く吐き出した。

「私も、お茶菓子いただきますね」

 嬉しそうに笑ったユウヒは、そう言ってお茶菓子を一口摘まんだ。
 特に言葉を交わすでもないが、穏やかな時間が静かにゆっくりと過ぎていく。
 二杯目のお茶もすっかりなくなった頃、オウカがふと思いついたようにユウヒに訊ねた。

「気を悪くさせるつもりはないが……少し聞かせてもらえるかな」

 唐突に切り出されユウヒは少し驚いたが、それでも口の中にあるお茶菓子を喉を鳴らして呑み込むと、改めてオウカと向き合った。

「はい、何ですか?」
「うん……」

 オウカは自分の考えをまとめているのか、少しの間を置いてからまた口を開いた。

「雑音、と言ってしまっては失礼だろうが……ここまで来るにはいろいろあったのではないですか? 周りには好きな事を勝手に言っている人間だって少なからずいたでしょう」
「まぁ、そうですね。私がそうとわかった上で言っている人はあまりいなかったように思いますが、それでもそういう事がなかったわけではないです」
「そうでしょうね。だがあなたはここにいて、明日、さらなる困難に立ち向かっていこうとしている。なぜかな……どうしてそこまでできるのか、お聞かせ願えるかな?」

 無理強いをするつもりはないが……と、そう付け加えて、オウカは茶器を片付けるようにと、卓子の上においてあった透かし模様の彫り物が施してある小さくて華奢な鐘を鳴らして女官達を呼んだ。

 鐘は可憐な音で涼やかに、そして上品に鳴り響いた。
 どう答えるかを考える時間をくれているのだとユウヒはすぐに気が付いた。
 手際良く茶器が片付けられ、きれいに拭かれた卓子の上に小さな野の花が一輪飾られる。
 最後の一人の女官が拝礼して立ち去ったのを見送ってから、ユウヒは話し始めた。

「いつだったか、他の誰かにも同じことを訊かれた気がするんですが……先ほどオウカ様が見たいと仰って下さった剣舞。あれは私の母が教えてくれたものなんです」
「ほぅ。ということは、あなたの母君も剣舞の?」
「はい。今では夏祭りの前に踊り手達の指導をしています」
「なるほど。持って生まれた才能以外にも、恵まれた環境にあったわけですか」

 落ち着いた態度で、だが少し聞いた限りではまるで関係ないようなユウヒの言葉を、オウカは誠意を持って、とても興味深く聴いてくれているのは瞳の輝きで伝わってくる。
 かと言って、是が非でも聞きだそうという気配はどこにも見当たらず、話すか話さないかはあくまでもユウヒに任せるという態度を終始崩さない。
 その寛容なオウカの態度の前で、自身のことを話すことが苦手なユウヒが不思議に思うほど自然に、自身を語る言葉を口にしている。
 ユウヒの中はこの人に自分の話を聞いて欲しいという気持ちに溢れていた。
 人に何かを話す事自体は苦手でも嫌いでもなく、むしろ得意な部類に入るユウヒは、本来の調子で湧き出る言葉をオウカに伝えれば良いだけだった。

「恵まれているかどうかはわかりませんが、ホムラの郷塾が修了した辺りから後はずっと風の民として暮らしてきましたから。荷物をそう多くは持ち運べないですしね。遊びのようなものだったんです、剣舞は。母が練習しているその横で、見様見真似で私が舞っているのを見て、母が幼い私に稽古をつけてくれるようになったんです」
「遊びですか。まぁ何事も楽しくなければ続かんもの、というところですかな」
「はい。剣舞はどうやら私の肌にあっていたらしくて……気が付いた時には夢中になっていました。最初はその辺に落ちていた小枝を持って、そのうちそれが玩具の剣となり、そして剣舞用のものになっていきました。祭の舞台に上がれる様になるずっと前からもう自分用の剣も持っていました。決して無駄にお金を使う人ではなかった母から私専用のものだと剣を受け取った時には本当に驚きました」

 その頃を懐かしむように微笑むユウヒに、オウカも静かに微笑み返した。
 ユウヒの話はまだ続いている。

「自分がそれなりに踊れるようになると、夏祭りの踊り手さん達の舞も、それまでとは違った目で見るようになりました。お恥ずかしい話ですが、その頃の私は『なんでこんな下手くそなのに、平気な顔をして舞台に上がって舞えるんだろう』くらいの事を口にはしないもののずっと思っていました。私の方がもっとうまくやれるって、祭の度に舞台上の人達を内心馬鹿にしながら眺めていたんです」

 そこまで言って初めて、ユウヒが先を話すことを少し躊躇うかのように表情を曇らせた。