黒主とユウヒ


「それで……今は何を考えておいでですかな?」

 それまでとは少し声色の違う、愉快そうな、楽しそうなオウカの物言いにユウヒはハッと顔をオウカに向けた。

 オウカは遠くを見たままだった。
 ユウヒはまた視線を戻して、自分自身の思いを確認するかのように丁寧に言葉を吐き出した。

「早くここを出なくてはと……そればかり考えています。受け入れて下さった事、お世話になった事、とてもありがたく思っています。だからこそ……」
「禁軍がこちらに向かって来る前に、早くここから出ていこうと」
「えっ!?」

 はじかれたようにユウヒがオウカを見る。
 オウカは静かに笑みを浮かべて、ユウヒを見つめていた。

「図星ですね」

 そう言った後、その笑みはすっと消え、起こったような真剣な眼差しがユウヒを捕らえた。

「私共に迷惑をかけないようにとか、そんなところですかな。それなら心配は無用。あなた方を受け入れた時点で、もう黒州は深く関わってしまったも同然。違いますかな?」
「そっ、それはそうですが! ですから尚更、急いでここを出て行きたいのです」
「お嬢さん、余り我々を見くびってもらっては困りますよ」

 オウカは羽扇を持った手を伸ばして城下をスーッと指し示した。

「あなたがそれなりの覚悟をして帰ってきたことは考えるに易い。そしてそんなあなたを受け入れると決めた私達も、それだけ腹を括ってかかっているということです。それがわからないあなたではないでしょう」

 何か反論しようとしたが、ユウヒには次に続けられる言葉が見つからない。
 オウカはそのユウヒの視線を逃さないままに言葉を継いだ。

「御覧なさい。どこもかしこも混乱しています。黒州だけではない、国全体がそうなんです。そしてあなたが向かおうとしている王都では、おそらくこれ以上の事が起こっていると見ていい。この事態を全て治めて、次へ進んでいこうとしている姿勢は評価します。確かにあなたはこの事態をどうにかできる唯一の存在です。ただ、だからと言って全てを一人で背負い込むというのは……それは違うのではありませんかな?」

 出会ってまだ数日、しかしオウカは既にユウヒの考えなど簡単に見通せるようだった。
 そこはやはりオウカとユウヒとで、生きた長さに比例した人生経験の差ということだろう。
 この時もまた、ユウヒの胸の内をいとも簡単に言い当てていた。

「ユウヒ。あなたが我々の前に初めて姿を表した時、自らの言葉で言っていたではないですか。自分は何の力も持たないただの人間で、ここまで来るには多くの人間の力添えがあり、その人々に支えられて来た、と。その者達をもっと信じてあげなさい」
「……それは、どういう意味で仰っているのですか?」

 何かを探るかのようにオウカの瞳をじっと見つめる。
 そんなユウヒを真正面から受け止めて、オウカはまた口を開く。

「私も含め、あなたを支えている者達は皆、あなたの進む道の先にある世界が見たいのです。そのために、あなたは何をおいてもとにかく前に進まなくてはならない」
「もちろん、そう思っています。そのつもりでここにいます」

 ユウヒの声には力があった。
 オウカはそれに満足そうに頷いたが、羽扇でふわりと柔らかく煽いだ後、いっそう厳しい眼差しをユウヒに向けた。
 ユウヒが思わず息を呑み、オウカは静かに口を開いた。

「足を止めずに前に進んでいこうと思うのなら、全てを一人で背負いこもうという考えはすぐにお捨てなさい。私のような人間と違って、ユウヒ、あなたは市井の人間だった方だ。全ての責任をたった一人で引き受けるのには手持ちの札があまりに少ない。だが、あなたには力がある。今まで共に歩んできた仲間達、力添えしてくれた隣国の人々、そして私達、全てがあなたの持っている力だ。これを使わない手はないとは思いませんか?」
「使う?」
「そう。もちろんこれまでもそうして来たのでしょう。あなたではどうにもならない事を引き受けてくれた人間がいたはずです。それと同じ事、私達を使えばいいのですよ」
「……どういうことですか?」

 訝しげに眉を顰めてユウヒが言うと、オウカはすぐにその答えをくれた。

「背負わなくていいものは全て置いていきなさい。私達が引き受けます。それくらいの力は持っていると思っていますよ、私達黒州も。抜かずに済む剣は抜かぬまま、切らずに済む相手は切らぬまま、進めるだけ前に進めば良いのです。何か起こった時には、後ろにいる我々がどうにかしておきましょう」