ガリョウ関塞


「おい。そりゃ誰の命令だ、お前ら」

 シキは腹立たしそうに顔を歪めて、一歩前に出た。
 オウカはなりゆきを見守っている。
 剣を向けられている当の本人は脅える様子も見せずにただ様子を窺っていた。

「ですが副将軍……」
「そうですよ。この女、今あやしげな術で……」

 視線を目の前の女から逸らすことなく、兵士達は口々にシキに訴えてくる。
 シキはやれやれと苦笑しながら、目の前にいる女に声をかけた。

「まぁ、そういう事だ。そっちに他意がないってのはわかってるつもりだったんだが……ご覧の通りの状況だ。申し訳ないが、いったい何が起こったのか説明してもらえるとありがたい」

 シキの言葉に女は少し首を傾げた。
 その小さな動作一つにも、剣を手にした兵士達の間に緊張が走る。

 ――馬鹿共が。びびり過ぎだ。

 思わず小さな溜息が漏れる。
 そんなシキに、女が声をかけてきた。

「私は……黒州はホムラ郷のユウヒと申す者です。失礼ですが、あなたは?」

 ユウヒにそう言われて、シキはややもすると噴出しそうになるのを必死に堪えながら、剣を構えている兵士達の一歩前に出てユウヒと対峙した。

「これは申し訳ない。私は黒州州軍の副将軍、シキという。今は将軍代理を務めている。丸腰のそなたにこのような振る舞い、許して欲しい」
「いえ、気にしていません」
「そうか。そういえば先ほどは手違いとはいえこちらの兵士が矢を放ってしまった。その……怪我は?」
「大丈夫です。そうですか、あなたがシキ殿だったのですね。ソウケン殿よりお話は伺っております」
「私の? そうか……で、ソウケン殿は息災か?」

 シキの言葉にユウヒは少し驚いたような表情を見せたが、すぐに破顔して言った。

「もちろんです」

 剣を手にした兵士達の表情にも安堵の色が浮かぶ。
 だがシキはすかさずもう一度問いかけた。

「で、先ほどのあれは何か、説明していただけるかな?」

 その言葉で、兵士達の間にまた緊張が走る。
 周りにいる者達も、皆固唾を呑んで事のなりゆきを見守っている。
 ユウヒはゆっくりと頷いてから話し始めた。

「先ほどのあれは別に怪しい術の類ではありません。彼は……彼らは常に私と共にあり、私が呼べばすぐに現れ力を貸してくれますし、用が済めばあのようにまた姿を消してしまいます。手紙に一人で行くと書いてしまった手前、あのような者を連れているというのも威圧的であんまり良くないかなって……あの、脅かしたようであれば本当に申し訳ない。そういうつもりはありませんでした」

 その言葉で、そこにいる誰もが先ほどの獣の正体に確信を持った。
 そしてそれは後方より静かに歩み寄ってきたオウカが口にすることでより確かな事実となった。

「やはり、あれは白虎殿でしたか」
「オウカ様……」

 兵士達が道を開け、場所を譲ったシキが自分の主に軽く一礼する。
 ユウヒは目の前にいる人物こそが自分が会いに来た黒主その人だと確信して、その場に片膝をつき、頭を下げた。

「黒主、オウカ様とお見受け致します。この度は突然の訪問となってしまいまして、大変申し訳ありません」
「いえいえ、事前に手紙はいただいておりますよ。気にすることはありません。はじめまして、ユウヒさん。あなたがそのような事をすべきではない。立って、顔を上げなさい」

 オウカの言葉にユウヒだけでなく周りの者達も驚いたようにオウカの方を見た。
 一瞬の間の後、ユウヒは丁寧に拝礼して口を開いた。

「私の故郷はホムラ郷です。オウカ様の治める黒州に住まう者としての礼を尽くしたまでです。あの……再びこの地に立つことを許して下さってありがとうございます」

 そう言って深々と頭を下げるユウヒの肩にオウカが手を置いた。

「頭を上げなさい、あなたは……」
「今はただのお尋ね者、追放者です。そうでなかったとしても一人の黒州の民です」

 ユウヒが頭を下げたままそう言うと、オウカはユウヒの腕をつかんで強引に顔を上げさせた。
 戸惑いの表情を浮かべるユウヒに、オウカは厳しい表情で言った。

「それでも顔を上げていなさい。皆、あなたが王としてふさわしい人間か、どれだけの度量を持った人間かを見極めようとしている時なのですよ。容易く他者に頭を下げるものではありません」
「……仰ることはわかります。ですが、他者に礼を尽くすこと、感謝の意を表すことで私が王にふさわしくないと思われるというのであれば、私はそれで構いません」
「ほぅ? 理由をお聞かせ願えるかな?」
「はい。私はご覧の通り、何の力も持たないただの人間です。ここまで来るには、とても多くの方が尽力して下さっています。たくさんの方達に支えられてやっとここまで来たんです。皆への感謝の念は、とても言い表せるようなもんじゃないけど、でも私はそれを当然の事だと思うなんてできない。ありがたいと思ったら感謝する。頭も下げる。王だろうが何だろうが、相手に対してそういう思いを抱いたのなら、それに対して礼を尽くすのは当たり前の事と考えます」

 その言葉を聞いて、オウカは満足そうに笑みを浮かべて頷いた。

「なるほど……で、白虎殿が姿を消したのは? 四神様のお一人とはいえ、あなたが一人で来たことに変わりはないでしょう」

 そう言ってユウヒを見るオウカの視線が、ユウヒの答えを催促している。
 ユウヒは少し考えてか口らを開いた。

「彼ら四神はこの国を守護する神といわれる存在です。そんな者達を連れていては、そちらは言いたいことも言えなくなってしまう。私は自分という存在がどう思われているのかを知りたかった。そのためにはどうしても私一人である必要があったんです。神様連れじゃ、下手すりゃ不審者相手に跪拝する者さえでかねませんから」

 急にどよめきが起き、周囲の視線がユウヒから空へと移る。
 閃光のような光を放って、太陽がまた顔を出し始めたのだ。
 オウカとユウヒも空を見上げた。
 徐々に月の影から太陽が顔を出し、真昼の星空を照らし始める。
 それでもまだ薄暗い視界の中で、オウカはユウヒに向かって言った。