ガリョウ関塞


 外に出ると、砦の中は想像していた以上の緊張感に包まれていた。

 皆が不安そうな顔で空を、いや太陽を見上げ、中にはオウカがいることに気付いて慌てて服装を正して拝礼する者もあったが、そのほとんどがオウカの存在にすら気が付かないでいる。
 声をかけようとしたシキを無言で制したオウカは、そのままシキと共に人々の中を進んだ。

 やはり、晴れた日の昼間にしては相当に薄暗くなってきている。
 オウカは立ち止まって、周りにいる者達と同じように太陽を見上げた。

「ほぅ……これは」

 まるで感心したように漏らした声に、周りの者達はそこに自分達の主がいる事に今さらのように気付く。
 申し訳程度に拝礼してそそくさとその場を後にする者が多い中、不安そうな面持ちでオウカの側に歩み寄ってくる者も少なくなかった。

「オウカ様、これはいったい……」

 思い詰めた顔でそう声をかけてきた女官の肩に手を置いて、オウカは口を開いた。

「大丈夫ですよ。これは日蝕という自然現象なのだそうです」

 確認するかのようにその女官はオウカとシキの顔を交互に見つめる。
 オウカは笑みを湛えたその優しい表情で静かに頷き、シキも緊張した様子ではあったが、力強く首を縦に振った。
 女官はまだおびえているようだったが、その顔にはやっと血の気が戻ってきた。

「太陽が月の影に隠れてしまうのだそうですよ。私も見るのは初めてでね、少し驚いています」
「あの……オウカ様。その、今日こちらに……その……」

 ずっとそれが聞きたかったのだろう。
 女官は迷いながらも、まっすぐにオウカを見つめていた。
 それを無礼だと控えるように諭す者が周りにいるにはいたが、その場に残った者は皆、気持ちはその女官と同じだった。

 それはオウカにもよくわかっていた。
 オウカはその女官を宥め、そして門のすぐ前の一段高くなっている部分に立った。

「皆、聞きなさい。今言った通り、これは自然現象。怪しい呪術でもなければ幻術でもありません。恐れることはないのです。この後、しばらくすると太陽は完全に隠れ、まるで夜が訪れたかのように光が失われ、星が天に顔を出すでしょう……そうです、真昼の星空とは、こういう事だったのです」

 オウカの言葉を聞くや否や、官服を纏った男が拝礼してから口を開いた。

「なぜこのような現象を例の連中が知っているのです? 我々ですら知らなかった事です」

 それを聞いて、オウカは苦笑いを浮べて言った。

「それは……個人の興味の問題と言うのかな。この国にも、それを記した文献はいくつかあります。私も知識としては知っていましたからね」
「ですが……」
「噂では聞いているのでしょう? あちらにはルゥーンの星読みという頭脳もついているのです。それくらい知っていて当然。違いますか?」
「それは、そうですが……」

 官服の男は、そう言ったまま口を噤んでしまった。
 オウカはその男を見つめ、そして自分に集まっている視線の全てをゆっくりと見つめ返した。

「今まで、太陽が昼間に隠れてしまうなど我々は考えもしなかった。でも確かにそのような驚くべき現象が今、我々の目の前で起こっています。そしてもうすぐ、我々は真昼の星空を目にすることになります。今まで、考える事すらなかった現象を皆で経験することになるでしょう」

 オウカの言わんとする所を何となく察知した者達からさざめきのような声が広がり始める。
 それを少しの間はオウカも見守っていたが、しばらく待ってから大きく手を二つ叩いてそのさざめきが大きなうねりとなる前にそれを制した。
 薄暗いせいか、辺りの静けさがいつもよりも重たく感じられる。
 オウカは篝火を焚くようにシキに指示し、シキは部下を使ってすぐにその手配をした。
 辺りはどんどん暗くなっていき、ある者が空を指差した。

「日が……」

 指差す方角に目をやると、太陽がまるで月のように欠けている。
 どよめきが起こったが、それは一斉に燃え上がった篝火への歓声に取って代わった。
 篝火が明るいと感じるのは、それだけ辺りが暗くなっているということだ。
 すぐにまた、辺りを緊張が包んだ。
 オウカは先ほどよりも少しだけ声を大きくして言った。

「私の意思は皆に伝えてある通りです。それに変わりはありません。そしてそれを押し付ける気もありません。もうすぐ……ここへある人が私を訪ねてくるでしょう。私はその方を迎え入れるつもりでいます」

 やはりというべきか、大きなどよめきが起きた。
 辺りはもうすでに暗く、篝火の灯がなくては隣にいる者の顔すらもわからなくなってきている。
 皆が不安げに空を見上げたその瞬間、美しく輝きを放つ白銀の円を残して、太陽がその姿を完全に真昼の闇の中に隠した。

「おぉ……」

 溜息とも嘆きの声ともつかぬ声があちこちから漏れる中、砦の門の上にある見張り台と、城壁の上に配置されている州軍の警備兵達の間に緊張が走った。

 その緊張が壁の内側に集まっている者達にも拡がっていく。
 門を背にしているオウカは何も見えず、急いで門を離れて国境の方の空を見上げた。