「なにごともなく、無事に迎え入れることができますでしょうか?」
心配そうに口にしたシキに、オウカはつぶやくように小さく答えた。
「さぁ、どうでしょう。歴史の動く瞬間ですからね……畏れる余りに思わぬ行動を起こす者が、いないとも言い切れないでしょうね」
「それはそうですが、それでもよろしいのですか? この先、王になろうという御方を危険に晒すわけには」
その問いに、オウカは少し意外な答えを返してきた。
「大丈夫でしょう、何もせずとも。そこまで考えての行動のはずです。すんなり受け入れてもらえるとはあちらも思ってはいないでしょうし、だからと言ってそれをこちらでどうにかしてくれるだろうと考える程、甘い覚悟でもないはずですよ」
オウカの言葉にシキは思わず息を呑む。
「その覚悟の程をも試されるおつもりなのですか?」
問い詰めるでもなく、ただ驚きのあまりつい口に出てしまった自分の言葉に、シキは気まずそうに顔を歪めたが、オウカはそれを気にする様子も見せず、静かに首を横に振った。
「強いて理由をつけるとしたら、私が見たいのでしょう。未来を切り開いていこうとする人間がどれほどのものなのか。そうですね、そういう意味では……試してみようとしているのかもしれませんね」
「あちらはガジット、それにルゥーンをも味方に付けたと聞き及んでおります。その……」
神妙なシキの言いように、オウカは声を立てて笑った。
「笑っておいでですが考えられなくもないでしょう。まだまだ迷いのある者も多いのです。もしもあちらが……」
「シキ。あなたは他国の軍勢を率いて国境を押し通って来た者を王として迎えることができますか? そのような者に賛同して付いていく民がいったいどれ程いると?」
「そ、それは……」
困ったようにオウカを見つめるシキを、オウカもまっすぐに見つめ返す。
「そういう事です。だからこそ、国が今これだけ揺れ動いているのでしょう。違いますか、シキ」
「……それでも私は、いろいろと案じてしまいます。なぜオウカ様はそのように落ち着いていられるのですか」
「このような時に落ち着いていられる人間などいませんよ。さぁ、シキ。戻って客人を迎える準備でもしましょう」
歩き出したオウカにシキは一礼してからそれに続いた。
ことの成り行きをずっと見守っていた面々は、さすがに戸惑いの色を隠せずにいる。
自分達の主が迎え入れようとしている者が、果たして救いの主となるのか、はたまた混乱の種となるのか、測りかねているのだがそれも無理からぬ事ではあった。
オウカもシキもすでに砦の詰所となっている建物の中へと姿を消してしまって、その場に残された者達はどうしたものかと立ち竦んでしまっている。
「真昼の星空、か……」
誰かが小さくつぶやいたその言葉に、誰彼ともなく皆その頭上に広がる晴れ渡った青い空を見上げた。
その空に星の姿などどこにもなく、ただ日の光が明るく降り注いで皆を照らしているだけだ。
捨てきれない小さな希望をかき消す失望を誰もが感じて、一人、また一人とその場から姿を消していった。
淡い期待を抱いた事を自嘲するかのように、漂い始めた諦めの空気が少しずつ変わり始めたのは、日も随分と高くなった昼頃の事だ。
最初に気が付いたのは、雑用で外を走り回っていた者達だった。
「なぁ。少し暗くなったと思わないか?」
「そういえば……日差しが少し、柔らかくなったような」
ただその時はその者達もその程度で、特に気にすることもなく終わった。
漂う雲で日が翳るのは日常珍しいことではない。
しかしよく晴れたこの日の昼間、見上げるその空に雲など一つもありはしなかった。
詰所にある執務室から続く露台で、オウカとシキは砦の中の様子を見守っていた。
「いささか視界が暗くなってきたように思うのですが、オウカ様」
「そうですね。先ほどから空を見上げる者達が増えています。そろそろ、何か始まっているのかもしれません」
そう言って手にした羽扇を翳す。
確かに日が翳ってきているのは間違いなさそうだ。
だが雲のないこの空で、いったい何がそうしているのか、オウカは薄暗くなりつつある空を見つめた。
そうしているうちにも辺りは光を失いつつあり、さすがにしばらくするとそこにいる者達の表情に動揺の色が浮かび始めた。
「これはいけませんね」
「はい。皆、動揺し始めております」
「……いきましょう。下りますよ、シキ」
露台から執務室へ、そしてそのまま部屋を出ていこうとする主をシキは慌てて呼び止めた。
「黒主! オウカ様、お待ち下さい!!」
シキの声にオウカはその足を止めた。
「どうしました?」
冷静なオウカの声とは対照的に、シキの声には焦りと戸惑いが溢れていた。
「何かの呪術かもしれません。まだ見たことのない幻術や……とにかく安全だとわかるまでは、どうかこちらに」
「皆をそのような場所にやっておいて、私はここで隠れていろということですか、シキ」
若干の怒気を含んだオウカの声は、普段そういった負の感情を表に出すことのない人物だけに迫力があることこの上ない。
だだシキは自分の言葉を曲げようとはしなかった。
「そういうことです。安全が確認されるまでは、あなたを外に出すわけにはまいりません」
オウカはゆっくりと振り返ってシキを見た。
シキは跪き、主に対する礼を払ってその頭を垂れていた。
「顔を上げなさい、シキ」
「こちらに留まって下さいますか?」
振り絞るようなシキの声が低く響く。
オウカは小さく息を吐いて、まるで言い聞かせるかのようにゆっくりと言った。
「それはできませんよ、シキ。例えそういった類の術か何かだったとしても、あちらは私に用事があって来るのです。だから私が直接迎えに出ます」
「オウカ様に何かあってからでは遅いのです。ですから……」
「いいえ、出ます。私の身を案じてくれるのはありがたい。だがそれがシキ、お前の仕事だというのであれば、動揺している皆を落ち着かせるのも、手紙の主を迎えるのも全て私の仕事です。私は私の仕事をします」
言っても無駄だと判断したシキは、黙ったまま立ち上がりオウカを見つめた。
そして大きく溜息を吐くと、腹立たしげに言った。
「わかりました。オウカ様はご自分のお仕事をなさって下さい。我々が全力でお護り致します。それでよろしいのですね?」
シキの言葉にオウカは満足そうに笑みを浮かべた。
「えぇ。頼りにしていますよ」
シキはさらに盛大に溜息を吐いた。
「では、まいりましょう。私が先に行きますから、オウカ様はあとから」
オウカが頷くのを確認して、シキはその横を通り過ぎ、先に執務室から出て行った。
シキに気付かれないように微笑したオウカは、その後についてゆっくりと執務室を後にした。