蒼月と朔


『……シオ?』

 ユウヒが無意識に息を呑む。

『あぁ、お前が炎の中から救い出したあの男らが中心になって、蒼月の噂を国中に振りまいたんだよ。自分らがされてきた仕打ちの話と一緒くたにしてだ。おかげで興味半分の連中が釣れに釣れて、国中にお前の存在はあっという間に拡がった。人間の中でどう噂されてるかはまだ五分五分ってとこだが、少なくともイルの連中を始め、今まで陰で踏ん張ってきた連中のほとんどがお前を支持してる。それはもう間違いねぇよ』
『あんたそんな事もやってたの? って、シオは? あの子は大丈夫なの!?』

 ユウヒが少し身を乗り出して問い詰めると、ジンは呆れたように言い捨てた。

『あの子って……若いとはいえ、あいつももう立派な男だろう? あんな綺麗な顔してるからわかんねぇのかもしれねぇが、立派にイル族の長達を動かして、若い連中をまとめて、さらには国中のイル族を完全にこっちにつけてくれてんだぞ?』
『そうなの?』
『あぁ。どっちみち武力衝突は避けられねぇんだ。救護や衛生管理を請け負う連中ってもんは必要だろう?』
『……そっか。あ、ジン。話ちょっと逸れるんだけど……いいかな。シオ達と連絡は取れるの?』
『いつでも。何かあるのか?』
『うん。伝言というか伝令というか……薬師、薬草師中心で医療面をお願いしたいの。確かに、いないのは困るから。でもね、また自分達の命削って……なんて考えてんだったら、全て終わるまで出てくるなって、そう伝えてくれる?』

 ジンが思わず噴出し、その場の雰囲気は一気に和む。
 だがユウヒは少しも笑みを浮かべることなく、ジンのことを睨みつけるように見ていた。

『どう? 連絡頼める?』
『別にかまわんが……イル族がつくって早々に気付いた連中が、その力を当てにしてるかもしれねぇよ? それでもいいのか?』
『いいに決まってる。それに、そんなの当てにしてる連中は別に加勢してくれなくていいからどっかに隠れてろって、それも一緒に廻しといて』
『例外なく? もしお前の身に何かあっても、か?』
『当たり前でしょ。で、連絡してもらえるの?』
『わかったよ、女王様?』
『……その言い方が腹立つのよ、馬鹿』

 ユウヒはそう言って、盛大に溜息を吐いた。
 場の緊張は解れたものの、皆の注意はまだユウヒとジンの方に向けられている。
 その雰囲気に押されてユウヒがジンを一瞥すると、ジンは薄笑いの顔で頷いてから、今度はまるで言い聞かせるようにゆっくりと話し始めた。

『イルの連中は各地に散らばってるが、シオ達本体はこっちと合流する事になってて連絡を待ってる。ユウヒ、お前は見てないだろうが、国内は相当混乱してる。人間と、そうでない者。その中で人間側につく者、人間でありながら、人間に剣を向けた者……ひでぇ有り様だ。それはお前、覚悟しとけ』
『……うん、わかった』
『それで、だ。今のままの状態、つまりお前が国に還らなかった場合。今の混乱はその決着がつくまでおそらく続く。続いた結果、まず間違いなく人間側が勝利して、これまで以上の迫害を人外の連中は受けることになる。待遇の悪化も、まず間違いないだろうな』

 ユウヒの顔色が変わるのを、そこにいる全ての人間が苦しそうに見つめている。
 ジンは心なしか少しだけ優しい目をしてユウヒに向かって言った。

『状況はお前にとっちゃかなりきつい。でもそんな今の状況を、どちらか一方をとる事ではなく、その全てを受け入れる事で事態を収められる奴が一人だけいる。そんな唯一無二の存在、それがお前だ。それは、わかってるな?』
『わかってるよ』
『相当しんどいぞ。それでもお前は戻るか?』
『……当然よ。何を今さら言ってんのよ』
『そうか、なら続きを話そう。黒主殿の動きはおそらくこちら側に付こうとするもんだと思っていい。ただどうするかは個々の判断に任せるって、そんなとこだろうな。州都でその話をした後どれほどのもんが手元に残るかは知れねぇが……少なくともその後は、こっちと合流するために街道を抜けて……ここ、ガリョウ関塞まで出向いてくると思ってまず間違いはねぇ』

 ジンはその懐からもう一枚の地図を取り出して卓子の上に広げた。
 そこにはクジャの全土が描かれており、今度はそちらの地図上の一点に向かってジンの指がすぅっと伸びてきた。
 そして州都ゲンブを指したジンの指が、するすると街道を示す線を辿って国境の砦を示す点まで来ると、とんと音を立ててその指を立てた。
 もう一方の手の人差し指は、クジャ国内の黒州の州境、それぞれ州都、白州、それに青州と接している点を順にとんとんと示していく。

『黒州軍は何隊かに分かれてこのそれぞれの州境の護りを固めるだろう。で、本体はこっちだ。そう動くと仮定して、だな。その気配を少しでも察知した時点で恐らく……』
『……禁軍が動く、と?』

 サクが口を挿み、皆の視線がジンに集中する。

『ま、そういう事だ』

 ジンが事も無げにそういうと、今度はソウケンが口を開いた。

『そこまでわかっているのならば話が早い。では、我々は禁軍が黒州に来るよりも前に、黒州軍の本体と合流しなくてはならないという事になりますね』
『おいおい……お前さんの推測の裏付けっつっても、わかってるのはイルの連中や黒州での動きだけで、実際にそのオウカ様ってのがどう考えてんのかなんて、俺にもわかんねぇぜ?』

 ジンの言葉を聞いてソウケンが何か言おうとしたが、それよりも早くユウヒが口を開いた。

『わかんねぇ、じゃないでしょ。かなり胡散臭いおっさんではあるけど、こういう場で本当にただの憶測でしかない無責任な言葉吐き出すような人間じゃないって事ぐらい知ってるつもりよ……黒主、オウカ様はこちらに着く。もうそれを大前提に動きましょ』
『よろしいのですか?』

 戸惑いに声を震わせてそう言ったのはソウケンだった。
 ユウヒはゆっくりと頷いて微笑んだ。

『もちろん。自分の言葉に自信が持てないのなら、あなたが信じるオウカ様を信じて。きっと大丈夫だから……ね?』

 ユウヒの言葉に、その場にいるソウケン以外の人間がそれぞれに同意を表す言葉の代わりに頷き、笑みを浮かべる。
 その様子を満足そうに見つめたユウヒは、大きく一呼吸してから言った。

『帰るよ、クジャに。ガリョウ関塞には真正面から堂々と挨拶しに行こう』
『それについてちょっと、いいですか?』

 皆の気持ちが一つに固まりかけたところに、まるで水を注すかのように口を挿んだのは、やっと笑いが治まっていつもの笑みを取り戻したカロンだった。

『ルゥーンの星読み、サリヤ殿から面白い入れ知恵をされてきました』

 そう言って、腰の帯の間から一通の文を取り出して卓子に広げた。

『酔狂と思うならそれも良し、ちょっとした演出があるのですが……』

 カロンは皆の注目を浴びて、より一層人当たりの良い、ユウヒにしてみればより一層胡散臭い笑みをその整った顔に浮かべた。