蒼天にあがる


 翌日、即位の儀当日の朝――。

 まだ暗いうちから鐘二つ分の長い時間をかけて身支度を終えたユウヒは、サクを始め、皆の待つ広間へと向かった。
 本来であれば支度の終わったその部屋で時が来るのを待つのが慣例らしい。
 だがユウヒはその行動にいちいちおろおろするロダに向かってこう言った。

「どうしてもそうしなければならないものはきちんと守るよ。でもね、無駄に王を神聖視させるためだけの慣例は私が全部壊しちゃうつもり。前例があれば、次の人だっていろいろ動きやすいじゃない?」

 屁理屈といえば屁理屈である。
 だが、確かにユウヒは自身の言っている一定の線をきちんと守っている。
 ロダは大きく溜息をついたものの、ユウヒのその行動を咎めることは諦めたようだ。
 広間へと向かうユウヒの少し後ろを、付かず離れずの距離をとって歩いていく。
 結い上げて固められた髪にここぞとばかりに付けられたたくさんの髪飾りが、一歩踏み出す度に揺れてシャラシャラと軽やかな音を小さく響かせる。

 ふと、前を行くユウヒが立ち止まった。

「なぁ、ロダ」

 少し困ったような顔をして振り向くユウヒの顔を、ロダがまっすぐに見つめ返す。

「どうされました、姫様」
「……うん。なんていうかさ」

 何か言おうとしたユウヒの言葉をロダが遮った。

「違います、違いますぞ! そこは『だからさぁ、ロダ。姫様はやめてって言ってるでしょう』でございましょう!?」
「へっ!?」

 間の抜けた顔で間の抜けた声を出したユウヒの肩を、少し背の低いロダがぽんぽんと叩きながら話し続ける。

「そこで私がまた言い返すのでございます」
「ロダ……」

 ロダは今まで見た事もないような穏やかな笑みを浮かべてユウヒのすぐ前に立ち、その肩に手を置いたままで言った。

「短い間ではありましたが、生まれ変わったつもりで姫様の教育に全てを捧げてまいりました。それまでの罪滅ぼしと、赦された感謝の気持ちを込めて、姫様のお役に立てるのならばと……本当に楽しい日々でございました」

 突然始まった独白を、ユウヒはただ立ち尽くして黙って聞いていた。
 肩に置かれた手が、ユウヒを宥めるようにまた小さくぽんぽんとその肩を叩く。
 ロダは再び口を開いた。

「あなたはきっと立派な王になる。時には皆を導き、時には皆を陰から支え、そしてこの国を、このクジャという国をもっといい国へと成長させることができる。その力を持っている、それだけの力を持った仲間達に支えられている」
「ロダ……」
「そのような暗い表情をなされますな……」
「…………」

 無言のユウヒを見てロダの表情が変わった。
 何事かと見つめてくるユウヒに、ロダはしっかりとした口調で言った。

「大丈夫、自信を持ちなさい。顔を上げ、胸を張りなさい……ユウヒ」

 耳慣れぬ呼ばれ方に、ユウヒがその身をびくりと硬直させる。

「娘の……いや、孫娘の晴れ舞台を見るようだと言ったら、あなたは笑いますかな?」

 ロダはそう言って笑うと、一歩下がり、その場に片膝をついて右手を胸に頭を垂れた。

「ありのままのあなたでこの国の王となれば良いのです。選ばれたあなたを信じて、ご自分の道をご自分の足で歩まれますよう」

 そう言ってからロダは立ち上がるとユウヒの方に手を差し出した。

「介添えに名乗りを上げてもよろしいかな、姫様」

 ユウヒはその手に自分の手を添えた。
 途端、こみ上げてくるものをぐっと抑え、ただ一言だけ絞り出した。

「……姫様じゃないでしょ」

 泣き笑いのようなユウヒの顔を見て、ロダは安心したように頷いた。
 ユウヒもそれに応えるように頷いて、二人は並んで歩き始めた。

「ロダ……」
「はい」
「ありがとう」

 ロダは瞑目して頷くと、ユウヒの手に添えられていた自分の手に少しだけ力を込めた。
 そしてそのまま無言で歩みを進めた二人は、広間の扉の少し手前で立ち止まった。
 添えた手を離したロダがユウヒに向かって軽く一礼する。
 ユウヒがそれに応えるように頷いたのを確認して、ロダは扉の前に立っていた禁軍の兵士一人に声をかけた。