賓客の案内という大役を仰せつかったヒヅルの後ろ姿を心配そうに目で追っていたシュウは、ふと自分を見つめる視線を感じてさりげなくその視線の出処を窺った。
何のことはない、すぐ目の前にいた。
ユウヒである。
「な、何か?」
引き攣ったようにぎこちなく笑うシュウに、ユウヒは小さく頭を下げて言った。
「もう何度も言ったけれど……ヒヅルの事、本当にありがとう。すごく世話になったって聞いてるよ、シュウ」
「え? いったい何を……いや、別に大した事は」
「私がいない間、本当に心配をかけたし、不安だったと思う。もう城にはいないだろうなって思っていたのに、涙で顔をぐしゃぐしゃにして真っ先に出迎えてくれた時は本当に嬉しかった。シュウのおかげだよ」
そう言ってユウヒも遠ざかっていくヒヅルの背を見つめる。
シュウも安堵の表情でユウヒの視線を辿ったが、次に続いたユウヒの言葉に思わずギクリとして息を呑んだ。
「まぁ……いろいろ聞いてはいるけれどね、シュウ。いや、まさかの意外な展開だったよ、さすがに。シュウってあぁいうのが好みだったんだ」
サクが笑いを噛み殺し、ユウヒは溜息混じりの声でぼそぼそこぼしながらシュウの肩をぽんぽんと叩く。
「いいんじゃないのー? ただし、私の女官に手ぇ出してくれた以上、泣かしたらただじゃおかないからね?」
「はぁ……ははは、いやぁ……何の事やら」
「とぼけたって無駄無駄。あの子がこの手の話で嘘がつけるわけないでしょ?」
「い、いやぁ……」
「女官連中がこぞって私に言いに来たよ。あの子、たぶんつるし上げにあったわね」
「つ、つるし…」
顔色を変えるシュウに、ユウヒはにやりと笑って言った。
「ま、私だけじゃないってことね。いい? 女官連中まで敵に回したら、悪いけど城はおろか王都にすらいられないと思った方がいいわ、シュウ」
「……よくよく肝に銘じておくこととします」
「はいはい。頼んだわよ、シュウ」
ユウヒはそう言って笑うと、両手を高く上げて大きく伸びをした。
そしてサクとシュウ、二人の顔をまじまじと見つめて言った。
「この後なんだけど、私はリンと……いや、ホムラと一緒にやる事があるみたいで呼ばれてるの。あ、そうだ。シュウ、月華をちょっと借りるわよ?」
ユウヒの表情がきりりと王のそれに変わる。
それに釣られるようにシュウとサクの顔も引き締まり、姿勢もすっと正される。
「はい」
シュウが返事をすると、ユウヒはこくりと頷いてサクを見た。
「ヨシュナ達に改めて御礼が言いたかったけど……ちょっと時間的に難しい?」
「到着したのは早かったからルゥーン側には恐らく問題はないと思うけど。でもこっちが、お前の方がそんな時間確保できる余裕ないだろう?」
「やっぱりそう思う? 思うよねぇ」
「それにだ」
「ん? それに、何?」
ユウヒが首を傾げると、サクは苦笑して言った。
「お前とヨシュナ陛下が会うって、簡単に言ってくれるけど二人ともその国の王なんだぞ? わかってんのか?」
「あ、あぁ……そっか。でもそういうんじゃなくってさ、非公式っていうの? 友達としてちょっと話がしたかったんだよね」
「……わかった。一応調整はしてみるけど、あまり期待はするな」
サクがそう言うと、ユウヒは困ったような顔で礼を言った。
「ありがと」
「どうした?」
サクが訊ねると、ユウヒは少し考えてから口を開いた。
「んー、今さらだけど……私、こんなんでいいのかね。王様とか言ったって、どうもその距離の取り方とかがわかんない。威厳なんぞ求められてもそれは無理ってもんだけど、そうじゃなくってさ、こうしてシュウやサクヤと話してるのもさ、こんなんなのかなぁっとか思ってしまうわけよ」
「ふん……なるほどな」
シュウが顎に手をやり考えを巡らせたが、これだという正解があるわけでもない。
またしても不安そうに顔を曇らせているユウヒにシュウは言った。
「まぁ……そこいら手探りなのは皆変わらんさ。それを言い出したら俺だって、なぁ? 国王陛下に対してこの口のきき方はどうだって話だ」
「そりゃそうだけど」
「いいんじゃないか? ここから始めるんだから……お前なりの道を歩いて行けば、先の事はあとに続く連中が考えてくれるだろう。違うか?」
「そんな無責任な……」
シュウの物言いにユウヒは呆れたようにそう言ったものの、それでも少し安心したように笑みを浮かべた。
「なんかもう迷ってばっかりだ、私」
「それがお前だっていうならそれでいい。王って言っても一人の人間なんだって、その方が今のこの国の民には受け入れられやすい。そこまで計算して言ってるわけじゃないが、そういうぶつかったり立ち止まったりあがいてる姿を見せるのは、たぶん悪いことじゃない。お前なら」
「私なら?」
驚いたように言葉を返すユウヒに、サクも頷きながら言った。
「それ、ちょっとわかるような気がします。他の誰かじゃ駄目だけどユウヒ、お前ならたぶんそれで大丈夫だと思う」
「だろ?」
シュウはそう言って腰にあった月華を手にとった。
「ま、いろいろ思うところがあるのも仕方ないさ。お前みたいな状況で、即位を前に何も感じない方が嘘だろうと俺は思うぞ」
そう言いながら飾り紐をくるくると鞘に巻いて、月華をユウヒの方へと差し出す。
ユウヒはそれを大切そうに両手で受け取った。
以前手にした時とは比べものにならない程の「重さ」に驚く。
――これが責任の重さ、かな。
ユウヒは内心そう思いながら、月華を持つ手に力を込めた。
月華を見つめるユウヒをサクとシュウが見守る。
ユウヒは何か得心ががいったようで、ふっと小さく笑うと顔を上げた。
自分を見つめる二人と目が合うと、心の中に起きた波紋が静かに凪いでいく。
「こんなんだけど、よろしく頼む」
その言葉に思わず顔を見合わせたシュウとサクヤは、何かを思い付いたように頷き合って、その場に片膝をつき、右手を胸に当てて頭を下げた。
今さらのような二人の行動に、いつものユウヒなら動揺してそれをやめさせようと必死になっただろう。
だがその時は違った。
少し寂しさの混ざったような歪んだ表情ではあったが、それでもユウヒは笑みを浮かべて、二人の忠誠を誓う礼をそのままに受け入れていた。
「うん……ホントに、よろしく頼む」
もう一度繰り返された言葉に二人が立ち上がると、ユウヒは順に二人の顔を見つめた。
そして小さく息を吐くと、踵を返した。
「じゃ、行ってくる。終わったら直接部屋に戻るから」
「わかった」
サクが答える。
シュウもそれに続いて言った。
「俺はここがもう少し落ち着いたらそっちに向かう。即位前日にお前に何かあったら、禁軍の立つ瀬がないからな」
「……世話をかける」
ユウヒはそう言うと、そのまま振り返らずに祠の方へと歩き出した。