焦燥の中で


「なんだ? 早く皿こっちによこせ」

 目に入った紫炎に顔を歪めながら、ジンがユウヒの方に左手を差し出す。
 ユウヒは二、三歩歩いてジンに皿を渡すと、そのままジンの横の調理台にもたれかかった。
 ジンはそれをちらりと見やってから、咥え煙草のままで皿を洗い始める。
 ユウヒは黙ってそれを見ていたが、ふと思い出したように言った。

「ただいま」

 それに対してジンの返事はない。
 ただ黙々と皿を洗い続けるジンに、ユウヒは言った。

「って言うのも変か。実家でもないわけだし……」

 その言葉にどう思ったのか、ジンが小さく鼻で笑った。
 ユウヒは一つ伸びをして、ジンの目の前に灰皿代わりの小皿を差し出した。

「灰、落ちる」
「ん? あぁ……」

 ジンが前掛けで手の水気を適当に拭きとって、小皿の上に煙草の灰を落とす。
 ユウヒは小皿を元の場所に戻して、何かを逡巡するかのように小さく溜息を吐いた。
 皿を洗うジンの手が一瞬だけ止まる。
 だがジンはユウヒをちらりと見ただけでまた皿を洗い始めた。
 言葉はない。
 ただジンが皿を洗う水音だけが調理場に響いていた。

 そんな沈黙がしばらく続いた後、皿を洗い終わったジンは煙草を小皿に押し付けてからいつもの鉄鍋を火にかけた。

「お前、何食うんだ? っつーか、食ってくのか?」
「……うん」
「城でもっとうまいもん食ってんだろうが」

 鍋に流し入れられた胡麻の油が香ばしい匂いをあたりに漂わせる。
 ジンはいかにもあり合わせの材料を使い、手慣れた手つきで名前すらない思いつき料理を作り始めた。
 油の跳ねる音と鍋と調理具のぶつかる音で一気に賑やかになった調理場で、ユウヒは小さくぼそりとこぼした。

「先に毒見なんかされなくても、食べられるもんを食べたくなったんだよ」

 ユウヒの言葉にジンはやはりただ視線をユウヒにちらりと向けただけで、特に何を言うでもなくそのまま調理を続けた。
 そこへ匂いにつられたシュウとショウエイが顔を出した。

「へぇ……本当にジンが作っているんだね」
「だから言っただろう? まだ疑っていたのか、ショウエイ殿」
「シュウ! ショウエイ様も……」

 ユウヒの声音がぼそりとこぼした一言とは明らかに変わったが、ジンは何も言わなかった。
 ただ何か言いたかったことを飲み込んだであろう事だけは感じ取っていた。
 ユウヒはシュウとショウエイに向かって言った。

「お二人はもうお帰りになるんですか? 良かったら……同席させてもらいたいんだけど」

 シュウとショウエイは顔を見合わせ、ショウエイが口を開いた。

「えぇ、喜んで。あなたと一緒ならばそこのうるさい店主も私達を追い出そうとしないでしょうから」
「え? やだ、ジンってばそんな事してたの?」

 ユウヒの言葉にジンが舌打ちする。
 シュウがにやにやと笑いを漏らし、ショウエイが何食わぬ顔で続けた。

「してたんですよ、早く帰れってそればかり」
「ショウエイ様にそんな事を……ひどいおっさんですね、まったく」
「ユウヒ、私の事はショウエイと。主であるあなたに様と呼ばれるのはどうも……」
「あぁ、そっか。それもそうね」
「この男と話すようにお話して下さってかまいませんよ」

 そう言って顎をしゃくってショウエイがシュウを指し示す。
 シュウは笑って頷いて、そのまま口を開いた。

「久しぶりに話ができるのは嬉しいが……お前、その人に何かあってここへ来たんじゃないのか、ユウヒ。だったら俺達は引き上げるが……どうする?」

 背を向けたままだがジンも耳を傾けているのがわかる。
 ユウヒは少し考えた後、ジンにも聞こえるようにシュウとショウエイに向かって言った。

「少し付き合ってもらえると嬉しいな。ロダには明日の朝戻るって言ってきたの」
「明日の朝、ですか?」

 ショウエイが驚いたようにユウヒとジンを交互に見つめ、何か言いたげにシュウを見た。
 シュウは肩を竦めて首を振った。

「お二人に朝まで付き合えとは言わないけれど……少し話を聞いてもらえると嬉しいな。ジン! ジンもだからね!」

 背後のジンにユウヒが言うと、ジンはわかっていると言いたげに片手を軽く挙げて応えた。
 ホッとしたようにユウヒは安堵の表情を浮かべ、シュウとショウエイの方に歩きだした。

「ジン、私二人とあっちに行ってるから。何か適当に作って持ってきて」
「……あぁ」

 ジンの返事を背中で聞きながら、ユウヒは二人と共にまた奥の部屋へと戻った。
 席につこうとする二人よりも前に出て、ユウヒが簡単に卓子の上を片付ける。
 シュウとショウエイは並んで座り、その向かい側にユウヒが座った。