焦燥の中で


 城ではそんな毎日が続いている、とある日の夜。
 港町カンタ・クジャのはずれにある酒場の店主は、半刻以上も前にはすでに閉店したにも関わらず、そのまま店に居座る二人の客人に手を焼いていた。

「おい……あんたら。いつまでここにいる気だよ」

 紫煙を纏った咥え煙草の店主が不機嫌そうに声をかける。
 ところがその客は揃いも揃って店主の声に聞く耳など持たず、さらに酒を追加してくる始末。
 店主はかったるそうに首の後ろを手で擦り、短く返事をすると踵を返して酒を取りに行った。

「そういやここへ来るのは初めてだって事だったが……あの人との付き合いは長いんじゃないのか、ショウエイ殿」
「ん? まぁ……えぇ、そうですねぇ」

 会話が成り立っているようで擦れ違っているようで、そんな不思議なやりとりを来店からずっと繰り返している。

 身なりからしてもそれとわかる只者ではない客二人。
 一人は禁軍の将軍を務めるシュウ。
 そしてもう一人、明らかにこの店の雰囲気には似合わない男。
 青龍省、通称春省の大臣を務める男、ショウエイである。
 何とも奇妙な組み合わせのこの珍客達は、奥の部屋に通されたのをいいことにすっかり寛いでしまって、帰る素振りすら見せないで飲んでいる。
 そこにまた不機嫌そうな店主が、追加の果実酒の瓶二本を手に戻ってきた。

「入るぞ」

 伝える意味があるのかどうか、申し訳程度に声をかけてそのまま部屋の中に入ってくる。
 手際よく空いた皿を重ね、空の瓶を手前に引き寄せる。
 そして新しい酒瓶を卓子の中央に置くと、器用に空いた皿と瓶を両手に持って奥の部屋を出て行こうとした。

「なぁ、ジン。あんた、いつ上がりになるんだ?」

 シュウが声をかける。
 咥え煙草の店主、ジンはいらだったように振り返ると、肩越しに言った。

「あんたらが帰りゃ、今すぐにでも」

 一緒に飲もうと誘われているのは承知の上で、ジンはあえてそう答えた。
 やれやれと言った風にシュウはショウエイに視線を投げ、それに気付いているのかいないのか、当のショウエイは涼しげな顔で追加の果実酒を手酌で注いで口に運んでいる。

「それじゃまだまだ上がれないという事になりますね。店主さん、この酒に合う何かおいしいもの、いくつかお願いできますか?」

 しれっとしてショウエイが言い放つ。
 たまらないとばかりにシュウは噴出し、止まらぬ笑いを押し殺している。

「……クソが」

 悪態を一つ残し、ジンはめんどくさそうに部屋を出て行った。
 様子を窺うシュウの耳に、鍋を荒っぽく扱う金属音が聞こえてくる。
 なんだかんだと文句はつけても、きちんと客として扱いその願いにも律儀に応えているその態度がやけにジンの人となりにそぐわなくて興味深い。
 ひとしきり笑った後、シュウはショウエイと同じように手酌で注いだ果実酒を飲み始め、またおもむろに口を開いた。

「で? 春省の方の準備はどうなってるんです? 正式な即位式なんて数百年ぶり……いや、よくは知らんが、大変なんじゃないのか? それをこんな夜更けまでこんなところで……いいのか?」

 その言葉に何か引っかかったようで、酒を飲むショウエイの手がピクリと止まり、怪訝そうな表情でシュウの方をちらりと見た。

「誘ったのはそっちでしょう。そう思っているんだったらなんで声をかけたんですか?」
「なんでって……まさか来るとは思わないだろ?」

 そう言われてショウエイは妙に納得してしまっていた。

「まぁ、確かに」

 確かにどうして自分は誘いに乗ってしまったのか、どうかしていたとしかいい様がない。
 ショウエイは小さく溜息を吐いて言った。

「魔が差したんじゃないですかね」

 吐き捨てるように言ったショウエイの言葉に、シュウは呆れたように小さく笑った。
 調理場から何やらいい匂いが漂い始めても、二人はあいかわらず擦れ違いのような不思議な会話を続けていた。
 出来上がったばかりで湯気のたった大皿を手に、不機嫌そうに店主が部屋の中に入った時にも、そんな二人のやりとりは続いていた。

「お前ら……楽しいのか、それ」

 馬鹿にしたようにジンが言うと、まぁそれなりにとシュウは笑い、ショウエイは肩を竦めた。
 食べ残しを一つの皿にまとめて空いた皿を重ね、愛想笑いすらも浮べず、むしろ迷惑そうにジンはわざとらしく溜息を漏らす。
 それに対してショウエイが何か言おうと口を開いたその時、店の裏手の方からガタガタという物音が聞こえてきた。

 ジンが手にしていた皿をまた卓子の上に置く。
 シュウは傍らに立て掛けてあった月華に手を伸ばした。

 緊張の中、物音がした方の気配に意識を集中していると、その物音を立てた主のものらしい足音が3人のいる部屋の方に近付いてきた。
 気配を消そうなどという雰囲気は微塵も感じられないその足音は、少し躊躇ったように3人のいる部屋の少し前あたりで止まった。
 殺気はまるで感じないが、シュウもジンも部屋の外の訪問者の気配に全神経を傾けている。
 次の瞬間、ジンがおもむろに緊張を解いて小さく笑い、置いたばかりの皿にまた手を伸ばした。
 続いてシュウ、そしてショウエイもふっと力を抜いて、互いに顔を見合わせる。
 その頃合いを見計らったかのように訪問者が顔を覗かせた。