王の器


「すまんっ、遅くなった!」

 戻ってきたシュウは言った通りに人を連れては来たが、その人物は何があったのか、自分一人で立っていることもできないほどに疲れ果てていた。

「将軍、この方は?」

 肩で抱えるようにして支えて連れてこられたその人物は、シュウが腕をほどくなり、まるで崩れるようにその場に倒れこんだ。
 どこかをぶつけでもしたのか、その男の顔が苦痛に歪む。

「……も、もうちょっと……優しくできないものですか、貴方」
「あぁ、すまない。おい、誰か……この人を支えてやっててくれないか」

 シュウの声に剣を収めた兵士二人が、腰を下ろし、その男を両側から支える。

「少し待っててくれ、ショウエイ殿。今、状況を説明させる……トウセイ!」

 将軍が口にした名前に、その場の誰もが思わずその男の方を振り返る。
 どういうわけか消耗しきっており、常日頃、城内で見かける華やかさはほとんど感じさせないが、その男は紛れもなく青龍省の長、春大臣ショウエイだった。
 ショウエイを支える兵士達に緊張が走る。
 するとショウエイは口許だけで小さく笑って、自分を支える男達に声をかけた。

「すまないね、君達。そんなに緊張せずとも全部……あの、男のせいだと……わかっていますから、ね」

 そう言って、乱れた髪の隙間から禁軍将軍、シュウの事を睨みつける。
 どう返事をしたものかと戸惑う兵士達を見かねて、ショウエイは地面に手をついてどうにか自分自身を支えて言った。

「ありがとう。もう……大丈夫ですから」

 その言葉を打ち消すかのように片側の脇から腕を滑り込ませて、ぐいっと引き上げるようにシュウがショウエイを支えた。

「無理をするな」
「させてるのは誰ですか……」
「そりゃまぁ……俺だな。早速だが、いいか?」
「……いつなりと」

 ショウエイが言うと、その目の前に膝をつき、トウセイが丁寧に拝礼をしてから口を開いた。

「私は……」
「トウセイ、いいから本題に入れ」
「ですが……」

 非常時だが礼を尽くそうとするトウセイをシュウが止める。
 戸惑うトウセイにショウエイは穏やかに言った。

「じょ……状況はだいたいこの男から聞いています。ですが……あなたの口から、もう一度……」
「……わかりました」

 トウセイの説明を聞くショウエイの眉間に、時折深い皺が刻まれる。
 おそらく体を起こしているだけでも辛いのだろう。
 城には結界を施し、呪文を逆呪文で返すなど、いろいろとこなす一流の術者が揃ってはいる。
 だがもうシュウの知る限り、呪術というものが絡んでくる特殊な分野において、ショウエイ以上に詳しそうな人間など城にいるとは思えなかった。  もちろん、ロダを除いて、である。
 トウセイからの報告を聞きながら、時折苦しそうな吐息を漏らすショウエイは、シュウに寄りかかるようにしてその身を預けることで、どうにかこうにか体を起こし続けていられるようだった。
 一通り説明が終わる頃にはショウエイの息も上がり、見ている者も気が気ではなかった。

「どうだ? わかるか?」

 そう聞いたシュウの声色にも、ショウエイへの気遣いが窺える。
 それを耳にしたショウエイは思わず苦笑して、そのままゆっくりと辺りを見渡した。

「どうした? 何を探している?」

 シュウのショウエイを支える腕に思わず力が籠もる。
 ショウエイはまた小さく笑って、吐息混じりの小さな声でシュウに言った。

「サク……は? この近くにサクはいますか?」

 その言葉を受け、シュウが目配せで部下にサクを呼んで来るよう指示を出す。
 命じられた兵士は剣を抜き、操られた兵士の刃を掻い潜りながら言われた通りにサクをショウエイの許に連れてきた。
 ショウエイの様子を見て驚いたのはサクの方だった。

「……っ、ショウエイ殿!」
「声が大きいですよ、サク……いい? 今から私の言う通りに術を発動してくれますか?」
「えっ!?」
「……大丈夫。もう妙な気を起こす気力も残ってませんから。それに……わかるでしょう? まだあの男に見張られてますから」

 ジンの事を言っているのだとサクにはすぐにわかったが、それより何より、ついさっき自分を殺そうとした男が自分を呼びつけてまで何をさせようとしているのか、不思議でならなかった。

「いいですか、サク……これからロダ殿のあの術を解きます。とても古い術式で、おそらく目にした事すらないものかと……できますか?」
「……やりますよ。俺しかいないって事でしょう?」
「小憎らしいことにね……そういう事です……」

 ショウエイはそう言って自嘲するように顔を歪めた。

「簡単に言ってしまえば、ある音域の波動、音波……とでもいいましょうか。そんな特殊な波動を放って、それをきちんと聞き取ってしまったもので術に耐性のない者達が操られているのだと思います。感じる程度では、ここまで操ることはできないはず……それでも正確にこれだけの術を発動できるということは、かなりの術者ですね……ただの隠居ではなかった、という事です」
「なんだよ、そこまで喋れるんなら、あんまり優しくしねぇぞ、ショウエイ殿」

 思っていたよりも気丈に物を言うショウエイに対し、シュウが軽口を叩く。

「……あなたは黙ってて下さい、将軍」

 ショウエイはそう言って、シュウを睨みつけた。