王の器


「トウセイ!」
「……あぁ、将軍」

 トウセイの額には粒の汗が浮かんでいる。
 どうやら状況はあまり変わっていないらしく、いつもは涼しげな顔をしているトウセイの眉間に深く皺が刻まれていた。

「あまり根を詰めるな、トウセイ」
「ですが……わからないのです。呪符も砕けてなくなったというのにまだ術は発動したまま。あの印でいったい何が行われたのか、呪印のようなものでしょうが私には……」
「落ち着け、トウセイ。何でもいい。思った事、気付いた事、全部言ってみろ」
「はい……」

 肩に置かれたシュウの手を感じながら、トウセイは目を瞑ってゆっくり深呼吸をした。

「……すみません。もう大丈夫です」

 シュウは少し安心したように顔を歪ませてトウセイを見た。
 トウセイは申し訳なさそうに苦笑して言った。

「今伝わっているものよりももっと古いものか、それか武術の場では使われないような技術を応用したものか……正直、私の持っている知識だけではこれ以上どうにも……申し訳ありません、将軍」
「そうか……」

 つぶやくようにそう言って黙りこくったシュウだったが、ふと何か思い付いたように顔を上げてトウセイを見た。

「……? どうしました?」

 不思議に思って声をかけると、シュウはトウセイの背をとんと叩いて立ち上がった。

「ちょっと思い当たるヤツがいる。お前は引き続きロダ殿を……どんな些細な動きも見逃すな。何か気になる事があれば全部知らせろ」
「将軍、どちらへ?」
「すぐ戻る!」

 月華を抜き、襲い掛かってくる部下達の剣を交わしながらシュウは城の方へ走り去った。
 トウセイは喉を鳴らして息を呑み、ロダの動きに集中する。
 その視界の中には、周りをすっかり取り囲まれたユウヒとスマルの姿もあった。

「将軍……お急ぎ下さい」

 トウセイは祈るようにつぶやいた。
 視界の中では、スマルがその手の短槍の柄で地面をどんと突き、ゆっくりと腰を落としていた。

「スマル、どうした?」

 ユウヒが背後のスマルに声をかける。

「何、ちょっと連中を脅かすだけだ。お前までびびるなよ?」
「え?」

 聞き返す暇もなく、スマルは掛け声と共に空いた方の手を地面にたたきつけた。
 その途端、地面が波打つような感覚を覚え、それと共に小さな地鳴りがして辺り一帯がぐらぐらと揺れた。
 兵士達に膝をつかせるほどの揺れではなかったが、それでもその者達の間に動揺を走らせるのにはそれで充分だった。

「いくぞ、ユウヒ」
「うん!」

 背中を合わせて立っていた二人が、それぞれの武器を手に一歩、踏み込んだ。
 スマルの短槍は思いのほか兵士達の意表を突いたようで、その間合いの違いもあり、さすがの禁軍兵士達も距離を縮めきれずにじりじりと睨み合うかたちとなっていた。

 だがユウヒの方は違った。
 白虎の力を借りているとはいえ、所詮ユウヒの太刀筋は兵士達には既知のものであり、その刃は悉くかわされ、ユウヒは防戦一辺倒の戦いを強いられていた。
 元より相手を傷つけずに済ませようとしているユウヒは、操られているとはいえ、本気で命を奪いに来ている兵士達に対して心構えのあたりから既に圧されているのだ。
 いなすように兵士達の剣をかわしながらも、その重い刃をまともに受け止めるたび、ユウヒの表情は無意識に歪んだ。

「おい、大丈夫か!? ユウヒ!」

 そんなユウヒの様子を視界の隅に捉えたスマルが声をかけるが、ユウヒはその度にこちらには構うなとばかりに睨みつけるだけで返事が返ってくることはなかった。

「くそ……っ」

 相手はこの国における最高最強の武人武官の集団、禁軍の兵士達である。
 ユウヒを助けに加勢したくとも、スマルも自分自身の相手をどうにかすることで精一杯だった。
 操られているせいか、兵士間の連携がないだけマシではあったが、それでも簡単に倒せないのは当然のことだ。
 だからといって黄龍の力を使おうにも、ユウヒを巻き込まずにその力を有効に発動する事は易くない。
 今はとにかく、一人でも多くの兵士を自分の手でどうにかするより他はないが、命を奪わずに倒すとなると斬って捨てるよりも労力は遥に必要で、黄龍から力を借りている状態であってもそうと自覚できる程に、スマルは想像以上に消耗している事を感じながら短槍を振るっていた。

 ――このままじゃマズいな……どうするかな。

 打開策を模索しようにも集中力を欠いた状態で戦えるような相手ではない。
 どうする事もできないまま、ユウヒとスマルは目に見えて消耗し始めていた。

「まずいな」

 そうつぶやいたのはサクだった。
 ユウヒの集中力が限界に来ているのに気付いたのである。
 確かに白虎のおかげで力の面ではどうにかなっているようには見えるが、剣を交える相手以外にも、ユウヒはスマルの短槍の動きにも気を配って戦っているのだ。
 その事が、さらにユウヒを消耗させているのだ。

「それがわかってもなぁ、俺のできる事なんて……いや、あるか。うまくいくかはちょっとわからないけど、やる価値はあるな」

 それまで見守ることしかできなかったサクの両手が、複雑な印を結んでいく。
 近くまで来たサジがサクに声をかける。

「それは? 何の印だ!?」
「うまくいくかはわからないんですが……短槍の動きをユウヒに知らせられたらと思ったもので」
「ほう? つまり?」
「そもそも敵うはずのない相手ですからね、ユウヒの集中力は相当なもんです。その上、スマルの短槍の動きにまで気を配ってる……そんな無茶、そろそろ限界がきそうだから」

 サジはちらりとサクを見て、それからユウヒとスマルの方を見た。

「なるほど……」

 サクの印を結ぶ手が止まるとともに、緩やかな風が通り過ぎて行った。
 それと共にその場の空気が若干だが変化する。

「……なるほど」

 もう一度そう言ったサジがサクの肩にぽんと手を置いた。