誓いの空


「遅くなりました。始めて下さい」

 そう言いながらユウヒが入り口から見て一番奥の席に着くと、すぐにカロンが卓子の上に大きな地図を広げた。

 マヤンの手配した者達と一緒に、カロンがどうやら国境辺りを見に行っていたらしい。
 情報は既にカロンがまとめているようで、何かを確認するかのように広げられた地図の上をカロンの視線が追っている。
 手書きではあったが、国境沿いの地形や建造物等が詳細に描かれており、必要な情報は見てすぐにわかった。

 そこに見慣れぬ記号がいくつか描き込まれている。
 それを見たソウケンの顔が一気に険しくなった。
 ユウヒは思わず息を呑む。

「ごめん、カロン。説明してもらえるかな」

 ユウヒがそう言うと、今まで難しい面持ちで地図を睨みつけていた面々がはじかれたように顔を上げてユウヒの方を見た。
 それには逆にユウヒの方が驚いた。
 一呼吸分の沈黙の後、ユウヒはもう一度同じ言葉を繰り返した。

「説明をお願い。何となくわからなくもないんだけど……知ったかぶりしても意味ないでしょ。今回は記号一つ一つが何を示してるのかってな初歩からお願い。一度で全部覚えるから今回だけ」

 その言葉に黄龍はその場の面々を一人ひとり見渡した。
 ソウケンは驚いたような顔になり、サクは困ったようにその表情を歪めた。
 ジンは愉快そうに薄笑いを浮かべて、カロンはいつもの穏やかな笑顔をユウヒに向けた。

「確かに……そうですね。ではそういった説明も含めてこれからお話しましょう」
「ありがとう、カロン」

 ユウヒはカロンの手元がよく見えるように立ち上がり、落ちてくる髪を一つに結い直した。
 皆、同じように立ち上がり、身を乗り出して地図を見つめている。
 カロンはユウヒの方を一瞥してから、一息吐いて口を開いた。

「まず見ての通り、これはこの周辺の地図です。端にギリギリ入ってるこの町が州都ゲンブになります。中央のこの線が国境、それに沿って流れているのがクシャナ川の支流で、こちら側が我々が今いるガジット。そして川を挟んだこちらがクジャ、ここが……ガリョウ関塞です」

 爪をきれいに切りそろえた指が、説明に合わせて地図上を動く。
 説明の合い間には指し示した記号が何を表すのかという補足が入り、その都度カロンはユウヒが納得して頷くのを確認する。
 現状の報告というには余りに手間のかかる説明ではあったが、それでもそこに居合わせた面々に、ユウヒが武人でも官吏でもない、ただの市井の民だという当たり前の現実を再認識させるのには十分だった。
 出会って日の浅いソウケンなどは、特に複雑な思いを胸に抱いたようだったが、そんな事はおかまいなしにカロンの説明は続いている。

「もう長いことガジットとクジャの間に争いはありません。ですが、この国境の砦は相当に強固なものです。ところどころ崩れているところがなくもないのですが、そんな場所を放置しておいてくれるような警備を黒州軍がしているとは思えません」

 カロンの言葉にソウケンが頷く。
 それを確認するように視線をソウケンに向け、そのままカロンはまた口を開いた。

「この砦、ただの城壁ではありませんよね? その昔、ガジットの騎馬軍団は最強であると謳われていましたが、それにもまして航空騎兵がその名を内外に轟かせていたんです。こんな地形の国ですからね、地上を行くより飛んだ方が速い」

 ユウヒが首を少し首を傾げたのに気付き、カロンは話を止めてユウヒを見た。

「騎獣ですよ。騎獣を操り、空からの攻撃をしかける軍団です」

 そう言ってカロンはまた説明に戻った。

「で、その対抗措置として、黒州とガジットの境であるガリョウ関塞の城壁には鉄製の大弓が設置されていたんです。ほら、ここと……ここ。それに……ここ、あぁ、これもそうですね」

 地図の上の砦に描かれた、いくつかの点をカロンが指し示す。
 そこには矢印のような絵記号が描かれ、その矢印は全てガジット側に向いていた。
 カロンの話は続く。

「その大弓、現在でもいくつか残っていたはずだったんですが……今回調べましたところ、全て取り除かれていました」

 複雑な色を含んだソウケンの表情が、苦しそうに歪む。
 ユウヒの視線が一瞬そちらへ流れたが、すぐにカロンの方に向き直った。

「……続けて」
「はい」

 カロンもソウケンの様子を少し気にしていた風だったが、ユウヒに促されてまた説明に戻った。

「いつだかの和平協定でガジットでも黒州においても航空騎兵は解散したとされていますが、実のところ、どちらもまだ戦力として残しています。ルゥーンのヨシュナ陛下が非公式に発表した声明で、ルゥーンとガジットがこちらに付いた事は既に黒州軍の耳にも入っているはず。当然、対抗策が成されていると我々は踏んでおりましたが……」
「その様子は全く見られない、っていう事ね?」
「そうです。兵士を配していないどころか、大弓自体が撤去されていました」
「関塞を超えるよりも確かに上空から強行突破した方が速いよね。それに私に四神がついているのはわかっているんだし、空から来るって思う方が自然だわ。ガジットが後ろにいるってわかってるならなおさら。うん……変ね、確かに」
「はい……」

 ユウヒが確認のために口を挟み、カロンがそれに答える。
 その他の面々は何とも訝しげな表情を浮べて、地図上に伸びる国境の城壁を目で追っていた。

「ガリョウ関塞を中心に、国境の警備には平時でもそれなりの人員が割かれています。国内の混乱の鎮圧に人手を回しているとはいえ、こういった状況です。もう少し何か動きがあるのではと思っておりましたが、こちらも」
「何もないの?」
「はい。平時となんら変わりないようです。ただこれはガリョウ関塞に限ってのことで、現在、黒州軍の大部分が州都ゲンブに集結しつつあるようです。これはジンの方に連絡がありました」