誓いの空


 そう言って、ソウケンは深々と頭を下げた。

 その言葉一つ一つが、ユウヒの中の何かを揺さぶり奮い立たせる。
 話を聞いた時も、そして今、この時にも。

「何もかも捨ててきた、なんて……一番大切なものはしっかり抱き締めたままじゃない」

 ユウヒはぼそりとつぶやいて空を見上げた。

 王都にいる時、炎の中でシオと会ったあの時もそうだった。
 そうであろうと心に思い描くのと、実際に見たり聞いたりするのとではその重さが違う。

 ソウケンの話を聞いた後、ユウヒが進むべき道は今、ユウヒの願う未来でもある。
 その未来が絵として描けるようになったことで、ユウヒを取り巻く何もかもが一気に現実味を帯びた。
 振り返り、遠く、国境の砦と立ちはだかるガリョウ関塞を見つめる。
 あの向こう側で、描いた未来を現実とするためにユウヒはここまで戻ってきたのだ。

 ユウヒはふと、ある事に気が付いた。

 ――そこまでして護りたい家族を、どうして国に置いてきちゃったんだろう?

 手違いでそのような重大な失敗をするような人物には思えない。
 だがこの場合、家族を人質にとられる心配を真っ先にするのではないか。
 それを考えないはずはない……が、それでも家族を置いてきたその理由はいったい何か?
 考え始めたユウヒの足は次第に遅くなり、前を行くソウケンや黄龍との間が開き始めた。

「おい、お前……何難しい顔して考え込んでんだ、ユウヒ」

 揶揄するかのような口調で言われ、苛立ち半分にその声のする方を睨みつけると、そこには木の陰に寄りかかって紫煙を燻らせ、ジンが立っていた。

「ジン……どうしたの? ソウケンに言われてこれからそっちに行こうと……」
「あぁ、そうだな」

 そう言いながら近付いてきたジンはユウヒの顔をまじまじと見つめると、何かに気付いたようで眉根をぴくりと上げた。

「何?」

 ユウヒがジンの顔をのぞき込むようにして訊ねる。
 ジンは煙草を銜え、空いた手をユウヒの方に伸ばしてその前髪を掻き上げた。

「ちょ……っ、だから何?」

 ユウヒが一歩退いてジンの手を払いのけると、ジンはまた煙草を手にしてゆっくりと煙を吐き出した。

「お前。あんま寝てねぇだろ」

 そう言って視線をチラリとユウヒの方に流す。
 ユウヒはばつが悪そうにぐしゃぐしゃと髪の毛ごと頭を掻くと、目を逸らしたままでぼそりとこぼした。

「だって……頭が冴えちゃって眠たくならないんだもん……」
「……びびってるってわけじゃなくて、か?」
「正直、びびる余裕もない。いろいろ考えようにも与えられた材料は少ないし、国ん中どうなってるかなんて、この目で実際に見ないことには考えたって仕方がないし。ほら、もともと心配性だからさ、私。何が来たって踏ん張れるようにあれこれ考えてるっていうか……」
「ふぅ〜ん……」

 ジンから返ってきたのは気のない返事だけだった。
 それでもユウヒは、自分の気持ちを確認するかのように話し続けた。

「これを考えてますって、はっきりとは言えないんだけどさ。これまでないくらいに頭ん中すっきりしてんだよね。だからいろんな事を一気にぐるぐる考えてるっていうのかな」
「そんな考えてばっかで、お前どうすんのよ」

 呆れたようにジンは言ったが、ユウヒは構わず続けた。

「不安要素はちょっとでも潰しておきたいのよ。実際、あんまり楽観視はしてないのよね、私。最悪の事態を考えていれば、その時になっても顔上げてられるかなぁ……なんて、ちょっと情けないかもね」
「……ま、それでお前が立ってられるんだったらいいんじゃねぇの? だが、睡眠はとれ。いざって時の判断力が鈍るぞ」
「それはわかってんだけど……」
「わかってんのになんだよ」
「うん。その……坂道転げ落ちてるみたいに頭くるくる回っちゃって、どうにも止まってくれないっていうか」

 申し訳なさそうにユウヒがそう言うと、ジンはいつもよりさらににやけた顔をしてユウヒの背中をどんと叩いた。

「じゃ、しゃーねぇなぁ。どうよ、今晩」
「は?」
「は、じゃねぇよ。何も考えらんねぇくらい疲れて眠れるように、手伝ってやろうか? 俺、直々に」
「へ?」

 立ち止まってジンを見ると、人を小馬鹿にしたあの薄笑いを浮べてユウヒの様子を窺っている。
 ユウヒはがっくりと項垂れて、そのままジンを置いてすたすたと歩き始めた。

「いい。遠慮しとく……っていうか、断固拒否」
「そうか?」
「えぇ、そりゃもう絶対。いやこの先だって、ジンにそういう相手してもらう予定ないから」
「ほー。こりゃ嫌われたもんだな、俺も」

 楽しげにそう言って後をついて来るジンの気配に、ユウヒは自分が思っている以上に周りに心配をかけてしまっている事を実感した。
 ふざけた話でごまかしてはいるが、ジンがわざわざ出向いてきたのも、おそらく皆と顔を合わせる前にユウヒの様子がどんなものかを見に来たのに違いなかった。

 ユウヒは周りに心配をかけている自分を情けなく感じるより、それだけ気遣ってくれている周りの人間達をありがたく思うことで、落ち込むことなく護りに入れる事に最近気付いた。
 全てが落ち着くまで自分が折れるわけにはいかないと、あれこれ考えた末に立ち止まりそうになった時は前だけを見て顔を上げていようとそう決めた。

「ごめんね、ジン」
「何が? 俺の誘いを断わった事か?」
「違うわ、馬鹿!」
「……わかってんならかまわねぇよ。ただ、しつこいようだが、お前の在り様はこの先全体の士気に関わるからな。そんなやつれた婆さんみてぇな面ばっかしてると、さすがに周りも気にするぞ」
「だよね。ごめん……」
「謝らなくてもいい。とにかく昼でも夜でも、時間見つけて身体休めろ。いいな?」
「うん。わかった……あとさ、ジン。色ぼけした親父みたいな冗談、どうにかなんない?」
「冗談? あぁ、そんじゃ冗談でなきゃいいわけだ」
「なお悪いよ、馬鹿」

 ユウヒがそう言って笑顔を見せると、ジンは静かに頷きユウヒの頭をぽんと叩いて、先に行っているぞとその場から姿を消した。

 ジンがいなくなり、前方を行くソウケンと黄龍に目をやると、やはり二人ともユウヒの事を気にしていたようだった。
 ちらりと振り返ったソウケンを目が合い、ユウヒが笑みを浮かべてその視線に応えると、ソウケンは安心したように笑みを返して頷いた。
 意外だったのは黄龍までも心配そうに振り返っていた事だ。

 ――黄龍にまで心配かけてる? え……黄龍が!?

 自分に向けられる黄龍の視線にどこか違和感を感じつつ、ユウヒはそのまま先を急いだ。
 ようやくユウヒ達の借りている民家に辿り着き、先頭のソウケンに続いて中へと入っていく。
 入ってすぐの空間は大きな部屋になっていて、そこはすでにただならぬ緊張感が漂っていた。