バッグ スーツ 1.誓いの空

誓いの空


 ガジットとクジャの国境程近く、岩ばかりがやけに目につく山中にユウヒはいた。

 冷たく乾いた風が頬を叩くようにして拭きぬけていく。
 その風に翻る領主旗の音がバタバタとやけに耳にうるさい。
 ルゥーンにいた時とは明らかに違うそれは、この土地が高地だからだろう。
 わずかばかりの緑を食むガジット馬が数頭、何かの気配に気付いて驚いたように唐突に駆けだし、それを目で追うユウヒの視界の中に黄龍の姿が入ってきた。

 なるほど、先程の馬達は人の形をしてはいても、人とは異なる気配に驚いたのだろう。
 現在、黄龍はユウヒの親友スマルの身体を器として人の姿で過ごしてはいるが、本来はクジャを守護する神と称される存在だ。

 ゆっくりと近付いてきた黄龍は、ユウヒに声をかけた。

「こんな所で何をしている?」

 ユウヒがその視線を黄龍から逸らしたその先には、長い壁の連なる国境の砦、クジャ黒州のガリョウ関塞があった。

 クジャの方角の空は暗く重たい雲が垂れ込め、どうやらひどく雨が降っているらしい。
 時折閃く雲の中の雷光が、その触手を地上に向かって伸ばしているのが見える。
 稲光からかなり遅れて耳に届くその音は、遠雷というには余りにも微弱で、その距離を感じて取れる。

 まだそれ程に遠く、だがそこまで近くにユウヒは還ってきたのだ。

「何を見ている?」

 再度、黄龍が声をかける。
 ユウヒは力なく笑って言った。

「何って……すごい天気だなって、あの辺り。あそこだけ……クジャの上だけ」

 そう言って指差した先にあるクジャの空は、本当にそこだけがまるで狙い打ちされているかのようにどんよりと重たい雲に覆われていた。

「あぁ。俺達のいない間に何やら余所者が入り込んだようだな」
「余所者?」

 再び黄龍に視線を戻したユウヒが不思議そうに聞き返すと、そのすぐ横に並んだ黄龍が目を細め、遠いクジャの空を見つめて言った。

「お前にはわからんか、女。あの荒天は自然のものではない」
「え? どういう事?」

 本当に何もわからない様子のユウヒを少しもどかしそうに見つめ、黄龍はまた口を開いた。

「この距離だ。はっきりとした事は言えないが……あの暗雲、あれはおそらく嘆きの龍、ヒヅの哭龍の仕業だな」
「ヒヅって、ヒヅ? え? なんでそこでヒヅ……いや、だいたい何者なのよ。そのコク……哭龍って」
「は? あぁ、ヒヅの守護者というか……しかしなんでまたクジャに……」
「……その何とかいう龍がいると、黄龍達は戻れないの?」
「いや、問題ない」

 黄龍はそう言って、またクジャの空に目をやった。
 束の間の沈黙に、風を孕んだ旗のはためく音がバタバタと響いた。
 そしてまた遠くの雷鳴が微かに鼓膜を揺らした時、背後から二人に声をかける者がいた。

「お二人ともお戻りください。国境線を探っていた者達が戻ってまいりました」

 振り返ったそこにはソウケンが立っていた。
 近付いて来るソウケンを迎えるように、ユウヒも数歩足を踏み出す。
 すぐ近くまで来たソウケンは、すっと手を掲げて拝礼してからまた口を開いた。

「サク殿とカロン殿が手分けして皆に声をかけております。じきに皆揃うかと……」
「わかった。行こう、黄龍」
「……あぁ」

 先に歩き出したソウケンに続いて、黄龍、そしてユウヒが歩き出した。