「私に?」
ランが頷くとオウカは急いで紐を解き、その書簡に目を通した。
不安そうに見つめるランの視線に、オウカは時折顔を上げて穏やかな笑顔で応えてやった。
全てに目を通し終えると、オウカはランに一言確認した。
「これをここにいるシキにも見せて構いませんか? 彼は州軍の副将軍、ソウケンの補佐をやっている者なんです」
ランは迷う様子も見せずに頷いて言った。
「オウカ様宛のものです。オウカ様がよろしいのであれば構わないと思います。それに私はその手紙の内容を存じませんので判断出来かねます」
オウカはそれを聞いて、その書簡をランに差し出した。
「ご覧になりますか?」
ランは少し驚いた様子で、それでも首を横に振ってその申し出を断わった。
オウカはゆっくりと頷いて、シキに書簡を渡した。
シキは少し戸惑った様子だったが、いつもは必ずどこかに逃げ道を用意してくれるオウカらしからぬ有無を言わさない視線を受けて、その書簡を神妙な顔つきで手に取った。
書簡を持つ手が緊張で温度を失っている。
一呼吸おいて自分を落ち着かせると、シキはその書簡をすぅっと広げた。
オウカはその様子を横目でちらりと見ると小さく微笑み、目の前に座るランとクウを交互に見つめた。
「皆の意見も聞いてみなくてはわかりませんが、おそらくこの先……私達はとても大きな決断を迫られる事になりそうです。いろいろと面倒に巻き込まれても大変です。あなた方はどこか安全な場所に身を隠して……」
「いえ、お構いなく、オウカ様。今のお言葉で主人が何を考えどういう行動をとったのか、私にもおぼろげながら見えてまいりました。そしてもしもその通りであるなら、この国のどこにいてもあまり大きな差異はないかと存じます。ならば私は、私のあるべき場所で自分のできる限りの事をしていきたいと……お気遣いは、その……とてもありがたく、感謝の言葉もないのですが……」
語尾に近付くにつれ、ランの言葉から勢いがなくなっていく。
オウカにはその理由がわかっていた。
「ラン殿、顔を上げなさい。ソウケンのした事を咎める気はありませんよ。むしろ、いい機会を作ってくれたと……私はそう思っています」
「オウカ様……」
「さすが、ソウケンが選んだのも頷けます。あなたはとても聡明で、そして強く優しい心の持ち主のようだ」
オウカは視界の隅に、書簡を読み終えたシキが言葉を探して呆然としているのを捕らえた。
「さて……」
オウカは立ち上がって大きく二度、手を叩いた。
「ラン殿。やはりあなた方は少し州城で休んでからお帰りになった方がいいかもしれません。部屋を用意させましょう」
「でもそんな……」
頑なに拒もうとする姿勢を見せるランを、オウカは手をすっとかざして制した。
「血気盛んな者もおりますからね、馬鹿な振る舞いをする者がないとも言えない。私があなたを帰しても大丈夫だと納得できるまでは、どうかこの我が儘に付き合ってはいただけないだろうか」
「……わかりました。ではお言葉に甘えて少しだけ」
「ありがとう、ラン殿。そして君、クウ、と言ったか」
いきなり呼ばれてびくりと身体を強張らせてクウが頷く。
「クウ。君もお母さんと一緒にもう少しこの城にいてくれると嬉しい。お菓子が気に入ったのなら、また持ってこさせるよ。構わないから女官達にそう言いなさい」
怖くなったり優しくなったりするオウカの不思議な声色に、クウはすっかり呑まれてただこくこくと頷いた。
そこへ先ほどの合図を聞いた女官が姿を現し、オウカの指示を受け、そのままランとクウを連れてその部屋を出て行った。
それを見計らったかのように、シキは書簡をオウカに戻して口を開いた。
「これはどういう事です? オウカ様はいったい何をどうするおつもりなんですか」
問い詰めるようなその口調に、オウカの表情から笑みが消えた。
「城内の必要各所に至急伝達を、臨時の朝議を開きますよ。シキ、将軍が不在です。州軍からは君が出なさい」
「はっ」
そう言って立ち上がったシキは一礼すると、部屋を出て、すぐに辺りをうろついていた者を数人捕まえた。
そしてオウカの指示を伝えると、自分は州軍の詰所へと急いだ。
部屋にたった一人残されたオウカは椅子にどっさりと腰掛けると、目を瞑り、大きく深い溜息を吐いた。
「こんな大仕事をする日が来るとはねぇ……」
そうつぶやいて、さらに大きな溜息を一つ。
「あの口癖はそういうことでしたか。初めて聞いたのはいつだったかな……何故君があの言葉を何度も繰り返していたのか、その意味がやっとわかりましたよ。ソウケン……」
誰に聞かせるでもない言葉をあえて口に出すことで自分の心の在り処を確認する。
目を開けたオウカの双眸に映ったのは、装飾の施された天井ではなく、この国の未来。
耳の奥に蘇る、かつて何度も聞いたその言葉。
『言い訳を探して自分に言い聞かせている時点で、もう本当は過ちに気が付いているのです』
オウカは手にしていた羽扇を握り締め、ゆっくりと立ち上がった。
そして自分の中でじわりと蠢いたその何かの正体をじっくりと見極めながら、音もなくひっそりとその部屋をあとにした。
< 第5章 砂漠の龍 〜完〜 >