月の王


「何だお前。すげぇ間抜け面だぞ」

 ユウヒはハッと我に返り、焼き菓子をかりぽりと食べ始めた。

「なんで、そんなんわかんの?」

 口に入れた焼き菓子を噛む音をぱりぽり響かせながら、ユウヒがスマルに訊ねた。

「口ん中食いモン入ってるまんま喋んな、馬鹿」

 スマルは呆れたように一言釘を刺してから続けた。

「なんだろうな。あんまり閉じないまんまで歩けるだけ歩き回って、時々黄龍と話して、たまに出会う人間に話を聞いて……そんなとこかな? 土使いの力ってやつなんだろうな。大地に手をついて全開にするだけでも、相当いろんな事がわかるんだよ」
「へぇぇぇ。そりゃすごいね。いつの間にそんな事できるようになったんだか」

 ユウヒの言葉にスマルは驚いたように口を開いた。

「いつの間にって……なんだよ、封印解く時にできる事を知れって俺に言ってただろ? あれだよ、だからできるんだよ。いつからとか、そんなんじゃねぇよ」
「あぁ、そっか」
「そうだよ」

 スマルはそう言った後、よほど空腹だったらしく並べられた料理をものすごい勢いで食べ始めた。
 ユウヒもその向かい側で、付き合い程度に軽いものを口に運んだ。
 黙々と食べ続けるスマルに向かって、今度はユウヒの方が話し始めた。

 サリヤから聞いた星の話と月の話、そして炎の中で玄武から言われた言葉の意味。
 泣き出してしまわないように言葉を選びながら、ユウヒはゆっくりとスマルに話した。
 スマルはまるで聞き流しているような態度で、食事をとる手を止めようとすらしなかったが、ユウヒは全てを話し終わった後、そうかとただ一言だけ言って笑った。
 そろそろ昼になる頃だろうと、ユウヒが扉の方を伺った時だった。

 扉の向こう側からまた言い争うような声が聞こえてきた。
 ユウヒとスマルは急いで寝室に戻り、ユウヒは革帯と巻いて帯剣し、スマルは腰を下ろした傍らに自分の剣を置いた。

「おい。なんだよ、あれ」

 スマルが卓子の向こう側から小声でユウヒに訊ねてきた。
 ユウヒは扉の向こうの会話に神経を傾けたままで、スマルの問いに答えた。

「よくはわからないんだけどね。あんたがいなくなった日に来たのが最初で、それから毎日来てる。サリヤさんがうまいことやってるから、私にはよくわからないんだよね」
「わからないって……お前な、サリヤさんに聞けばいいだろ?」
「そうなんだけどね。あの人はジンが羽根に使うような人だよ? 聞いたって答えてくれるわけないじゃない。はぐらかされるし、出て行くこともできないのよ。スマル、何だと思う?」
「何、っつってもなぁ」

 そう言って、二人は剣を手に立ち上がった。
 扉の方に歩み寄り、向こう側の声に必死に耳を傾ける。
 言い争っているには違いないのだが何分距離がありすぎて、会話の内容までは聞き取れない。
 ただその声にはユウヒも覚えがあった。
 やはりこのところ毎日来ている男たちに相違なさそうだった。

「いつもの奴らだ、やっぱり」
「……お前は、何だと思うんだ?」
「わからない。でもサリヤさんが何も言わないから、おそらく私がらみなんだろうなって思ってる」
「だろうな。さて、どうしたもんか……」

 ユウヒとスマルは互いに顔を見合わせて、また全神経を耳に集中した。
 しばらくすると話し声は途切れ、代わりに足音がどんどん近付いてきた。
 スマルとユウヒは慌てて扉から離れ、剣の柄を握り締める。
 扉が開き、入ってきたのはサリヤ一人だった。

「あら、何かしら?」

 驚くでもなく、流すでもないサリヤの態度は、二人がなぜ緊張した面持ちで剣を手にしているのかを承知している証拠だ。
 ユウヒとスマルは剣から手を離してサリヤに近付いた。

「サリヤさん、大丈夫でしたか?」
「あぁ、えぇ。大丈夫よ」
「あの男たち、毎日来ていますよね。何なんですか?」

 その問いにサリヤの返事はなく、ただ黙ってゆっくりと首を横に振った。
 これ以上は聞いてくれるなという拒絶である。
 ユウヒ達はそれ以上問い詰めることを諦めるより仕方がなかった。

「さぁ、お昼にしましょう」

 まるで何もなかったかのようにサリヤに振舞われてしまっては、ユウヒ達もさすがに切り出しにくくなってしまい、その場はうやむやのままとなってしまった。
 結局そのまま、夕食の時にも話を聞けず、スマルとユウヒは何とも納得のいかないままに、その日は眠るしかなかった。

 そしてそのサリヤの態度は翌朝になっても変わらなかった。
 朝食を済ませ、部屋に戻ったスマルとユウヒは、剣を手にすぐに外に出た。
 午前中は日の高さと方角の関係で、岩を削ってできたこの不思議な星読みの塔の影の部分がずいぶん過ごしやすいのだ。
 二人はそこで久しぶりに剣舞の稽古をした。
 たったの三日の間に、ヒヅ刀に適したかたちに舞いを改良しているユウヒにスマルは感心した。
 そして無駄な動きがないかをスマルに指摘してもらって、ユウヒがそれを修正した後、今度は足場は悪かったがその場で手合わせをした。
 食事の時以外はずっと二人で剣を握り、夜は屋根の上でサリヤの話を聞いてから眠る。

 そんな事が日常になろうとしていたある日の夜にそれは起きた。

 いつものように、夕食の後で星読みの塔の屋根の上で三人で話をしていると、櫓の方と入り口の方の両方からけたたましい音が夜の空に響き渡った。

「何!?」

 毎日のように来てはサリヤと言い争っている男達を警戒して、スマルとユウヒは常に帯剣するようになっていた。
 三人は勢いよく立ち上がり、ユウヒ達は砂避け布の下でしっかりと剣を握り締める。

 階下から物音が聞こえる。
 どうやら何者かが室内に入ってきたようだった。

「おい、この声って……」
「うん。昼間の男達よね。サリヤさん、下がってて下さい」

 そう言って振り返ったユウヒの目に飛び込んできたのは、まるで感情というものがない無表情なサリヤの顔だった。