月の王


 その夜から数えて三回目の朝。
 何事もなかったかのようにスマルはひょっこり帰ってきた。

「あら、スマルじゃないの。いつ帰ってきたの!?」

 驚いて声をかけてきたサリヤに、スマルが疲れ果てた表情で答えた。

「黙って出かけて申し訳ありませんでした。さっきこちらに着いたところです」
「そうなの。ユウヒにはもう会った?」
「いえ、まだ……」

 ばつが悪そうにスマルが言うと、サリヤは優しく笑みを浮かべてスマルの肩をぽんと叩いた。

「まずは湯浴みでもしていらっしゃい。ユウヒに顔を見せるのは、その後の方がいいんじゃないかしら?」
「え? そんな水使っちゃって……いいんですか?」
「気にしないで。クジャのお風呂みたいにゆっくりできるものはないけれど、さっぱりするわよ。さ、遠慮しないで。この右側の通路の突き当たりよ」
「はい、ありがとうございます。あの、あいつは今どこに?」

 辺りを見回したがユウヒの姿は見当たらなかった。

「ユウヒなら外よ。建物の影のあたりで剣を振り回しているはずよ。見かけなかった?」
「はい」
「じゃ、きっといきなり顔を見せたら驚くでしょうね。さぁ、早いとこさっぱりしていらっしゃいな」

 サリヤに促され、スマルは一礼すると左側通路にある部屋へと急いだ。

 居間を抜け、寝室に入る。
 出た時のままかと思っていたそこは、掃除もされ、簡単に整理整頓されてこざっぱりと片付いていた。
 ユウヒの寝室へと続く扉が開け放ってあるのは、おそらく帰ってきたらすぐにわかるようにとユウヒがそうしておいたのだろう。
 思わず噴出したスマルは、ゆっくりと扉の場所まで歩いて行った。

 ひょいと首を覗かせてユウヒの使用している寝室を伺うと、サリヤに借りたのだろう分厚い本が数冊、寝台の上に広げたままで置かれていた。
 スマルは扉を閉めると、着替えと湯浴みの準備をして部屋を出て行った。

 そのスマルとすれ違ったサリヤは、急いで厨房に入り、食事の用意を始めていた。
 朝食の時間はもうとうに過ぎていたが、昼にはまだ早すぎる。
 ただ久しぶりに戻ってきたスマルと、彼を迎えるユウヒの二人にゆっくりと話をする時間を作ってあげたい、サリヤはそう思っていた。

 食事の準備ももうほとんど終わった頃、料理の匂いに誘われるようにユウヒがサリヤのところに顔を出した。

「あら。おかえりなさい、ユウヒ」
「ただいま、サリヤさん」
「どう? 剣の扱いにはだいぶ慣れた?」

 調理や盛り付けをする手を止めることなく、サリヤはユウヒの相手をする。
 ユウヒもそれを邪魔しないようにして話をする。

「おかげさまで。一日中ずっとやってますからね。三日もやればさすがに馴染んできますよ。最初はどうなる事かと思ったけれど」
「そう、良かったわ。あの動きは舞いになっているのね。最初はなんで踊っているように見えるのか不思議だったのだけれど、慣れてくるにつれて剣舞なんだって気付いて……うっかり見惚れてしまったわ」
「そうですか? でも、最初の頃はそんなにひどかったかな。これでも剣舞はけっこう自信あったんだけど……」

 不満そうに脹れるユウヒにサリヤは思わず笑みを浮かべる。

「だってあなた、最初の頃は少し動いては止まって首を傾げ、少し動いては止まって剣を睨みつけてって、とてもじゃないけど剣舞だなんて思いつきもしなかったわよ?」
「うわぁ……そんな頃から見てらしたんですね。恥ずかしいなぁ」
「そんなことないわ。目に見えて上達していくのがわかったもの。あなた、本当に剣舞が好きなのね」
「はい、大好きです」
「そう。夢中になって取り組める何かがあるって、素敵なことよ」
「そう……ですね」

 その大好きな剣舞も、今では闘う道具となってしまっている事に、ユウヒの心はひどく痛んだ。

「ユウヒ?」

 ユウヒの様子の変化に気付いたサリヤが、心配そうにユウヒの顔を覗きこんでくる。
 その視線を受けて、ユウヒは力なく笑って言った。

「できればこのまま、ずっと純粋に舞いを楽しんでいけたら良かったんですけどね」

 その言葉にサリヤはそっとユウヒの肩に手を添えた。

「考えてもどうしようもない事は、あまり深く考え込まない! さ、できたものからあなた達の部屋に運んでちょうだい」
「え、これ私の? あぁでもこんなに食べられないし……それにまだお腹空いてないですよ?」

 そんなユウヒの言葉はおかまいなしに、サリヤはユウヒに皿を載せた盆を渡す。

「軽いものもいろいろと用意してあるわ。何か摘まみながらの方が、のんびりと話もできるというものでしょう?」
「え? 話って……サリヤさん、それっていったい?」

 戸惑うユウヒを何とも楽しそうな笑みを浮かべてサリヤが見つめている。
 これは何を言っても仕方がないと、言われた通りに料理を手に自分の部屋へと向かった。
 居間はどこも変わった様子はなく、ユウヒは卓子に皿を置いて、傍らに盆をたてかけると自分の寝室へと足を運んだ。
 革帯ごと剣を寝台の上に投げ出した時、開け放っていたはずの中扉が閉まっていることにユウヒは気が付いた。