月の王


「自分自身でって、どういうことですか?」

 ユウヒが問い返す。
 サリヤはユウヒを見ることなく、そのまま静かに言った。

「随分昔に発見されたことで、私達星読みの間ではもう常識になっているんだけれど……ずっと観察しているうちにね、わかったんですって。他の小さな星達とは違って、月は自分では輝いていないの。あんなに明るいのにね」
「そうなんですか。そういうの、見つける人ってすごいなって思います。でも、その……じゃあなんであんなに明るいんですか? 他の星よりもうんと明るいのに。何だか嘘みたいっていうか」
「そうよね、嘘みたい。でも本当なのよ。月はね、太陽に照らされて輝いているの。信じられないでしょう?」

 ユウヒは驚いてサリヤの方を見た。

「太陽に? だって夜にはどこにもないじゃないですか。あぁでも、だからわからないんですよね。でも、えぇ!? 何だか信じられないです」

 ユウヒの驚きように、サリヤは楽しげに笑って言った。

「私も、最初は疑ってかかったわ。星読みになったばかりの頃にはね、どうにかしてその嘘を暴いてやろうくらいな事も思ったりしたもの。でも、嘘じゃなかった。日が沈んでしまった後も、太陽はどこかにあって、月をずっと照らしているのよ」
「そうなんですか。まぁ、そんな事考えた事もなかったから当然なんだけど、あんなに明るく照らしてるのに……ホント、嘘みたい」
「ねぇ……あの月の名前を、あなたはもらっているのよ。月の王様、蒼月。それが本当はどういう意味なのか私にはわからないけれど、初めてジンからその名を聞かされた時には、なんて素敵な名前を戴いた王様なんだろうって、心から思ったわ」
「そう、ですか?」

 ユウヒの声はあまりにも弱く、サリヤはさらに言葉を継いだ。

「ルゥーンと違って、クジャの王様は選ばれた人間がなるのでしょう? それって、大変でしょうね。でも、ルゥーンの王様が太陽ならば、クジャの王様は月だと思うのよ。圧倒的な力で地に立ち世を照らすのが太陽の王なら、月の王は……」
「太陽に照らされて……輝く? あ、それって……」

 ふと、ユウヒの脳裏にある言葉が思い浮かんだ。

『だからこその、蒼月じゃないですか』

 あれはいつ、誰が言った言葉だっただろうか?
 ユウヒは懸命に記憶を辿った。

「だからこその……蒼月、か」

 ユウヒが小さくつぶやくと、それが聞こえたのだろう。
 サリヤが聞き返すように声をかけてきた。

「だからこそ? それは、どういう事かしら、ユウヒ」

 ユウヒは照れくさそうに後頭部を掻きながら答えた。

「今ちょっと思い出した言葉があって……いつだったか、誰かが私に言ってくれたんです。あれは確か……えっと、いつだっけな?」

 ユウヒの動きが止まり、思考に全てを傾ける。
 そして記憶の糸はどんどん手繰り寄せられていき、視界が徐々に広がっていくように記憶に色がついてくる。

 そう、あれは燃え盛る炎の中。
 王都ライジ・クジャの、あの火事の炎の中で、ユウヒが自身の無力さに自信を失って弱気になっていた時だ。

『そのための我々なんじゃないですか?』

 そう言ってくれたのは、忠実なる王の僕、そして大切な友人。

『独りで立つのがそんなに大事ですか?』

 どんどん記憶が鮮明に蘇ってくる。
 それははっきりと玄武の声となって、ユウヒの心に響き渡った。

『独りで立つのがそんなに大事ですか? 私達やスマルがいるという事もあなたの一部だと思って下さい。独りで立っていられない時は私達が手足になって支えます。だからこその、蒼月じゃないですか』

 自然に涙が溢れた。
 あの時の言葉が、より強い力を持って、ユウヒの心を揺さぶってくる。

 ユウヒは両手で顔を覆って泣いた。
 いつの間にかすぐ隣に来ていたサリヤが、まるで全てを受け止めてくれているかのようにユウヒを強く抱きしめていた。

 堪えきれない嗚咽が、砂漠の夜に響いている。
 どこかでそれを恥ずかしがる自分がいたが、それでも我慢をしようとは思わなかった。
 ひとしきり泣いて、やっと落ち着いたその時、頭の上からサリヤの言葉が降ってきた。

「だから……力がないなんて思わなくていいのよ、ユウヒ。全てはあなたのもらったその名前の通り。あなたは本当にたくさんの太陽に照らされて輝いているわよ」
「……はい」

 そう答えて顔を上げたユウヒの目から、また涙が零れた。
 ただその目には光が宿っていた。
 そしてユウヒはもう一度、故郷に続く空に浮かぶ月を眺めた。

「蒼月、かぁ……」

 溜息混じりにつぶやく。
 その名前に込められたであろうその意味をゆっくりと抱き締める。

 ――ありがとね、玄武……クロ。

 心の中のつぶやきは、玄武に聞こえていたのだろうか。
 ユウヒはふと、胸の奥の方が、熱くなったような気がした。

 肩に置かれたサリヤの手が、静かに離れていく。
 二人はまた黙ったままで、星空を眺めていた。
 何も話すことはなかったが、不思議と言葉以上の何かが伝わっているような、そんな気がユウヒはしていた。

 やがて月も高くなり、その細い身から零れる頼りなげな光で辺りを照らし、小さな星を少しずつのみ込み始めた頃、サリヤが静かに立ち上がった。

「そろそろ戻りましょうか? お話の続きは、また明日にしましょう」
「そうですね」

 ユウヒもゆっくりと立ち上がった。
 サリヤとユウヒが姿を消すと、そこには静寂が訪れた。
 動くものの何もない、静かな夜が横たわっている。
 折れそうに細い月は、ただ夜の闇に、淡く弱い光を放っていた。