月の王


 今夜は、スマルも、他の誰もいない、サリヤと二人きりだ。
 言うならば今しかないとユウヒは思った。

「あの……サリヤさん」

 声をかけてから、ハッとしたようにユウヒは口を噤む。

 ――何言おうとしてんだろ。ほんの二、三日前会ったばかりの人に……あぁ、でも……。

 そう言ったきり俯いてしまったユウヒに、サリヤが静かに話しかけた。

「ユウヒ? 何か……話でも?」

 ユウヒは一呼吸おいてから返事をした。

「はい」

 知り合ってからの時間は短いが、ユウヒはやはりサリヤに話を聞いて欲しいと思った。
 返事をしてからユウヒは大きく深呼吸をして、ゆっくりと話を始めた。

「ちょっと、うまく言えるかわかんないんですけどね。自分でもなんでこんなんなのか……でも、聞いて欲しいというか、吐き出したいというか」
「えぇ、いいわよ。私で良かったら」
「……ありがとうございます」

 ユウヒは安心したように小さく笑みを浮かべると、大急ぎで頭の中を整理した。

 ――何でもいい、どう思われてもいいから言わなきゃ。今言わないと、きっともうずっと仕舞い込んで抱えてくことになる。

 ユウヒはまた深く息を吸って話し始めた。

「えっと……その、ルゥーンの王様って、どんな方ですか?」

 突然切り出された話は思いも寄らないもので、サリヤは内心戸惑いながらも、ユウヒの言葉に真摯な態度で答えた。

「そうねぇ。この国には王族がいるの。だから王になる方は生まれながらにしてその運命、宿命っていうのかしら? それを背負っていることになるわね。王となるために育てられ、常に王である事を求められ……その絶対的な力のもとに、この国の全てが頭を垂れるわ。同じ人間だけれど、そうね、それこそ神様とか、とても神聖なものとして崇められている存在ね」
「そう、ですか……」

 ユウヒの声は沈んでいるようだったが、サリヤはそのまま続けた。

「その方のお人柄にもよるけれど、絶対的な存在であるには変わりはないわね。ただ……それでも、そうね、王も政の道筋を見極める際に星読みの言葉には耳を傾けて下さるの。私達星読みは国の政治にとても深く関わっているわ。一番上にいては見えない何かを、私達を通じて知ろうとなさっているのね。それに絶対的と言ったけれど、臣下の言葉にもきちんと耳を傾けていらっしゃるわ。とても、寛容で懐の深い方よ」

 ユウヒは返す言葉が見つからなかった。
 サリヤの言う王というものが、一般の人間であるユウヒの思い浮かべる王たるものの姿そのものだったからだ。
 黙りこくったままのユウヒにサリヤが話しかける。

「ユウヒ。クジャとルゥーンでは環境が違うわ。比べるのって、無理があると思うわよ?」

 サリヤの言葉にユウヒは苦笑する。

「はい。わかってはいるんですけどね……実際、クジャの場合はある時いきなり王様になってしまうわけですから。比べる方がおかしい。わかってます、それは」
「でもやっぱり気になる、のね?」
「……はい」

 ユウヒはどこから話をしようかと途方に暮れつつも、それでもまた口を開いた。

「なぜ私が、という自問はもう飽きるほど繰り返しました。でもその問いに答えは見つからない、選ばれた事自体が理由なんだと思うから。だけどそれだけで自分を納得させようにも、私はあまりにも力不足で……正直、焦りばかりが募ってしまうんです」

 悔しそうにユウヒが言葉を切ると、サリヤは驚くほど意外そうに言った。

「あら……どうして力がないなんて思うの?」
「えっ?」

 人工の灯りが一切見えない星の光だけの夜空の下。
 その薄暗い闇の中でいったいサリヤはどんな顔をして話しているのか、ユウヒは目を凝らしてサリヤの顔を食い入るように見つめる。
 サリヤは静かに微笑んでいた。

「あぁ、そうね……」

 サリヤは小さくそう言って、星空を見上げた。

「星、きれいでしょ?」
「えぇっ!? あの……はい、きれいです」

 唐突に切り出されて、ユウヒは驚き戸惑いながらも相槌を打った。
 そしてサリヤと同じように空を見上げた。
 だいぶ暗闇に慣れてきたユウヒの目に、降ってきそうなほどの満天の星の瞬きが映る。
 無意識に、小さく溜息が漏れた。

「どの星も小さいけれど、とてもきれいに輝いているわよね。でも月だけは、少し他の星とは違っているのよ。知ってる?」

 まるで子どもにでも聞かせているように、サリヤの言葉は優しく穏やかに響いてくる。
 ユウヒは空を見上げたまま、少しだけ首を傾げて言った。

「月は……大きい? それに、すごく明るいです」
「そうね。確かにそうだわ……」

 遠い東の空、クジャの方向に浮かぶ月に視線を移す。
 折れそうに細い月が、砂に煙って赤く浮かんでいる。
 二人して月に目をやったまま、口を開いたのはサリヤだった。

「月ってね、ユウヒ。他の星とは違って、自分自身で輝いているわけじゃないみたいなの」