月の王


「まったく。なんだかねぇ」

 広い空間に、ユウヒが食事をする食器の音だけが耳障りに響いていた。
 なかなか進まない食事をゆっくりとユウヒがとっていると、そこへ先ほどスマルの分をさげに行ったサリヤが戻ってきた。

「心配で食事どころではないかしら?」

 そう言いながらサリヤが向かい側の椅子に腰を下ろす。
 ユウヒは差し出された湯冷ましの水を喉を鳴らして飲み、溜息混じりに言った。

「いえ、そこまでは……心配していないというと嘘になりますけど、でもこんな時ですから。あいつにもまた、何かやらなくちゃならない事があるってことなんでしょうね。信じて待っててやるしかないと思います」
「そう。ユウヒ、あなたは大丈夫?」
「え? 私?」

 驚いてユウヒの動きが一瞬止まる。
 だがすぐに笑みを浮かべて首を横に振った。

「大丈夫ですよ、ありがとうございます」

 それを聞いたサリヤはまだ何か言いたげにユウヒを見ていたが、一つ溜息を吐いて静かに話し始めた。

「どうしても立っていられない時には、別に座ったって寝転んだって構わないのよ、ユウヒ。そうすることでまた立ち上がれるなら、何だっていいのよ」
「は?」

 最後の一口を口に放り込み、それを水で流し込んだユウヒが不思議そうに問い返す。

「どういう事ですか?」
「寄りかかる場所は他にもたくさんあるわよって、そう言えばいいのかしら? 気を張っていないとっていうのはわかるのだけれど、でもそればっかりではしんどいわ。違う?」
「あぁ、そういう事ですか」

 ユウヒは少し考えてから、また口を開いた。

「今は、まだ寄りかかる余裕もないんです。ただもう必死で、常に心のどこかでどうすればいいんだろうって自問自答しているような状態ですし。弱音を吐いてしまったら、もうそこから動けなくなりそうで……怖くて」

 そう言った後で、しまったという表情を浮べてユウヒはさらに続けた。

「あの、サリヤさんの仰っていることはとてもよくわかるんですが、まだそこまでは……ね、開き直れてるかんじはないです」

 そう言って申し訳なさそうに作り笑いを浮べるユウヒに、サリヤは大丈夫だよという風ににっこり笑って頷いた。

「あなたはとても強くて、そして同時にとても弱いのね。そのどちらの自分も大切にしてあげなさいよ、ユウヒ」

 ユウヒはまた驚きの表情を浮かべ、静かに口を開いた。

「そんな風に見えるんですね、私」
「え? そんな風って?」

 事も無げにサリヤは言って笑みを浮かべる。
 ユウヒはくすぐったいような、それでいて居心地の悪いような、妙な気分だった。
 会って間もない人間に、まだ知られているはずのない自分の内面を次々に暴かれているような、恥ずかしくもあり、腹立たしくもある感覚。
 そう、これはジンに会った時にも感じたものだ。
 ユウヒは苦笑してぼそりとこぼした。

「なるほど……確かにジンの羽根ですね、サリヤさんは」
「あら、そう?」

 サリヤは裾の長いルゥーンの民族衣装の下で足を組んでゆったりと座っている。
 よくはわからないが、この国で星読みというのはそれなりの地位を保障されている職業なのだろう。
 サリヤの言動にはとても気品があり、そして柔らかな物腰や言動には不思議と説得力や、奇妙なまでに圧倒されるような迫力があった。
 ユウヒはサリヤの事がもう少し知りたいと思った。

「あの、サリヤさん。あなたは何故、星読みに、それとジンの羽根になったのですか?」

 サリヤの双眸が驚きのためユウヒに釘付けとなる。
 ユウヒはその視線を真っ向から受け止めた。

「そうねぇ……」

 サリヤは頬に手を添えて少し思案した後、また口を開いた。

「星読みについては、ただ自分ができることをしようって思っているうちにここへ辿り着いたような、そんなとこかしら?」
「自分に……できる、事?」
「えぇ、そうよ。自分にできる事。この国をどうしたいとか、そこまで高尚な思いは持った覚えはないわねぇ」
「はぁ」

 そう言っていたずらっぽく笑うサリヤは実際の年齢よりも随分若く見える。
 ユウヒは返す言葉が見つからなくて、間抜けな声で返事をした。

「ジンの羽根になったのは……そうねぇ、何だったかしらねぇ?」

 ユウヒが次に続くサリヤの言葉を待っていると、建物の入り口の方から何やら物音が聞こえてきた。