9.月の王

月の王


 翌朝、ユウヒは朝食の準備ができたからと呼びに来たサリヤの声で目を覚ました。

 寝台から起き出して、のそのそと身支度を始める。
 星読みの塔のあるこのサリヤの仕事場兼用の別宅で、ユウヒとスマルは前日同様に居間が一つ、そして直接行き来できる隣り合った二つの寝室がある部屋を割り当てられていた。

 隣室からサリヤのスマルを呼ぶ声がユウヒの寝室まで聞こえているが、まだ寝ているのか、スマルの気配は感じられない。

 ユウヒは寝室を出た。

「おはようございます、サリヤさん」
「おはよう、ユウヒ。どう? よく眠れた?」
「はい、おかげさまで……」

 そう言いながら髪の毛を後ろで一つにまとめる。
 地下水を汲み上げてひいているのだという手洗い場に向かうと、すでに身支度を整えたカロンがそこにいた。

「おはようございます。ユウヒさん」
「おはようございます。あの、もう出発されるんですか?」

 カロンに場所を譲ってもらい、ユウヒが顔を洗い始める。
 砂漠でまさかこんな風に水を使うことができると思っていなかったユウヒは、何とも不思議な気分だった。
 カロンはすぐ後ろの壁によりかかって、ユウヒの問いに返事をした。

「えぇ。私はもう先に朝食も済ませてしまいました。早めに出て、ジンのところに騎獣を届けてこようと思いまして……」
「あ、そうだったんですか」

 カロンに渡された手ぬぐいで顔を拭うと、ユウヒは束ねた髪を下ろして櫛で梳かし始めた。

「ありがとうございます、カロンさん。あの……ジンによろしくって。あ、あと……」
「あと? 何か伝言でも?」
「はい。人の荷物勝手に見るなって、ユウヒが怒ってたって言っておいて下さい」

 カロンは不思議そうな顔をしてユウヒを見つめ、すぐに笑みを浮かべて口を開いた。

「そんな事やったんですか、あの人は。わかりました、よくよく伝えておきましょう」
「お願いします。なんだったら私の代わりに二、三発殴ったっていいですよ」
「……考えておきます」

 カロンはくすくすと笑いながら拝礼すると、後ろ手に手を振りながらその場を立ち去った。
 ユウヒは一人、また部屋に戻った。
 二人の部屋に共通の居間で朝食を並べていたサリヤが、困ったようにユウヒに話しかけてきた。

「ユウヒ。彼の様子をちょっと見てきてもらえるかしら? まだ寝ているのなら良いのだけれど、何というか、その……ちょっと寝ているというのとも何処か違うような気がしてね」

 サリヤの言葉にユウヒは慌てて自分の寝室に飛び込んでいき、もらった鍵でスマルの部屋に続く扉を開けた。

「おはよう、スマル」

 寝台の方に向かって名前を呼び、そしてその足が止まる。

「……スマル?」

 ゆっくりと近付いていく。
 調べるまでもなく、そこにスマルの姿はなかった。

「なんだあいつ。どこ行っちゃったんだ?」

 ユウヒはスマルの寝室の扉から居間に出た。

「ユウヒ、どうだった?」

 心配そうに訊ねるサリヤに、ユウヒは苦笑して言った。

「部屋にはいないです。どこかに出かけたんでしょうか?」
「さぁ……もしもそうなら私が起きる前って事になるけれど。何か聞いている?」
「いえ。何も」
「そうなの。じゃあスマルの朝食はさげた方がいいわね。ユウヒ、あなた一人になってしまうけれど、どうする? ここで食べる?」

 スマルの分の皿を盆に載せ始めたサリヤを手伝いながら、ユウヒは返事をした。

「えぇ、私はここで」
「そう? じゃあどうぞ、召し上がれ」
「はい。いただきます」

 そう言ってユウヒは一人で朝食をとり始めた。
 やがてサリヤがスマルの分の食事を載せた盆を持って部屋を出ていくと、ユウヒは一人大きなため息をついて椅子の背に体を投げ出した。

「はぁ……どうしちゃったんだろう、スマル」

 確かに出発前にユウヒに伝えようにも、部屋に入れるわけでもなく、言うに言えなかったのかもしれない。
 だが、こうも何の前触れもなく、誰に伝えることもなくスマルが姿を消す事は、今までただの一度としてなかった。

 前日のスマルの態度といい気になる点は多々あるものの、今のユウヒに出来ることがあるわけでもなく、とりあえずは朝食を黙々と口に運ぶよりどうしようもなかった。