「あんたが?」
「あぁ」
そう答えて、スマルは考え込むように腕を組んだ。
ユウヒは急かすわけでもなく、ただじっとスマルの次の言葉を待っている。
スマルの視線が何かを探すように動き、それを見たユウヒがきょろきょろと室内を見渡しておもむろに立ち上がった。
「待ってて」
「あ? あぁ……」
そう言ってユウヒは、不思議そうに自分を見つめるスマルをおいて、一人部屋を出て行ってしまった。
しばらくして、ユウヒは小さな器を手に部屋に戻ってきた。
「ほい。これ使っていいって」
そう言ってその器を当然のようにスマルに差し出す。
スマルは驚いたようにそれを受け取って、目の前の小さな卓子にとんと置いた。
そしておもむろに煙草を取り出すと、火を点け、ゆっくりと煙を吐き出した。
「あいかわらず目敏いな」
感心したようにそうこぼしたスマルに、ユウヒは得意げに笑みを浮かべた。
二人の間にユラユラと揺れている煙草の煙を、ユウヒがぼんやりと眺めている。
スマルは少し気分が落ち着いたのか、再び口を開いた。
「郷を出る時、お前んとこのヨキさんと少し話をしたよ」
「母さんと?」
「あぁ。いや、まぁそれは良くって……で、その……お前が拘束された頃から、かな? いくら閉じててもさ、駄目なんだよ。あいつの、黄龍の声が聞こえんだわ」
そう言って、手にした煙草をまた口に運ぶ。
じじっと小さい音がして、煙草の灰が少しだけ長くなる。
静かに煙を吐き出しながら、その灰をユウヒが持ってきた小さな器に指ではじいてとんと落とすと、目に入った煙に顔を歪めて、スマルはまた言葉を継いだ。
「まぁ、相手は神様だしな。最初っからえらく高圧的な態度だったけど……それでも俺の事は名前で呼んでたんだよ。それがその頃から、俺の事を違う名前で呼び始めたっつーか」
「違う名前?」
「っそ、違う名前。名前……とも違うか。あいつは今、俺をこう呼ぶ。『器』ってな」
無意識に、ユウヒは背筋がぞくりとした。
それを感じ取ってか、スマルが小さく苦笑する。
「器? スマルの事を器って、そう言ってるの?」
そう聞き返すユウヒに、スマルは黙って頷いた。
少しの沈黙の後、スマルは腹を括ったのか、心配そうなユウヒを気にしつつもまた口を開いた。
「呼び方だけでさ、この先、何となく想像しちゃうよな。はっきりと何かを言われたわけじゃねぇけど、少なくとも黄龍は俺のことを待ってる。早く来いって、そう言われたよ」
「スマル……」
心配そうに見つめてくるユウヒの肩が、目に見えて落ちているのがわかる。
スマルは自分の心とは裏腹に、そんなユウヒに思わず笑いそうになった。
それが次の瞬間には、自嘲の苦しげな笑みに変わる。
スマルはまた口を開いた。
「ヨキさんって本当に不思議な人だよな。何なんだよ、お前の母ちゃんは」
「何? また何か言われた?」
とんとんと灰を落とすスマルの手に目をやりながらユウヒが言うと、スマルは一つ溜息を吐いてから、頷いて言った。
「言われた。何も言っちゃいねぇのにまたズバッとさ。見透かされてるっつぅか何つぅか……おっかねぇ人だよ、あの人は。でもちょっと、気が楽にはなったかな」
そう言って目を逸らし、顔を歪めて苦しそうに笑うスマルに、さらに近寄ったユウヒの膝とスマルの膝がぶつかる。
はっとしたように戻って来たスマルの視線をユウヒの双眸が捉える。
逃げ場を失ったスマルは困ったように身を硬くし、そして諦めたように口を開いた。
「すげぇ難しい選択をしなくてはならなくなった時、お前ならどうするって言われたよ。そんな簡単に答えは出ねぇっつったら、考えろって。考え続けろって……そう言われた」
その言葉はあまりに抽象的であったが、それでもユウヒには「器」の話と相まって、その意味が何となくわかってしまった。
スマルは煙草を器に押し付けるようにして消すと、椅子の背に体を預けて天井を見上げた。
「確かに……考え続けるしかねぇんだ。その時が来るまで、その時に俺がきちんとその何かを選べるように……な」
その感覚は何となくユウヒにも理解ができた。
そしてその領域は、おそらくどんなに親しい人間でも入っていけない場所だ。
祭の夜以来、ユウヒが小さな、時に大きな選択を繰り返し、その都度自分の道を選びとって進んできたように、スマルもまた、同じようにそうやって選択を繰り返していくのだろう。
自分に出来ることは、その傍らで、それを見届けることだろうとユウヒは思った。
「そっか」
素っ気無いようなユウヒの返事に、スマルも思うところがあったのか、納得したように静かに笑みを浮かべて頷いた。
ほんの少しの気まずさを伴った、穏やかな沈黙が部屋を支配する。
何を話すわけでもなく、ただぼんやりと座っている二人の間を、時間だけが通り過ぎていく。
いつもはそれで嘘のようなあっという間に寝入ってしまうユウヒよりも早く、心地良さそうな寝息を立て始めたのはスマルだった。
よほど疲れていたのだろう。
片足を折って椅子に上げて座り、腕を組んだままでスマルは熟睡していた。
それから程なく食事の準備が整ったことをサリヤが告げに部屋にやってきても、スマルは目を覚ますことはなかった。