「何て事、してくれてんですか。将軍」
「……お前の力では無理だと言ったよな」
「わかってますよ、それくらい」
「ま、今のでいろいろ思いとどまってくれると、俺としては嬉しいんだけどね」
ユウヒの手がゆっくりと下ろされ、シュウはまた寂しそうに笑った。
「それでも、戻ってくるつもりなんだろ? お前らは」
シュウの視線が、ユウヒの後ろのスマルの方に動いた。
スマルはシュウ以上に寂しげに顔を歪めていた。
「お前がそんな顔をしてどうするんだ、スマル。それとも、あれか? ちょっとやりすぎたか、俺」
「いえ、そういうことでは……」
スマルにも何か抱えるものがあるらしいと見てとったシュウは、それ以上は何も言わなかった。
そしてまたユウヒを見ると、シュウは改めて口を開いた。
「ユウヒ。正直俺は、どうするのが一番いいのかわからん。俺はたぶん、真実が知りたかったんだと思う。俺を信じて、隠さずにいてくれたのはとても嬉しいよ」
「シュウ……」
「それでも禁軍の将軍としても務めを放り出すわけにはいかん。お前が本当に王だとしても、俺はここで何もせずに立ち去ることしかしてやれない。将軍としてお前をここで斬ることもできず、友人としてお前を助けてやることもできない」
そう口に出してしまった事を後悔するかのように、シュウの顔が苦しそうに歪んだ。
「情けない男で申し訳ないな……」
そう言って苦笑するシュウに、ユウヒは同じような顔をして言った。
「そうでもないですよ。シュウは十分、よくしてくれたと思ってます」
ユウヒはそう言ってシュウに歩み寄り、右手を前に差し出した。
「お世話になりました、将軍。私達は大丈夫ですから」
「ユウヒ……」
ユウヒの力強い声に、シュウは溜息を吐いてその手を取った。
「そうか……わかった。じゃ、俺は行くよ。この次に会う時は……」
「えぇ、この次に会う時は……」
続く言葉を互いに飲み込み、二人は力なく笑って手を離した。
見つめ合う瞳には寂しさが見え隠れしているが、互いにそれを口に出すことはない。
次に会う時は敵対する者同士であるという事実が、ユウヒの心に重く暗い影を落としていた。
よろよろと後ずさるユウヒを、背後からスマルが受け止めた。
「大丈夫か?」
小さく囁いたスマルに、ユウヒは小さく頷いた。
ユウヒには支えてくれる存在がいるのだと確認したシュウは、安心したようにその場を離れ、騎獣の背に飛び乗った。
「じゃあな、ユウヒ、スマル。ルゥーンで何をする気だか知らんが、俺に会う前に命を落とすような真似はするんじゃないぞ」
「何を言ってるんですか! シュウこそ、夜遊びであんまり寝てないんじゃないですか? 次会った時もまた香の匂いが凄かったら、私、大声で言いふらしますからね!」
「お……っ、おい、最後に言う言葉がそれなのか! お前、スマルに余計な事を言うなよ!?」
「大丈夫! こいつも似たり寄ったりですよ!」
何となく状況を察したスマルが、困ったような顔でシュウを見ている。
それを見て豪快に笑ったシュウは、またいつもの自信に満ち溢れた精悍な顔に戻っていた。
ユウヒもそれを見て安心したように笑ったが、肩を支えているスマルにだけは、その震える心の内が、すべてわかってしまっていた。
「そうだ。お前を乗せてたその騎獣、実はそいつだけ買い取ってあるんだ。ユウヒ、そのまま連れていけ。スマル、ユウヒを頼んだぞ」
「はい」
シュウはゆっくりと頷いて、手にした手綱を握り締めた。
「じゃあな、二人とも」
そう言って、宙へとゆっくり駆け始めた騎獣の背の人に、スマルとユウヒが声をかける。
「はい。シュウさんもお気を付けて」
「シュウ! ありがとう!!」
スマルとユウヒの言葉にシュウは笑って頷いた。
そして騎獣の腹を蹴り、軽く手を上げて挨拶をしたシュウは、乾いた風の中を東に向かって駆け始めた。
巻き上がったその風に、今朝シュウの衣から漂ってきた香の香りが微かに混じってユウヒの鼻をくすぐった。
ここ数日のシュウと過ごした時間が思い出されて、ユウヒはたまらず顔を歪めた。
どんどん小さい点になっていくシュウを見つめるその視界がやがてぐしゃぐしゃに歪みだす。
堰を切ったように溢れだした涙を拭おうともせず、その場に立ち尽くすユウヒの隣にスマルが並んだ。
「大丈夫か?」
「大丈夫。でも……あんたがいてくれて良かったよ、スマル」
やがて黒い点は空に紛れて見えなくなり、それでも二人はしばらく空を見つめていた。
背後で騎獣が甘えたような声を上げ、スマルとユウヒは思わず顔を見合わせる。
「のけ者にするなって、怒っちゃったかな?」
「だろうな。今の俺、騎獣の気持ちがすっげぇわかる気ぃする」
「何よ、それ。あぁ……さっきシュウが言ってた、あれか!?」
「あれもこれもだ。まったく何が何だかねぇ」
ユウヒへの好意を本人の前で認めてしまって以来、スマルは自分の気持ちをあえて隠そうとはしていないようだった。
それでも別にその気持ちを押し付けるわけでもなく、今まで通りに振舞っている。
ユウヒはその居心地の良さにどこまで甘えていていいのかわからずにいたが、今はただ、目の前にいる幼馴染みの寛容さに感謝しつつ、寄りかからせてもらうより自分を支える術がなかった。
スマルもそれを承知しているのか、その優しさはユウヒの弱った心を静かに癒してくれていた。
「さて、行こっか。スマル」
そう言って騎獣の傍らに立つと、ずっと待っていてくれたことに礼を言ってその背を優しく撫でてやった。
「こんなに荷物がいっぱいじゃ、二人を乗せて飛べないね」
「でもまぁ、歩けない距離じゃなさそうだ。幸い風もないし、歩くか」
「そうね」
そう言って、顔を見合わせて笑ったユウヒの目に、もう涙はなかった。
スマルは安心したように溜息を一つ吐き、その溜息の意味を悟ったユウヒは、安心したようにまた笑った。
「じゃ、とりあえずあの集落に。今日の宿を探さなくっちゃ」
「だな。俺もう本当に眠たくってさ、なんで起きてられるのか不思議なくらい」
「本当に? じゃ、急ぎましょ」
「あぁ」
スマルが手綱を持ち、騎獣とともに二人は歩き始めた。
乾いた空気に異国を感じつつ、頭上に広がるのは故郷と同じ青い空だ。
ふと何かに呼ばれたような気がしたが、その声を聞いたのはスマルだけで、ユウヒは空を見上げ、ただ小さく溜息を吐いた。