越境


 カロンが姿を消すのとほぼ同時に、ユウヒのもとにシュウが戻ってきた。

「なんだ? 知り合いでもいたか?」

 男の消えた方を見つめてそう言ったシュウに、ユウヒは首を振って答えた。

「ううん、行商の人みたい。女の一人旅は物騒だから護身用に何かどうかって……説明とかも面倒だから連れがいるって言って、断っちゃったところよ」
「そうか。あ、その連れだが……どうやら一足先に白州入りしてるようだぞ?」

 ユウヒから騎獣の手綱を受け取り愉快そうに笑ったシュウは、声色もどこか楽しげだ。
 不思議そうにユウヒが首を傾げると、シュウは当然のように言った。

「何のことやらって顔だな、お前。スマルだよ」
「スマル!?」
「あぁ。国境にお前の剣持ってくるんだろう? そのまま一緒に行く気だろう、おそらく」

 シュウはそう言うと、ユウヒを促して歩き始めた。
 動き始めたばかりの町は独特の活気に溢れている。
 朝の挨拶を交わす声があちらこちらから聞こえ、どこも一斉に開店の準備を始めた通りは騒然としていた。

「それ、調べに行ってたの?」

 ユウヒが訊くと、シュウはゆっくりと頷いた。

「どの関を通るかはわからないから、名前がない可能性の方が高かったんだがな。どうやら同じこの関塞を通ったらしい。こりゃついてる。追いつくかもしれないぞ」

 辺りを見渡しながら言うシュウの姿に、ユウヒは思わず噴出した。

「そんなにまでして探さなくても! 国境でどうせ会えるんだし」
「え? そういうものか?」
「違うんですか? あ、スマル見つけたらそこでシュウがお役目御免となるっていうなら、探すの私も協力しますけど」

 ユウヒの言葉にシュウが足を止めた。

「お前も相当しつこいな。まだそんな事言ってるのか? いいか、俺は……」
「国境までお前を送り届ける、でしたね。はい、すみませんでした!」
「……わかってんならいい。まったく!」

 しつこいのはどっちだと言いたげに睨みつけるユウヒを、シュウは愉快そうに鼻で笑った。

 通りの店から呼び込みの声が聞こえ始め、町は見る見る活気付いていく。
 会話する声も自然大きくなって、心なしか気分も晴れやかになってくる。
 シュウとユウヒは他愛もない会話に笑いあいながら、騎獣を連れ、通りをさらに西へと進んだ。

 しばらく進むと町並みが途切れ、荒れた畑の拡がる静かな場所に出た。
 ルゥーンへの国境までは、さきほど越えた関塞からこの道一本で繋がっている。
 すれ違う人はルゥーンからクジャへ入ってきた人がほとんどのようで、皆一様に全身を覆える程の大きな布を纏っている。

「砂避けか……ユウヒ、お前ちゃんと持ってきてるんだろうな?」

 シュウが心配そうに言うと、ユウヒは笑いながらそれに答えた。

「大丈夫。この風避けに似たようなものだけど、ちゃんと持ってきてますよ。っていうか、何だかさっきから子どもを送り出す母親みたい。心配ばかりね、シュウ」
「え? そうか?」
「うん」

 国外に追放されるユウヒの身を、何かに付けて案じてくれている。
 有難いと思うと同時に、その裏側で妙にもやもやとした何かが渦巻いていることにユウヒは何となく気付いてはいたが、今はそれを考えないようにしていた。
 だがさすがに聡いシュウにはそういった心の揺れは気付かれてしまう。

「どうかしたか?」

 シュウの問いにユウヒはただ首を横に振って、何でもないとごまかした。

 もうすっかり日も昇り、吹く風もだいぶ穏やかになってきた。
 辺りはあいかわらず、田園風景と言うにはあまりに荒れ果てた土地だった。
 極限られた種類の芋類以外、この土地で育てる事は難しいだろう。
 難しい顔で、ひび割れた土地を見つめるユウヒに、シュウが声をかけてきた。

「そんな顔するな、ユウヒ。これでも随分マシになったんだよ。この辺りは大昔、完全に砂漠化してしまっていたんだ。それをその時代時代の人達が知恵を出し合ってどうにかこうにか、ここまでの土地に蘇らせたんたんだよ」
「そう、だったんですか」
「あぁ。だから、そんな顔をするな」
「……はい」

 静かに返事をして、ユウヒはもう一度荒れ果てた土地に目をやった。
 荒れた土地を捨て他へ移る事をせず、ここに留まりこの地で生きる事を選択した先人達に思いを馳せる。

 風の民であるユウヒには、その土地への執着という思いに共感することは難しい。
 ユウヒにとっては故郷のホムラ郷ですらも、そこにあらねばならぬというものではない。

 思い浮かぶのは、人。そこに存在する人々。
 場所はどこであれ、共にある人々の心が少しでも穏やかで、健やかであるならば……そのためならば諦めずにまた一歩を踏み出せる。
 ここの土地に留まった人達の思いも、自分のそれに似通ったものだったのだろうか?
 この土地で生きていたいと思う、その幸せを護りたいと思う、そのための強さは、自分のそれと同じものだったのだろうか?
 ユウヒは遠くに見えるまばらな人影を目で追って、何となく、自分の歩くべき道が見えたような気がしていた。

「ユウヒ。ほら、国境だ」

 シュウが指差す方を見つめる。
 さきほど通って来た州境の関塞とは比べ物にならない程、重厚で物々しい城砦がユウヒ達の前に立ちはだかっていた。