越境


 かなりの人が列を成していたが、手続きにはそんなに時間を要さないらしく、周囲が二人の存在に慣れた頃には無事に白州入りを果たすことができた。
 物珍しそうにユウヒ達を眺めていた人々も、白州に入った途端にそれぞれの目的地へ向けて足早に去っていき、門の外での煩わしい視線が嘘のように、二人の周りには誰もいなくなった。

「やっと静かになったな」
「はい」

 思わず顔を見合わせて苦笑すると、シュウはユウヒに歩み寄り騎獣の手綱をすっと手渡した。

「は? 何ですか?」

 あれほど国境まで行くと言っていたシュウの謎の行動に、ユウヒが間抜けな声で問いかける。
 シュウはその足を、先ほど通ってきた大きな門へと向けて言った。

「ちょっと調べたいことがあるんで、お前、そこで少し待っててくれるか?」

 そう言って駆け出したシュウに手を上げて答え、ユウヒは騎獣に寄りかかるようにしてその場に留まった。
 ユウヒにとっても久々の白州だった。行き交う人々の中には、長い布を巻いたようなルゥーンの民族衣装に身を包んだ人も少なくない。
 大きな荷物を背負っているのは行商人の一行か何かなのだろう。
 頭に巻いた白っぽい布の先が風に靡き、それが日に焼けた顔に映えてとても目を惹いた。

 ユウヒはふいに背後から声をかけられた。

「随分荷物が多いのですね。これからどちらかへお出かけですか? ご婦人一人旅とは道中物騒だ。どうです、何かお一つ? 護身用の備えをしておけば身も心も安心というものでしょう」

 どうやら行商人の男らしい。
 口から滑り出てくるような滑らかな口上に、ユウヒは半ば呆れ、半ば感心して振り返る。
 そこには見てすぐに上等なものだとわかる装束に身を包んだ、商人風の男が人当たりの良さそうな笑みを浮かべて立っていた。

「ぉ……お前はっ、カ……ッ」

 思わず大きな声でその男の名を呼びそうになり、慌てて口を塞ぐ。
 身のこなしにも気品のあるその商人風の男は、心得た風に笑みを浮かべて、人差し指を口に当てて小声で言った。

「お久しぶりです、ユウヒさん。無事、白州に入られたようで……」
「カロン……来てくれてたのか」
「はい。一緒に行動は出来かねますが……この後私は一足先にルゥーンの方へまいります。ですので、そちらでまたお会いできるかと」
「そうか。あれ? でもジンからはルゥーンではジンの羽根がどうとかって聞いてるよ?」
「えぇ、そうなります。ただ先方もユウヒの顔を知りませんからね。私が繋ぎでまいりました」
「あぁ、そっか。そういう事ね」
「はい」

 話しかけてきたのは、ジンの店に出入りしていた漆黒の翼の一人、カロンだった。
 あいかわらずの気品でもって周囲とは明らかに違う気を放っているのだが、なぜか話しかけられるまで、ユウヒはカロンに気付くことはなかった。
 不思議に思ってユウヒが訊くと、カロンは仕事ですからと笑うだけで詳しくは話さなかった。
 ふと、ユウヒはカロンの周りに目をやって少し違和感を感じた。
 そして何の気なしに感じたその疑問を素直にそのままぶつけてみた。

「あの…今日マヤンは?」

 カロンと共に行動していたカロンの羽根だというガジットの女、マヤンの姿が今日はなかった。
 ユウヒの言葉に、カロンは一瞬だけその顔に本物の笑みを浮かべると、またいつもの万民向けの笑顔に戻って口を開いた。

「彼女なら、羽根を辞して国に帰りました」
「えぇっ!?」

 思わず大きな声を上げ、先ほどと同様に、再び慌てて自分で口を塞いだ。
 周りも特には気にしていない様子だったので、ユウヒもカロンも安心して一息吐いた。
 ユウヒは小声で改めてカロンに聞いた。

「帰っちゃったって……どういう事?」

 ユウヒの問いにカロンは少し困ったように顔を歪めて言った。

「えぇ、まぁ。こちらの情勢に関係なくもないんですが、国の方でちょっとやるべき事といいますか、取り急ぎやってもらわなくてはならない事がありまして……どちらにしろ、いずれわかります」

 漆黒の翼に関わる面々がどんな活動をしているのか、その内容は確かに軽々しく口にしてはいけない事がほとんどで、ユウヒもそこを詮索するつもりはなかった。
 相手、つまりユウヒが王と知っているカロンは、何とも困った様子で言葉を探している。
 ユウヒは首を横に振ってカロンに言った。

「ごめん。詮索するつもりじゃないんだ。ちょっと、どうしたのかなって思っただけで…」
「はい。あの、隠しているわけではないのですが」
「うん。わかってるよ」

 ユウヒはそう言って笑みを浮かべた。
 カロンの視線が、ユウヒの肩越しに遠くの方に動いた。
 その途端、またその表情に例の笑顔が戻ってきた。

「お連れ様がお戻りのようです」

 小声でそう言うと、手を組んで丁寧に拝礼し、少し大きめの声でユウヒに言った。

「そういうことでしたら私のお役に立てる事はございますまい。これは、お手を煩わせました。では、道中お気を付けて」

 そして深々と礼をすると、すぐ横に置いていた荷物を背負い、人混みの中へと姿を消した。