翻訳会社 7.越境

越境


 夜が明けたとはいえ、上空の空気はきんと冷えて痛かった。
 ユウヒの体を気遣ってか、シュウが少しだけ高度を下げる。
 それでもまだ冷たい風は頬を叩き、ユウヒは風除けの布を目のすぐ下まで引き上げた。

「寒いか?」

 振り返り、短く聞いてきたシュウの言葉に、首を振って返事をする。

「そうか。大丈夫ならいい」

 そう言ったシュウは、なぜか気まずそうに顔を歪めて笑っていた。
 不思議に思ったユウヒが、少し速度を上げてシュウと並ぶ。
 驚いたように自分を見るシュウに、ユウヒは風除け布から顔を出して声をかけた。

「どうかしました?」

 悪びれもせずにそう訊ねるユウヒに向かって、シュウは困ったように返事をした。

「……お前さぁ。あぁいうのは言っといてくれよ。俺、それくらいの気は使うのに」
「え? 何がですか?」
「何がって……」

 本当にわかっていない様子のユウヒに、シュウは呆れたように言った。

「さっきのだよ! 何だ、あれは! お前は何にもないって言ってるけど、やっぱりジンさんとお前、何かあるだろう!?」
「えぇっ! ジンと私ぃっ!?」
「そうだよ、どう見てもあれってこう…何ていうか……」

 シュウが珍しく言いにくそうに口籠もる。
 その様子を見てユウヒは申し訳なさそうに小さく頭を下げた。

「ごめんなさい、シュウ。でもジンとは本当に何でもないんですよ」

 少し怒ったようにも見える顔でシュウは横目にユウヒを睨みつけると、今度は呆れたように溜息を吐いた。

「そんな事言われたってなぁ……」
「はぁ。そう見えちゃうんですかね、あいつだからそんな勘違いしたのかと思ったんですけど」

 困ったようにユウヒがこぼすと、シュウがその言葉を拾って聞いた。

「あいつって?」

 何となく想像はできたが、シュウは一応聞いてみた。

「……スマルです」
「やっぱりか。お前、あいつの前ではもうちょっと気を使ってやれよ」
「え? あ、はぁ……」

 ユウヒはさらに困ったような顔で溜息を吐いたが、すぐにそのまま言葉を続けた。

「禁軍の仲間同士で、例えばその戦いがそれまで以上に危険なものだった場合、その…激励したりするのに抱き合ったりとかそういうの、あったりしない?」
「あ? あぁ、まぁ……なくはないかな」
「それに近いんですよ、私とジンは。たまたま男と女だから、そんな風に見えちゃったりするんだけど」
「ふぅ〜ん。そんなもんかねぇ」

 シュウはそう言ったが、そればかりではないだろうと半ば確信を持って思っていた。
 ただそれ以上何か言ったところで何とも興味本位な感じで野暮な話である。
 その話はもう終わらせて、シュウはおもむろに話題を変えた。

「そう、いえば……なぁ、ユウヒ。言いづらいなら別にいいんだが」

 シュウらしからぬ妙にもったいぶった言い様に、ユウヒが不思議そうに首を傾げた。
 興味を示してくれたユウヒに笑みを浮かべると、シュウは遠慮なく言葉を継いだ。

「俺が心配するのもおかしいんだろうが……ルゥーンに行ってからは、その、大丈夫なのか?」
「え?」

 ユウヒが驚いたように問い返すと、シュウもどう言ったら良いものか悩んでいるらしく、言葉を探して何か言いかけては首を振って訂正する事を繰り返している。
 シュウの騎獣に自分の騎獣をもう少しだけ寄せて、ユウヒはシュウに言った。

「大丈夫だと思います、たぶん。それともルゥーンまで追手か刺客か何かがやってくるっていうことですか?」
「あぁ……いや、それはないと思うが」

 また少し考えてから、シュウがそのまま言葉を継ぐ。

「ただ、お前が……お前がもしも罪状通りなら、何かしらの動きがないとも言えんだろう?」

 探るようにそう問いかけるシュウの言葉に、ユウヒは静かに問い返す。

「禁軍が国外まで出張ってくるってことですか?」
「いや、俺達は動くつもりはない。何か動きがあるとしたら、城の爺さん達だろうな」
「あぁ、なるほど」

 ユウヒはそう言って小さく笑った。

「私も、ここで死んでやるほど親切ではないから。大丈夫ですよ、きっと」

 シュウはユウヒのその言葉を黙って聞いていたが、ふと顔を歪めてぼそっとこぼした。